2018年11月19日月曜日

高宮町の旧小堀卯之助商店の町家が解体の危機

 彦根市高宮町の中山道沿いで明治時代中期から麻布商を営んでいた旧小堀卯之助(うのすけ)商店の町家が解体の危機にあり、持ち主の家族らが建物の売却と有効活用を求めている。
 江戸時代、高宮宿は近江商人が商品を全国へ流通させる拠点地として賑わい、周囲で作られていた麻布は高宮布として全国的にも有名だった。明治時代になると、産業構造の変化で麻織物が衰退し、看板を下ろす店が増える中、小堀卯之助(明治9年~昭和20年)が麻織物の店を開店した。卯之助の孫にあたる小堀善一さん(83)=大阪府寝屋川市=や愛荘町立歴史文化博物館の職員によると、昭和に入って商売が縮小したものの、卯之助の死後も長男の卯三郎(明治33年~昭和52年)が昭和35年ごろまで商売を続け、大阪の心斎橋にも卯三郎の弟が小堀卯之助商店を営んでいたという。
 高宮の建物は約290平方㍍の敷地に建てられた中二階の町家で、建物内には五右衛門風呂やかまどなどが残っており、庭園や蔵もある。視察した滋賀県立大学の濱崎一志教授によると、構造の特徴から江戸時代後期から明治時代初期の建物だという。このことから、元々あった町家を卯之助が明治中期に購入する形で入り、商売をしていたとみられる。
 6年前までは善一さんの姉の良子さん(87)が住んでいたが、現在は空き家になっており、その管理が難しくなってきた。そのため、善一さんの長女の清水文栄さん(55)=神戸市=が中心になって、古民家を有効活用する団体などに相談したが、良い返事はもらえていないという。
 麻織物の商売時代に使われていた天秤や風呂敷などの道具、帳簿や文書は愛荘町立歴史文化博物館に寄贈。今月6日には専門業者に依頼し、建物内にあったほとんどの日用品を撤去した。清水さんは「このまま解体するのは寂しく、高宮の街並み保存からしてももったいないと思う。建物を購入してもらって、食事処や憩いの場など何らかの形で残してほしい」と話している。近く彦根市空き家バンクに登録する予定。問い合わせは小堀善一さん☎072(822)7280。

2018年11月16日金曜日

台風21号で倒壊の屋形船船着場の建物を再建し安全祈願祭

 彦根城の内堀で運航している屋形船の船着場が、9月4日の台風21号の影響で倒壊。運営するNPO法人小江戸ひこねは船着場の建物を再建し、11日に安全祈願祭を行った。
 屋形船は彦根城築城400年祭が開幕した翌日の平成19年3月22日に運航を開始。同時期に建てられた玄宮園前の船着場は約50平方㍍の広さに、屋根付きの券売所や待合スペースを備えた木製の建物がある。
 台風21号により屋根が堀まで吹き飛ぶなど建物が倒壊した。3日間ほど営業を中止し、以降はテントを張っていたが、10月8日から30日にかけて建物を再建した。崩壊前の部材を再利用したほか、柱を太くするなど頑丈にした。
 安全祈願祭には同団体のメンバーら10人が出席。利用客の安全を願って、千代神社の布施博章宮司が清めの祓いを行った。同団体の棚橋勝道理事長(58)は「柱も太くなり再建できて良かった。これからも安心、安全の運航を心がけていきたい」と話していた。

