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2015年8月28日金曜日

ご当地キャラ博in彦根2015 今年は196体

 ご当地キャラ博in彦根実行委員会は10月17、18日に、恒例となったキャラ博を開催する。
 彦根のキャラ博は、全国の3大ご当地キャラ博の一つで、彦根の恒例の人気イベントになっている。全国各地の人気ご当地キャラたちが登場し、ゆるキャラファンには必見だ。今年は「井伊直弼公200年記念祭」の開催期間に実施のため、ひこにゃんをはじめとする城や直弼にまつわるキャラの合同ステージなども予定している。
 今年の参加キャラはくまモンやいまばりバリィさんなど196体で、17日参加予定キャラは179体、18日参加予定キャラは172体。メイン会場が夢京橋キャッスルロード、サブイベント会場が銀座会場。ステージが夢京橋と四番町スクエアに設置。メイン会場では、ご当地キャラが地元の特産品やキャラクターグッズの販売などを実施。両日とも午前9時~午後3時。

井伊直弼公作文コンクール小中学生対象、NPO法人ひこね文化デザインフォーラム企画

 「井伊直弼公作文コンクール」が湖東湖北の小中学生対象に行われる。
 NPO法人ひこね文化デザインフォーラム(彦根市中央町)が直弼公生誕200年祭の市民提案事業として企画。テーマは小学生が「私が直弼公だったら」「直弼公と埋木舎」、中学生が「直弼公が思い描いていた日本とは」「直弼公と埋木舎」、いずれか一つを選択。
 縦書き400字詰め原稿用紙(同法人ホームページでも提供)に自筆で、小学生低学年が800字以内、高学年1600字以内、中学生2400字以内。表紙の紙に作文のテーマ、学校名と学年、氏名、電話番号を、原稿用紙1枚目の欄外にテーマ、小中学校別、学年を、各用紙の左下にページ番号を記入する。
 ホッチキス止めし、市内の児童生徒は各学校を通じて、ほかの市町は同法人へ郵送で提出。期限は9月1日~11月10日。低学年、高学年、中学生の各部門で表彰し、最優秀賞と特別賞に図書券1万円、優秀賞2人に図書券3000円。12月中旬から市内で展示する。問い合わせは同法人☎(23)3383。

2015年8月26日水曜日

井伊直弼公の墓守り続けた遠城謙道 彦根城博物館で企画展

 彦根城博物館は21日から、企画展「忠義の人 遠城謙道(おんじょうけんどう)―主君直弼への思いと禅画」を開く。
 謙道は文政6年(1823)12月12日、彦根藩の鉄砲足軽・善利(せり)組(現・芹橋2)の父・兵之助の長男として誕生。15歳で彦根藩に仕え、善利組に入った。銃の腕は常にトップだったという。
 安政7年(1860)3月3日の桜田門外の変後、政権が代わった幕府は文久2年(1862)8月、彦根藩の京都守護の任を解き、近江国の神崎・蒲生2郡の上知を命じた。これに謙道らが反発し、有志と計8人で幕府の老中・井上正直邸に乗り込み、抗議の自害をしようとするが、失敗して彦根に送還されて翌年まで謹慎処分となった。
 謙道は出家を試みるが、武士が許可無く僧になることが禁じられていたため、再び200日間の謹慎を経て隠居を命じられたが、慶応元年(1865)に井伊家の菩提寺でもある清凉寺で出家を果たした。その後、豪徳寺に向かい、明治34年(1901)5月12日に亡くなるまで37年間にわたって直弼の墓を守り続けた。
 企画展では謙道に関する資料40点と謙道の墓碑などの写真4点を展示。そのうち明治11年の建白書は、その年の5月に暗殺された大久保利通がその翌日に官位の追贈を受けたことから、直弼のえん罪を晴らすために作成したもので、太政官や宮内庁、東京府知事に提出したが、受け入れられなかった。
 明治28年の73歳の写真は東京・麹町で開業した古賀暁(さとし)が掃除をしている謙道を写したもの。謙道は井伊家から拝領した直弼愛用の茶室を墓近くに移して住みながら、毎日丁寧に墓所の掃除をしていた。謙道は絵も描いており、明治34年に初代の直政の彦根入り300年を記念して行われた藩祖三百年大祭時には佐和山神社から彦根城まで渡る神輿の様子を墨で描いた。当時、病を患い、自身の死期を5月か6月と予言し、その通りに5月12日に79歳で亡くなったという。
 企画展の開館は9月15日までの午前8時半~午後5時。ギャラリートークが22日午前11時~と午後2時~ある。

