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2022年7月6日水曜日

視覚障害の塚本嵯貴さん社交ダンスに挑戦「将来は指導者に」

 彦根市立花町の塚本嵯貴(さき)さん(23)は視覚障害者でありながら社交ダンスに挑戦しており「将来は同じ視覚に障害がある人たちに教えられるレベルになりたい」と日々、練習に励んでいる。今月12日に文化プラザで開かれた競技会にも出場し、華麗なダンスを披露した。
 塚本さんは京都市内で生まれた時から先天性の難病に伴って視覚障害があり、左目が盲で、右目もほとんど見えない。2017年に両親と妹と一緒に彦根市内に引っ越したが、翌年に父を亡くし、そのショックから立ち直れない状況が続いた。
 昨年の初夏に彦根市松原の県立視覚障害者センターで社交ダンスに出会い、月1回のペースで習い始めた。そして昨年12月から県内の視覚障害者たちの社交ダンスの団体「チームアイ」に参加。講師の日野光江さん(63)=甲賀市=と西河健さん(60)=日野町=の指導を受けながら、東近江や瀬田などの公共施設で週2回ほどのペースで練習に励んでいる。文化プラザでの競技会「ダンシングギャラクシー滋賀」では西河さんとペアを組み、3種類のダンスを踊った。
 
「未来考え前向きに」
母「明るく、自信ついた」
 
 ダンスを挑戦し始めた理由として、塚本さんは「私の未来を考えた時、このままではいけないという思いがあった。前向きな気持ちになりたかった」と力強く話した。
 一般の社交ダンスにはスタンダードとラテンの部門で5種類ずつあるが、視覚障害者はそのうちのワルツとタンゴ、ルンバとチャチャチャの2種類ずつを踊る。塚本さんは「ステップがうまくできた時がうれしい。特に動きが速いチャチャチャを踊るのが楽しい」と笑顔を見せた。
 母親の佳奈映さん(53)によると、「娘はダンスを習ってから性格が明るくなった。やる気や向上心も上がっており、自信もついたと感じる。上位レベルは厳しい世界なので、できる限りのサポートをしていきたい」と話した。
 塚本さんは現在、最下位ランクのアマE級だが、「練習をがんばってA級になって、指導員の資格も習得したい。そして同じ視覚障害者に教えるレベルまでになりたい」と意気込みを語った。
 

2022年1月24日月曜日

奥出真由美さん つらい経験した女性たち支援する活動展開、愛荘町の古民家にカフェオープンへ

 不妊治療、離婚、乳がんなどさまざまな経験をしてきた奥出真由美さん(59)=彦根市高宮町=は、同じく乳がんなどでつらい経験をした女性たちを支援する活動を展開。今年春には、悩みを抱えている女性たちが気軽に集える憩いの場「古民家カフェコミュニティー『榲桲(まるめろ)』」を愛荘町にオープンする。開所を前に古民家の改築費の一部をクラウドファンディングで募っている。
 
「変身企画」も開催
 奥出さんは彦根市西沼波町出身。22歳で結婚し、不妊治療や異常妊娠による堕胎を経て、26歳の時に長女を出産。子育てをしてきたが、長女の中学校入学前に離婚し、41歳の時に乳がんを発症。右乳房を切除する手術を受けた。抗がん剤治療で髪の毛が抜けた際にはウィッグ(かつら)も使用した。4年前の両親の入院を機に、それまで勤めていた会社を退職。現在は母親(83)の介護をしながらパート勤務している。
 昨年5月1日には女性の心と体の健康を支援する団体「With Mamma」を設立。女性たちにプロのメイクを受けてもらい、日常とは異なる姿になって写真撮影にのぞむイベント「オトナ女子変身企画」を7月10日と1121日に市内で開催した。
 
