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2022年1月24日月曜日

和田裕行市長と彦根城世界遺産登録 意見交換・応援1000人委員会会長の宮川富子・永樂屋社長との新春対談

 彦根城の世界遺産登録に向けて、滋賀彦根新聞社は和田裕行市長と彦根城世界遺産登録 意見交換・応援1000人委員会会長の宮川富子・永樂屋社長との「新春対談」を開催。コーディネーターは本紙の山田貴之記者が務めた。
 
登録へ「いよいよという感じ」
彦根と県全体の機運醸成へ尽力
 ―世界遺産に向けて、現在の状況は?
 和田 昨年11月に湖東湖北5市4町の商工・観光団体が「世界遺産でつながるまちづくりコンソーシアム」を設立した。文化庁からは世界遺産に向けて、地元の機運醸成を図るよう助言を受けている。彦根だけでなく広域で取り組む必要があり、また民間だけではなく、県内各市町の首長にも協力を呼びかけていく。
 ―市民組織の1000人委員会は世界遺産を巡る状況についてどのように見ているでしょう
 宮川 行政も市職員が滋賀県に出向するなど真剣に取り組んで頂いている。市民としては1000人委員会が立ち上がったことで、関心がなかった方、(登録に)否定的だった方からも応援して頂いている。彦根商工会議所や彦根観光協会をはじめ、それぞれの団体が広範囲で活動して頂いており、市民としてはうれしく、いよいよという感じがしている。
 
市内の意識格差の是正を
市長「ギア一つ上げる必要」
 ―市民レベルと滋賀県全体の両側面で更に機運を高めることが必要だが
 和田 2022年度までにギアを一つ上げる必要がある。僕自身、お城から離れた周辺地域(高宮町)の市民。河瀬・稲枝地域も同じだと思うが、離れた地域の空気感も理解している。まだまだ無関心の方が非常に多いが、無関心層の一人だった僕がギアを上げるということはまた違う意味がある。周辺の市民から見て、いかに世界遺産が彦根のために必要かということを、誰よりも説得力を持って話をしていきたい。
 ―この10年以上の推移を見ると、ここ数年でようやくギアが上がってきた印象があるが、まだまだ無関心層は多い。
 宮川 旧城下町と、合併して彦根に入った旧町村との意識格差はあるが、市民という立場に立てば、彦根城があるということだけでも、その恩恵を受けてきていると思う。彦根の街の品格は彦根城のお陰で、すごく高いと思う。県外に出た方も「ふるさとは彦根」と誇りを持って言ってもらえるような街になってほしい。1000人委員会でも市内の旧城下町以外の周辺の皆さんが彦根の街全体に誇りを持ってもらえるよう、その意図を活動の中に盛り込んでいる。
 
江戸時代の統治体制の象徴
「姫路城との違い胸を張って」
 ―登録のための普遍的な価値に「彦根城を見れば江戸時代の政治体制がわかる」があるが、それを市民に浸透させるには?
 和田 統治機構などの話は(登録機関の)ユネスコ向けで、市民の皆さんにはもっと親しんでもらうというか、歴史的に井伊直弼公をもっと見直してほしい。教科書では安政の大獄などあまり良いイメージがない。本来はチャカポン(茶道・和歌・能)の分野でも功績がある。そして愛国者的な功績も理解してほしい。誇りを持てる城主だったことを広め、誇りを持てる街にしたい。
 宮川 直弼公に限らず、(二代当主の)直孝公の時代から統治の形を作り、井伊家のみお国替えがなく彦根藩を統治し続けてきた歴史をひもとく必要がある。歴代当主で5人が大老を務めた藩はほかにない。歴代の当主に対して市民の皆さんがもっとリスペクトできるような取り組みができたら良い。
 ―彦根城が世界遺産の価値があるということを市民レベルでもっと深める必要があるが
 和田 彦根城天守を見る方向を見直してもらいたい。僕は勇壮な姿が見られる南側が大好きで、姫路城とそん色のない雰囲気があるため、もっとアピールしていきたい。中堀より内側や旧城下町を含めたたたずまいも他市にはなく、非常に格式高い。統治機構を表す姿がそのまま残っているのだから、胸を張って姫路城とは違う価値があると言える。
 
