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2020年12月14日月曜日

木造建造物を受け継ぐための伝統技術ユネスコ無形文化遺産に

 文化庁はこのほど、木造建造物を保存修理する伝統技術が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録される見通しになったと発表。日本伝統建築技術保存会(日伝建)名誉会長で、西澤工務店(彦根市鳥居本町)社長の西澤政男さん(76)に伝統的な木造建築物の魅力を聞いた。 (聞き手・山田貴之)
 
彦根城など保存修理担う
 登録される名称は「伝統建築工匠の技:木造建造物を受け継ぐための伝統技術」。西澤さんは2000年に設立した日伝建の会長と、文化財修理技術保存連盟理事長を昨年まで務めるなど、日本独自の木造建造物の伝統技術を後世に伝える活動に尽力してきた。
 西澤さんは20代の頃、中堅ゼネコンで主に現場監督を務めていたが、「家業の大工を継ぎたい」との思いが強くなり、大阪万博が開かれていた1970年8月に退社。父親が経営していた工務店に入った。30歳の時に愛荘町の金剛輪寺の三重塔(重要文化財)の修理を手がけ、その後も1983年3月に西明寺本堂、1996年3月に彦根城天守・附櫓・多門櫓など、国宝をはじめとする多数の文化財の保存修理を担ってきた。十数年前からは京都御所や皇居など宮内庁の工事も請け負っている。
 
「建築当時の文化を将来へ」
 「便利で長持ち」とうたう現代的な建物が最新の技術と材料を使う一方、伝統技術で建てられた文化財建造物は「古くて腐っている木材ほど大事。建築された当時の文化の証であり、それを後世に伝えていくのが私たちの仕事」と説く西澤さん。
「取り替えたら1万円ですむ材料であっても、建築当時の文化の証を残すため100万円をかけてでも修理して古材を残す」との例え話をしながら「お金は印刷すればいくらでも増えるが、時代や時間はどうしてもお金で買えない。当時の文化を将来の人に正確に伝えることが文化財の役目である」と解説する。
「日本人にはやはり、和の空間がいい。伝統的な和風の建物では日本人らしい和の雰囲気がやすらぎの心を与えてくれる。日本の原風景を取り戻せるよう、伝統的な木造建築の良さを再認識してもらえるよう、これからも努めたい」と熱く語った。

2020年12月9日水曜日

朝鮮通信使の城下町での受け入れ状況示した絵図見つかる 町割を新たに確認、彦根郷土史研究に掲載

江戸時代の朝鮮通信使の使節団を彦根の城下町全体で受け入れていたことがわかる新たな絵図が、彦根史談会の新刊本「彦根郷土史研究 54号」に掲載。元彦根城博物館学芸員で立命館大学非常勤講師の野田浩子さん(50)は「彦根の城下町研究の貴重な資料だ」と話している。
 
11回目の使節団の記録
随行の対馬藩士も町屋に宿泊
 野田さんの著書「朝鮮通信使と彦根 記録に残る井伊家のおもてなし」を読んだ広島県呉市の絵図の所有者から連絡を受けた野田さんが調査した。絵図の名称は「彦根城下町朝鮮通信使宿割図」。宝暦14年(1764年)に来日した朝鮮通信使の使節団と随行した対馬藩士を受け入れた彦根の城下町の宿割を記している。
 朝鮮通信使は江戸時代に朝鮮から全12回派遣され、そのうち10回が江戸へ向かい、彦根には往路、復路とも一泊ずつしている。宝暦14年は11回目にあたり、江戸へ向かった最後の使節団。十代将軍の徳川家治の将軍就任にあたり、朝鮮国王の国書を持参する目的で派遣され、使節団約370人と随行した対馬藩の一行約1000人が江戸へ向かった。

 使節団の宿泊場所として、彦根では宗安寺を中心に主に寺院を利用していたことはこれまでの資料から知られていた。新たに確認された絵図は中堀と外堀の間の内町(現在の中央町、本町、立花町)にあった町屋も宿泊所として活用されていたことがわかる内容。「朝鮮人宿・長老宿・通詞(つうじ(通訳者)宿」の寺院9軒と町屋11軒、「宗氏公御家中宿(対馬藩一行の宿)」の町屋136軒に色分けされており、町屋の家主名の上に対馬藩士の名を記した札を貼り付けている。
 当時の対馬藩主・宗義暢(そうよしなが)が宿泊した本陣が宗安寺の斜め向かいに置かれ、周辺に同藩主付きの家臣、伝馬町(中央町)付近に足軽らの宿所があったこともわかる。対馬藩の記録によると、随行者を68軒に宿泊させるリストを作成したが、彦根藩はその2倍の町屋を宿泊所として用意していた。
 野田さんによると、朝鮮通信使の日記には彦根の宿泊所が設備や調度が充実していたため「陸路中の第一」と高く評価する記述があるとして「井伊家は譜代大名筆頭という立場にふさわしい応接を心がけていた。対馬藩士にもおもてなしの心で余裕ある宿泊スペースを用意したと考えられる」としている。
 
町割 新たに確認
 このほか、これまでの絵図では伝馬町や下魚屋町(城町1)などの町人名しか確認できなかったが、今回の絵図により城下町の中心部一帯の町人名や町割が新たに判明した。
野田さんは「朝鮮通信使の対応に彦根藩だけでなく、城下町の住民も深く関わり、官民一体で受け入れた状況が具体的にわかる貴重な資料。今後の彦根の城下町研究に資することも期待できる」とコメントしている。
 「彦根郷土史研究 54号」はA5判、53ページ。彦根市立図書館で閲覧できるほか、1000円で購入も可。問い合わせは彦根史談会の木村正彦会長☎(22)3056。