彦根駅構内の近江鉄道ミュージアム来月8日に閉館

 近江鉄道は、彦根駅構内の近江鉄道ミュージアムを来月8日に閉館すると発表した。
 同館は彦根城築城400年祭に合わせて平成19年3月21日にオープン。線路上では近江鉄道の貨物輸送を支えた大正時代の電気機関車、資料館では閉塞器や開業免許書などを展示してきた。またガチャコンまつりや小学校の社会科見学などの時にも開放した。
 資料館は大正9年(1920)に変電所として設立された建物で、その後、電気関連の事務所となり、ミュージアムのオープンに合わせて改装された。しかし、建物の老朽化が目立ってきたため閉館することにした。展示物は八日市駅に移す予定で、閉館以降の跡地利用は未定。
 最終日になる12月8日には「近江鉄道ミュージアム感謝祭」を開催。来場者300人に記念のポストカードのプレゼントや館内の部品を販売する(正午~)ほか、近江鉄道グッズの1500円以上の購入者先着100人に「豊郷あかね」とミュージアムをデザインした限定のB3判ポスターを進呈する。午前10時~午後2時。入場無料。

2018年11月12日月曜日

銀座町の昭和時代のジャズ喫茶店チャップリンがカフェテリア・アズーロとしてオープン

 彦根市銀座町で昭和時代にジャズ喫茶の店として人気だった「チャップリン」が、「カフェテリア・アズーロ」として今月1日にオープン。今後はジャズなどのコンサート会場としての開放や夜間にバーの店を経営する予定だ。
 チャップリンは3階建てビルの2階にあり、当時を知る市民によると、昭和30年代は「クローバー」という店名だったが、その後改名。昭和58年にはチャップリンを拠点に彦根ジャズファンクラブが結成され、音楽家を招いてジャズライブを開いていたという。昭和63年ごろに閉店して以降は空き店舗になっていた。
 隣接する空き店舗に今年4月13日、青池貴司さん(42)=日夏町=が昭和時代に賑わっていた銀座街の再興を目指して、ジェラートの専門店「ジェラテリア・アズーロ」を開店。今月からイタリアの著名な料理人のマルコ・パオロ・モリナーリさんが作ったアップルパイなどの販売を開始するのに合わせて、旧チャップリンの店内を先月10日からカフェスペースに改装。レンガ造りの壁やステージ、ステンドガラス、カウンターなど昭和時代の雰囲気はそのまま活用している。
 カフェテリア・アズーロではコーヒーやオレンジジュース、カップ入りジェラートなどを提供。ジェラテリア・アズーロで購入したジェラートやアップルパイなども持ち込みできる。開店時間は午前11時~午後7時。水曜定休。
 青池さんは「地域の人が気軽に集えるコミュニティースペースになればと思います。コンサートスペースとしても活用してほしい」と話している。年内をめどに夜間にバーとしてもオープンする予定。問い合わせは同店☎(23)7665。

長曽祢虎徹―新刀随一の匠展 彦根城博物館で

 彦根の長曽根で甲冑や鐔(つば)などを作っていた鍛冶集団・長曽祢鍛冶の流れをくみ、江戸時代前期に活躍した刀工・長曽祢虎徹(1605?~78)の特別展「長曽祢虎徹―新刀随一の匠―」が10月26日から彦根城博物館で開かれている。27日にはギャラリートークが行われた。
 長曽祢鍛冶は彦根の長曽根村で活躍していたとされ、13人の職人がいたとする当時の記録を収めた史料もある。その一部が江戸時代初期に越前へ移住したとされる。現在、虎徹が刀を作る際に使ったと伝わる井戸跡が長曽根町に残っているが、彦根城博物館によると、虎徹は越前で生まれて、江戸で作刀していたとの説が有力で、長曽根村を訪れたかは不明だ。虎徹は当初、長曽祢鍛冶と同様に甲冑などを作っていて、その時には本名の興里(おきさと)の銘を入れていた。刀工へ転向して以降は虎徹という号を名乗るようになったが、銘を10回以上変えている。
 虎徹は、試刀家の山野永久・久英親子から助言を受けて刀作りに励み、万治元年(1658)~寛文6年(1666)にかけて山野親子が虎徹の刀で試し斬りをしている様子がわかる史料が残っている。虎徹の刀は焼きを入れる前の鉄材の地鉄(じがね)が強いのが特徴で、寛文末期(1671年~72年)にかけて完成期を迎え、以降の作品は名作と称される。虎徹の死後40年後に発刊された刀剣書「新刃銘尽(あらみめいづくし)」には「新刀第一の上作」と書かれている。
 特別展では虎徹の制作品や、江戸や越前で活躍した長曽祢鍛冶の作品など計45点を展示。中には、越前にいた長曽祢鍛冶が寛永20年(1643)に作ったかぶと、虎徹が甲冑師時代に江戸で作った籠手(こて)の馬手(右手用)と射向(左手用)、寛文元年8月に山野永久が罪人の2つの胴を使って斬れ味を測ったという銘入りの虎徹の初期作、罪人を試し斬りした際の様子を示した江戸時代後期の絵図、「長曽祢虎入道」という銘が刻まれた虎徹の寛文11年作の刀、虎徹作の刀を「地鉄強く」「水気十分」などと称賛した寛政11年(1799)の刀剣書などがある。
 開館は11月25日までの午前8時半~午後5時。11月8日までが前期、翌日からが後期で展示替えがある。