宮川会長「生活密着のお城」
「タイムスリップできるエリア」
 宮川 統治スタイルや旧城下町が残っていることが重要で、1000人委員会のメンバーでウォーキングをしながら、さまざま場所から彦根城を眺めるビューポイントを確認した。彦根の街を改めて歩くと、辻々の場所で違った彦根城の姿が見える。観光だけでなく、市民生活の中にあるお城、生活密着のお城だということを皆さんに改めて知ってもらいたい。そういう隠れた魅力はまだまだあるため、皆さんに知ってもらえる活動をしたい。
 和田 インスタグラムのコンテストをしたら面白い。季節ごとの良さもあるし、映えまくるだろう。
 宮川 世界遺産に登録または候補地の宗像大社と佐渡の金山に行って来たが、市民の息づかいは彦根の方がすばらしいと感じた。彦根城は市民の生活に溶け込んだまちづくりの中にあり、是非ともその良さをアピールしながら、すばらしい街に住んでいるということを市民の皆さんと一緒に広めていきたい。
 和田 彦根はまだまだ宝を持ち腐れている。芹橋の足軽組屋敷を訪れた際、十分に誘客できると思った。まさにタイムスリップできるエリアだ。
 宮川 世界遺産登録に向けてもう少し早く動いていたら、芹橋エリアを含めて取り壊されていなかった建物もあった。もったいないと思うことがあるが、ここに来て盛り上がってきたため、皆さんと一緒に盛り上げていければ良い。
 和田 彦根市の教育大綱を作り直しているが、子どもたちが学生や大人になって県外に出てからも帰って来てもらえるような格式高い街にしたい。そのためにもまずは国内推薦に向けて尽力したい。
 宮川 私も及ばずながら、できるだけのことはしたい。
 
「彦根のパワーをフル活用」
食もアピール、滞在型観光促進
 ―今年の事業としては
 宮川 昨年、新しくなった市役所の待合室にホワイトボードを置いて、市民の皆さんの世界遺産に向けた応援メッセージを書いてもらえたらうれしい。彦根城周辺を見て頂けるウォーキングも続けたい。 
 和田 行政としては機運醸成を図り、国や県とも調整したい。
 ―滋賀県全体での機運醸成は進んでいるのか
 和田 市長会で議題に上げていくし、例えば彦根城の建築には大津城のパーツが使われていることなどから、南部の市にも協力をお願いしたい。これから滞在型、体験型観光をアピールするには彦根だけでできない。全県を上げて取り組んでいく。
 宮川 彦根市内では宿泊施設の団体や一般企業の皆さんが独自で啓発グッズを作るなど応援の動きがある。そういった地道な活動が広がっていけば、それぞれの社内や市民の皆さんにも浸透していくでしょう。継続して積み重ねていけば、広がっていくと思う。
 和田 どこかの段階で1万人委員会にしてもらえるようになればいい。
 宮川 はい、1万人を目指したい。
 和田 「世界遺産でつながるまちづくりコンソーシアム」の設立を機にギアをアップしていく。ひこにゃんをはじめ、彦根が持つパワーをフル活用したい。近江牛やビワマスなど食もアピールし、彦根が話題になるように仕かけ作りをしていきたい。