2015年8月24日月曜日

米国ミシガン州アナーバー市の中高生 広島訪問時のドキュメンタリー映画の上映会

 彦根市の姉妹都市・米国ミシガン州アナーバー市の中高生が広島を訪問した時の様子をえがいたドキュメンタリー映画の上映会が、今月30日午後1時半~アルプラザ彦根6階の大学サテライトプラザ彦根で行われる=写真は市提供。
 この映画は作品名が「ジ・アメリカン・アンバサダーズ・トゥ・ジャパン」。平成24年秋に使節団員として彦根に派遣された中高生12人の団員募集から帰国までの約1年間を追ったドキュメンタリー。
 一行は11月6日に来日し、彦根観光や市内の中学生と交流した後、終盤の12、13日に広島を訪問。映画では平和祈念資料館で見た原爆による被害の惨状や数々の資料を目の当たりにした米国の中高生の姿が描かれており、中高生たちが事前に作った千羽鶴を掲げる場面も登場する。監督はアナーバー市在住のテレビプロデューサー・長柄克己さん(46)。映画の時間は120分。
 当日は監督があいさつした後、映画上映、質疑応答がある。定員100人。入場無料。申し込みは21日までに市人権政策課☎(30)6113かファクス(24)8577かメール(kokusai@ma.city.hikone.shiga.jp)。
 なお彦根市とアナーバー市は昭和44年に姉妹都市となり、同53年に彦根の中学生4人が県の使節団員としてミシガン州を訪問して以降、相互で交流しており、これまでに彦根から36回・生徒396人、アナーバーから18回・生徒204人が訪れている。

2015年8月18日火曜日

弁護士・司法書士・税理士ら一堂に参加しての遺産相続と遺言についての無料相談会、ビバシティで

 弁護士や司法書士、税理士らが一堂に参加しての遺産相続と遺言についての無料相談会が、9月19日午後1時~ビバシティ彦根2階の研修室で行われる。
 相談に応じるのは、本町1丁目の石田法律事務所、小泉町の司法書士法人equal、草津市の越智税理士事務所、東近江市の保険代理業・総合滋賀の4事務所の代表または社員の計5人。
 遺産相続と遺言に関しては当事者の死後に家族間でのトラブルが多く、家族が弁護士や司法書士などの事務所を何度も訪問することがあるため、遺産相続と遺言に関する専門家が集まって合同で相談に応じることにした。
 企画した石田拓也弁護士(29)は「相続発生前の不安解消や相続発生後のトラブル防止のため、気軽に相談に来てください」と来場を呼びかけている。
 受付は午後5時まで。事前予約制。定員あり。申し込みはequal☎0749(24)5131。

ひこにゃん中国初訪問

 ひこにゃんが10日、初めて中国を訪問し、彦根の観光PRに努めた=写真は県提供。
 滋賀県の代表団と県民友好交流団などの総勢約100人が滋賀の姉妹友好都市・中国湖南省を9日から13日まで訪問。三日月大造知事や県議会の西村久子議長、ひこにゃんファンクラブの北村昌造会長らも随行した。ひこにゃんは10日に湖南省長沙市の平和堂五一店とその日夜に同市内のホテルで行われた交流会に登場し、彦根をアピールした。
 なお、ひこにゃんの海外訪問は、平成21年のハワイ、同24年の韓国、同25年のフランスパリ、今年7月の米国ロードアイランド州に続いて5回目。

2015年8月17日月曜日

高宮町のユクリ墓地内の海軍砲弾と機械水雷の説明碑設置

 彦根市高宮町のユクリ墓地内に保管されている海軍の砲弾(直径28㌢)と機械水雷(直径約1㍍)について解説した説明碑(高さ1㍍×幅24㌢)が同墓地内に設置。10日に除幕式が開かれた。
 高宮町遺族会の北川國男さん(73)が戦後70年に合わせて、これからも平和が続くことを願って設置。北川さんが説明文を作り、高宮町の田中家石材が碑を製造した。
 北川さんによると、砲弾と機械水雷はいずれも日露戦争(1904年)時に作られたとされ、同墓地内には2つずつある。
 砲弾は当時の陸軍大将・乃木希典が二〇三高地を攻撃している際、日本海戦で勝利した元帥海軍大将・東郷平八郎が戦艦・三笠の大砲を送り、乃木がそれで攻撃して二〇三高地を攻略した時に使われた同種の物だという。機械水雷は東郷がロシアのバルチック艦隊の日本海侵入を阻止するため、津軽海峡に浮遊させた物だという。
 いずれも火薬などは取り除かれているといい、いつから誰が同墓地に保管していたかは不明だが、大東亜戦争時にはすでに同墓地内にあったという。同墓地には日清戦争(1894年~95年)から大東亜戦争までに亡くなった高宮町内の戦没者180数人が祀られており、砲弾と機械水雷は戦没者の名が刻まれた慰霊碑前に保管。2年に1度、北川さんがペンキを塗って維持してきた。
 除幕式には高宮町遺族会の会員や地元の市議ら20人が参加。高宮町の妙蓮寺の平塚志磨人住職が読経した後、北川さんが「この砲弾と機械水雷をこれからも末永く守っていくため、子や孫にお願いしておいてほしい」と話し、参列者全員で「ふるさと」を歌った後、合掌して慰霊していた。