2018年11月10日土曜日

いいのすけ認知度向上へインターネット上で11日PR

 彦根市は11日に、市のキャラクター・いいのすけ=写真=の認知度向上を目指し、インターネット上でいいのすけをPRする取り組みを行う。
 市は、昨年8月9日に史跡散策アプリ「彦根ほんもの歴史なぞとき」を公開した際、彦根藩に仕えた忍者にちなんだキャラクター・いいのすけを発表。今年10月3日には専用のホームページも設けた。しかしまだまだ知名度が低いため、ひこにゃんと共に今後の観光振興に貢献させようとネット上でのPRを企画した。
 「いいのすけ、いいねの日」と銘打ち11月11日を「いいのすけの日」に設定。ツイッター上でいいのすけへのメッセージや、いいのすけに関する写真、イラストにハッシュタグ(#いいのすけ)を付けた投稿を募集し、その投稿に対していいのすけがコメントなどをする。
 また11日のみ限定で、市や彦根観光協会のホームページ、観光ガイドのフェイスブック、インスタグラムのアカウントなどに、いいのすけの画像を掲載する「メディアジャック」をする。いいのすけは「拙者、11日は大忍ばし(大忙し)でござる」とコメントしている。

2018年11月7日水曜日

井伊直滋の甲冑 永源寺で初公開

 彦根藩井伊家二代当主の井伊直孝の長男・直滋(なおしげ)の甲冑が、保管されてきた東近江市の永源寺で1日から初公開されている。かぶとは当主のみに許された両脇から突き出る天衝き型で、彦根城博物館では「直滋の天衝き型のかぶとはほかになく貴重だ」としている。
 直滋は慶長17年(1612)生まれ。井伊家の世継ぎとして、江戸城にも何度か出入りしており、三代将軍・徳川家光に取り立てられた。直孝との不仲など何らかの理由で当主にはなれず、晩年は近江へ戻り、万治元年(1658)以降は百済寺で過ごし、3年後に亡くなった。彦根藩の依頼で葬儀が永源寺で行われ、百済寺に墓がある。
 元禄5年(1692)に井伊家の世話役が永源寺宛てに書いた文書には「江戸の屋敷の土蔵から(直滋の甲冑が)出てきた。焼くことも考えたが、相談し預ける」と記されている。また永源寺によると、元禄5年に行われた直滋公三十三回忌の法要に合わせて奉納されたという。同寺では蔵で保管してきたが、今年4月に整理をしていたところ、かぶとや天衝き、こてなどが見つかった。
 彦根城博物館には幼少期の甲冑を含めて2領あるが、かぶとが天衝き型ではないため、同館では「当主と同じスタイルのかぶとであり、非常に珍しい」としている。永源寺は直滋の甲冑のほか、同時に見つかった鎖かたびらや腰に付ける弁当箱などを30日まで展示している。入山料がいる。問い合わせは永源寺☎0748(27)0016。