2014年1月20日月曜日

(元日号)これからの彦根の観光 彦根商工会議所・小出英樹会頭×彦根観光協会・一圓泰成会長

 全国の自治体が観光客の誘致に向け、さまざまな戦略を打ち出している中、彦根を中心にした湖東地域がその都市間競争をいかにして勝ち抜けるか。滋賀彦根新聞は地域産業を含めた「これからの彦根の観光と産業」をテーマに、彦根商工会議所の小出英樹会頭と彦根観光協会の一圓泰成会長との対談を行った。コーディネーターは本紙編集長の山田貴之が務めた。
彦根城内をテーマパークに
観光都市へ長浜との連携重要
 ―まずは今の彦根の観光についてご意見を
 一圓 子どものころから彦根城の前で育ったため、多くの観光客に来ていただいていたことに、子どもながらにうれしく感じていました。世界古城博覧会(1987年)以降、観光はバス観光主体で、一時低迷しました。これは全国的にバス依存から個人へとシフトする期間であり、彦根城を取り巻く観光も同様の感がありましたが、彦根城だけではなく、夢京橋キャッスルロード、四番町スクエアと、観光客が求めるポイントは十分に魅力的に進化して来ました。しかし、はたして私たちは「美しい彦根」を演出できているだろうか、という疑問点もあります。例えば、東京からの帰りの新幹線ではディズニーランドから帰る人たちの「また連れて行ってね!」「また行きたい!」という言葉が連呼されている雰囲気を感じます。一方で、彦根から帰る電車や自動車の中で同じような雰囲気になっているかなと疑問を持ちます。道路渋滞や駐車場が少ないなどの不満があるだろうし、人が行っているサービスへの物足りなさもあるように感じます。そう考えると、ちょっと彦根城にあぐらをかいていてはいけないな、というのが私の気持ちです。ただ、ここ1、2年、城内や市内で映画のロケが頻繁に行われるようになり、市にもフィルムコミッション室ができました。また市民有志がNPO団体を設立して屋形船や人力車を活用していることは、いわゆるアトラクションの一つであり、今後は彦根城が江戸時代にタイムスリップしたようなテーマパークに近い形に向かっていくのが一番、必要な事だと思います
 小出 基本的には一圓さんのお考えと同じです。短期的と中長期的に分けて考えないと彦根を成長させることはできません。その中で観光は短期的な部分が必要とされており、足らない物を作るとか、伸びているものを更に伸ばしていくなど、それを実現できる体制を行政と観光協会と一緒に作りたいと思います。現在はイベント開催のたびに実行委員会はできますが、イベント終了後はおしまいになっています。先ほど一圓さんがおっしゃったテーマパーク化を実現させるには、絶え間ない継続と努力が必要です。長浜を見ると、その仕組みがしっかりできていて、長期的な視点も立てています
 ―長浜の観光への取り組みと彦根とを比べると、どのような違いがあるのでしょう
 一圓 長浜は民衆の結束力が強いので、その上での観光、まちづくりが成功していると思います。一方で彦根は城依存が強く、長浜に見習うべきことがたくさんあるはずです。また、長浜と一緒になって観光を育てていかないと、お客さまから見ると、不自然な姿に映ってしまいます。行政区が分かれているため、互いの予算でそれぞれ別の事業をやっていますが、観光客にとってはどちらに宿泊しても良いわけで、絶対に一緒に進めていくべきです
 ―長浜は町衆文化、彦根は殿様文化であり、彦根の場合は少しずつ良い方向に進んでいるものの、根強く殿様文化の悪い面が残っているようですが
 小出 長浜とは競争相手ではなく、組むべき相手の一つとして捉えることに大賛成です。会議所としては、国や県への要望などにおいて長浜と一緒にやっていくべきだと考えています。観光においては互いに優れた面、足らない面があって、競合しないように思います。戦国、安土桃山から江戸にかけての豊富な歴史遺産が残っていて、それを網羅すると、観光客にも楽しんでいただけます
 ―彦根や長浜などの行政、各種団体によるびわ湖・近江路観光圏協議会という組織がすでにありますが
 小出 それはそれで進めて頂いても良いと思いますが、私は観光に対しては、数字を残すことにしか関心がありません。こちらがプランを立てて、県や国に動いてもらうというのが本来のビジネスのあり方だと思います
 ―ただ、彦根の場合は出る杭を打つ体質がまだあるようですが
 小出 基本的には話し合いが一番、大切です。後は数字を持ってきて、論理的に納得していただくことです
 ―観光協会としては独立した機関ですが、上には行政があります
 一圓 予算の問題もありますが、現実ばかりを見ていると、そこから脱出出来ないと思います。もちろん彦根市と二人三脚ですので、市との関係を保ったままで、夢を描き続けたいと思います
(続きは本紙元日号で)

2014年1月10日金曜日

(元日号)ごはんの力で健康長寿に 雑穀料理家・つぶつぶグランマゆみこさん×滋賀彦根新聞社・押谷盛利会長

 日本は世界有数の長寿国である一方、死因の6割が3大生活習慣病(がん、心臓病、脳卒中)だとされ、医療などの社会保障費は平成25年度中に過去最高の40兆円を突破するという。いかに健康なままで長寿をまっとうできるのか
 滋賀彦根新聞は、先の大戦前に日本人が食していた元来の食文化を取り戻す活動を全国で展開している雑穀料理家・つぶつぶグランマゆみこ(本名・大谷ゆみこ)さんと、本紙の押谷盛利会長との対談を行った。
大戦後、ごはんからパン食へ
戦勝国は日本の食文化も破壊
 ―ゆみこさんは昨年、著書「ごはんの力」を出版されましたが、ごはん(雑穀)にはどのような力があるのでしょう
 ゆみこ 私が子ども時代、過ごしたのは栃木県足利市の田舎町。食卓に上がっていたのは、ごはん、みそ汁、漬け物でした。そして夕ご飯はお米が少なかったため、うどんでした。しかし、ごはんには栄養が無いと教えられ、年ごろの時期には太ると思って、ごはんを食べないでいました。私が育ったころは(日本国中)どんどん病気が増えていたように思います
 押谷 足利は田んぼが少なかったのですね
 ゆみこ 関東地方はお米が出来にくい土地柄なので、小麦が多く収穫され、雑穀も食べていました
 押谷 僕の子ども時分は、母親から「わしは備前の岡山育ち、米のなる木をまだ知らぬ」という言葉をよく聞かされ、毎日ごはんを食べていることを喜ばなければいけないと教えられていました。そういう事を考えると滋賀の人はその当時からごはんが食べられていたので幸せだったと思います
 ゆみこ 私の母もへらやお釜についたごはんを一粒も残さないようにしていました。それなのに、ごはんには栄養が無い、パンの方が栄養がある、というような話を聞くと、そうかなと思ってしまう自分もいて、ごはんに対しては恩恵を受けているのに価値がわかっていませんでした
 押谷 日本人は先祖代々、新嘗祭や神嘗祭を通して、ご先祖にお供えしたり、ごはんを炊くたびに仏様にお供えをしていました。お米を大事にするしつけは小さいころから行われていましたが、途中でおかしくなってしまって、先生(ゆみこさん)のおっしゃる通り、ごはんは栄養にならないというバカなことが世論になってしまいました
 ゆみこ 日本の民族の主食である作物から、米や雑穀がなぜなくなったのかを調べると、一つ目は第二次世界大戦後、米国で小麦が多く収穫されて、小麦の市場価格が大暴落するという話になったらしく、日本などアジアに小麦が大量に輸出され、パンが主食になったためです。二つ目として米国などは穀物を牛のえさにしようと、子牛と一緒に売り、そして畜産をさせていたという記録が残っています
 押谷 私も余りすぎて小麦を海に捨てていたという話を聞いたことがあります
 ゆみこ 戦争をして勝った国々は相手の食文化も破壊します。例えば、スペイン人がインカ帝国を滅ぼした時、小麦以外の物を食べると逮捕した歴史があります
 押谷 食料でその国を支配するということですね。終戦後、日本は給食を導入しました。米国から脱脂粉乳を輸入し、給食をパン食にしたことで、米よりパンが良いという考えが広まりました。また今の人は菓子パンを食べています。
 ゆみこ そうです。日本で言う食パンは西洋では菓子パンで、ヨーロッパの人が食べているパンは、粒とかが入っていて、私たちは間違ったパンを押しつけられています。その上、お米を敬わなくなりました
 押谷 日本人は米を食べなければならないと教えるのが親の役目です。米を食べなくなったのは、米国の占領政策に乗せられたようなものです
 ゆみこ その事をわからずに、親を敬わず、自分の国にも自信がもてない、誇りに思わないような、根のない人が多くなってしまいました
 押谷 戦後の歴代の政府が学校給食で米を食べるということをもっと押し出すべきでした。米を食べることで農業が栄え、我々の健康を維持する事ができます。なぜ日本の政府は米を食べることの大切さを、国民に示さなかったのでしょう。先生の本を読むと「お米は大事、お米さえ食べたら健康になる、病気にもならずに、心も良くなる」と書いておられます。「お米を食べて」と言う人がおられることは、仲間が増えた気持ちです。こういう本を政府は陣頭に立ってすすめなければならないと思います。
(続きは本紙元日号で

2012年1月4日水曜日

彦根の観光の課題探る 彦根観光協会・上田健吉会長×滋賀彦根新聞・山田貴之編集長

 昨年、新しく彦根市観光協会の会長に就任した上田健吉氏(75)=千成亭代表取締役会長=に、市の観光の課題や新しい戦略について、本紙の山田貴之編集長が対談形式で探った。
 「より多くの観光客を招くためには」「宿泊客を増やすための着地型観光を進めるためには」「彦根の『祭り』は従来通りで良いのか」などに対して、上田氏らの持論を含めた見解を紹介する。

 山田 彦根観光協会の会員には市内企業や宿泊施設の経営者のほか、市の職員やそのOBも入っている。どこの団体でも同じことがいえるかもしれないが、民間と行政ではどのような意見の違いがあるのでしょう
 上田 民間は数字を追いかけていくため、革新的な考えで動こうとする。しかし役所は守りの世界。予算でも従来通りの金額があがっているが、例えば、夏の総踊りやゆかたまつり、花火大会などは続けていけるかという問題がある。根本的に洗い直していくことが我々に課せられた宿題。市としては観光振興課が決めたことを協会が忠実に実行してくれたら良いという考えだが、誘客のための新しい施策が充分とはいえない
 山田 観光協会と市との連携はうまくいっていないのか
 上田 行政側は、コミュニケーションはうまくいっていると思っているようだが、我々には情報が入るのが遅い
 山田 観光協会から市に企画を提案するような逆の流れはできないものか
 上田 市が予算を握っているから難しい。協会内では9部会あるが、その部会は活発に動いている。その中には市職員の幹部も理事として入っており、協会の動きはわかっているはず
 山田 予算は100%市が握っているのか
 上田 全体予算の約70%が市からの委託料と補助金
 山田 観光協会がもっと独立できないものか
 上田 長浜は役所の中に観光協会があって、コミュニケーションがうまくいっているようだ。彦根の場合、離れているため、どうしても判断がすれ違う場合がある。昨年でも、ゆかたまつりの時に、稲枝では農業祭をやっているというような、バッティング状態が出ている。ひこにゃん田んぼアートの時も、近くの荒神山ではハングライダーをしていて、その参加者は名古屋や京阪神が中心で、彦根市民のほとんどは知らなかったという状況。
 彦根商工会議所、彦根観光協会、ひこね市文化プラザ、彦根市がさまざまなイベントをしているが、これらの予算はみなバラバラに使っている。これはおかしい。バラバラに活動して、コラボレーションが全然できていない。これが彦根のマイナスではないか。せめて半年前には、事業の内容、予算、主催者など、みんなが把握できるようにしないと。市の職員だけが知っていて、観光協会は何も知らないではダメ (続きは本紙元日号で)

2010年1月3日日曜日

「靖国神社と戦後教育」 多賀大社・中野幸彦宮司×滋賀彦根新聞・押谷盛利会長

 滋賀彦根新聞は、多賀大社の中野幸彦宮司と本紙の押谷盛利会長との新春対談を行った。対談では、日本の伝統や文化が崩壊されている現代の世に警鐘を鳴らしながら、その解決策のヒントが取り上げられた。
多賀大社とは?
 押谷 この地に多賀大社が出来たいわれは
 中野 古事記の中で「伊邪那岐大神は淡海の多賀にまします」と記されています。地元の民話の中では、杉坂山(多賀)の尾根にそびえる三本杉に伊邪那岐大神がご降臨になり、栗栖の地に調宮神社を作り、その後、芹川を下って多賀の里を開き、冬になると調宮神社に戻るという話があります。古事記が出来たのは約1300年前の大和朝廷時代。こんな片田舎に伊邪那岐大神が祀られていることがなぜ大和朝廷に伝わったのか。この土地が信仰を集める場で、よほど文化度の高い地だったといえます
 押谷 近江は日本の国づくりの中では無視できない。鳥居本に原神社があるが、あそこは丁寧にお祭りをされ、村人がこぞってお参りしています。私たちの子どもの時分を思い出します
 中野 地域の人が信仰する中心が氏神。そこでの祭りが地域住民の絆になってきましたが、それがだんだん面倒だ、非科学的だといってやらなくなっています
 押谷 湖北に行くと、オコナイがあります。村人が一帯となって、お互い健康や発展を祈り合う。あれが日本の良いところです
 中野 日本人が存続するなら、そういったものを続けないとならない
 押谷 社会教育の原点があるように思います
 中野 私は、家では子どもや孫に、ご飯を食べる前や学校に行く前に神棚を拝むようにさせています
 押谷 子どもの時分から続けさせると、神様は大事にしなあかん、親を大事にしなあかん、仲良くしなければならないと自然にわかってくるものです
 中野 お互いの絆が深まり、年寄りの言うことを若い者が聞くという縦の関係がきっちりできます
 押谷 そういうことを考えると神社の役割は大きい
 中野 おろそかにできない事は多い。神社にお出で頂いた方には色んな形で、お話をし、お伝えしなければならないことは務めだと思っています
 押谷 整備されていて、年間の利用者も多くなったのでしょうね
 中野 一昨年に40年ぶりに社殿を整備、一新して皆さんに喜んで頂いています
靖国神社と戦後教育
 押谷 最近の日本を見て残念に思うのは、靖国神社の問題。靖国神社は国のために命を捧げた方の霊を祀っているが、最近の総理大臣は一部の外国から批判されるからか、参拝することに引け目を感じています。そういう事が国民にどんな影響を与えるか。日本の国体そのもの、伝統、歴史を否定したうえで政治をしているのが戦後強まっているようだ。それが現代の悪しき風潮や犯罪の根源にもなっていると思います
 中野 日本の国がGHQの占領政策から独立した昭和27年の時に、戻すべき事は元に戻さなければならなかった。だから、その当時の政治の責任は大きい。左翼思想が蔓延し、革新と保守の中で、憲法改正や教育など、もう一度戻しておかなければならなかった問題を戻さなかった。それを60年間やってきた政治の責任は免れない。またそれを国民が良しとしてきたこともあり、国全体の責任でもあると思います
 押谷 戦後政治は、社会主義政策を唱える革新(社会)党と自由民主党との馴れ合いできた。経済が発展すれば良いという考えに重点を置き、心の問題を置いてけぼりにした。1番困ったことは教育勅語を廃止し、道徳教育を無視したこと。それが日本の国民をおかしくした原因。
 中野 近江聖人の中江藤樹についての資料館(高島市)の見学から帰ってきて、滋賀県出身の子に中江藤樹を知っているかと聞いたら「知らん」と言った。私は唖然とした記憶があります
 押谷 中江藤樹は近江聖人で親孝行の鏡。教えないと分からないでしょう
 中野 意図的に一部思想の中で教えられなかったのが、そのまま良しとしてきた今日の結果がこういう事態を招いています
 押谷 左翼の連中にしてみれば、神社なんてなくなってしまえと思っているのだろうが、やはり国民の神社に対する憧れや尊敬の気持ちは、心の中に残っています
 中野 それは理屈ではない。毎日、皆さんをお迎えしていますが、1人1人思いがあって、鳥居をくぐられる。その思いを十分にかなえる事が我々の務めであり、職員にも強く言っています
 押谷 国民は、家を建てたり、七五三、結婚の時にも、神様にお祓いをしてもらう。理屈ではない
 中野 色んな事を自然にやっている事は、古事記に記載されている教えが今に生きているといえます。古代の方たちの考えが文章として残されたのは大変、貴重。それが生活の基盤になっています
 押谷 天照大神様が岩谷に隠れて、いったん世の中が真っ暗になったという話があるが、本当に分かりやすくて、ロマンチック
 中野 民主主義は戦後、米国からもたらされたと誤解している方が多いが、民主主義は日本の原点だという事が古事記を読めばわかります。天照大神様が岩谷に隠れられた時、ほかの神々は会議をして、そして意見を集約した上で宴をした。それが私は民主主義の原点で、今日の日本にも続いています
 押谷 古事記は非常に日本人の奥ゆかしさが出ています
 中野 日本は征服の思想ではない。非常に穏やかな考え方をしています
(続きは本紙紙面正月号で)