「悩む女性多い」
講座の運営者募集
 さまざまなつらい経験をしてきた奥出さんは「私と同じように、不安や苦しい思いを抱いていても、弱音をはけず、泣きたくても泣けない女性が多くいるはず。私が生かされている意味はここにあるのでは」との思いから、気軽に来られる居場所作りを計画。明治時代初めに建築された愛荘町斧磨(よきとぎ)の古民家を拠点に、カフェや女性がチャレンジできる場として活用する。
 平日に奥出さんが体に優しい料理を提供する店を開き、土日祝日にほかの女性たちがカフェを営業。ヨガやハンドマッサージなど講座も開講する。奥出さんは料理や講座を実施できる女性を募集している。
 奥出さんは「女性たちが予約なしで、ぷらっと立ち寄れる第2の家のような温もりのある場所にしたい。相談やくつろぐスペースのほか、女性の皆さんのこれまでの経験を生かせる場所にもなれば」と話している。
 
ネットで支援募る
 クラウドファンディングはキャンプファイヤーで1月末まで。目標金額50万円。リターン品はオリジナルのしおりやポストカード、トートバッグ、内装作業の参加ワンデイパスポート、まるめろでの宿泊・講座・夜の体験ができるペア券など。
 2月から改修工事に入り、5月初旬オープン予定。問い合わせは奥出さん☎090(1890)2874。

2019年6月17日月曜日

彦根市の国際交流員に日系三世のオカモト・ジュリア・ユリさん

 彦根市の国際交流員(※)に4月17日に就いた日系三世のオカモト・ジュリア・ユリさん(27)に彦根の印象や抱負などを聞いた。
 ジュリアさんは愛知県名古屋市生まれ。3歳から5歳までブラジルで過ごし、再び来日して7歳まで名古屋で暮らした後、ブラジルに戻った。サンパウロ大学に在学している時の2014年12月から5カ月間、山梨県で工場員として勤務。サンパウロ大学大学院に在籍していた1710月から今年2月までは南米公文教育研究会で指導者向けの日本語教材作りを担当した。フランス・パリへの留学経験もあり、ポルトガル語と日本語のほかに、英語、フランス語、スペイン語も話す。
 国際交流員に就いた理由として、ジュリアさんは両親やおば、おじが出稼ぎで働いていたことをあげ「子どもの時は両親たちが仕事で苦労している姿を見てきました。同じように出稼ぎで働いている人たちのためにがんばりたいと思いました」と説明している。

将来は「難民支援の仕事も」
彦根の印象「おもてなし感じる」
 子どもの頃には日本人としてもブラジル人としても周囲から認められず「いじめを受けることもあった」と明かしたうえで「同じように言葉やアイデンティティーで困っている子どもたちへの母語の教育もしていきたい」と抱負。将来の目標については「私は日本人、ブラジル人というよりも世界人として働きたい。特にアフリカや中東など難民を支援する仕事ができればと思っています」と語っている。
 日本の印象については「とてもきれいで安全な国。再び日本で生活できるようになったことをとてもうれしく思います」と説明。生活して約1カ月が経過した彦根の印象については「皆さんとても親切で、おもてなしの心を感じます。「ゆかたまつりなど彦根のイベントに参加する予定ですので、気軽に声をかけてください。ふなずしも食べてみたいです」と笑顔を見せていた。
 ※【国際交流員】地方自治体の国際化対応の施策として実施されている語学指導等を行う外国青年招致事業(JETプログラム)の一つ。彦根市の国際交流員はジュリアさんが8人目で、主に▽ポルトガル語を母国語とする市民との相談と窓口対応▽市の業務に関する文書の翻訳▽多文化共生推進事業や国際交流事業の企画などを担う。任期は1年だが、最長5年までの延長可。


2016年9月16日金曜日

彦光会の伊藤壽美江さん卒寿記念し個展を開催

 彦根市芹橋1丁目の伊藤壽美江さん(89)は油絵の創作活動を続けており、数えで卒寿を迎えたことを記念し、滋賀中央信用金庫銀座支店でさきごろ個展を開催。多くの来場者から祝いの言葉を受けた。
 伊藤さんと絵との出会いは50年以上前の幼稚園のPTA活動時。50歳代になり、夫の哲夫さんと彦根の洋画グループ「彦光会」に入り、一緒に5年ほど絵画を楽しんだ。14年前に哲夫さんが亡くなってからは、欧州でツアーガイドをしている長女の愛子さんと一緒に欧米各国を旅し、各地で絵を描いてきた。昨年2月のドイツのローテンブルクを入れて、これまでに15カ国を訪問している。
 絵の魅力について、伊藤さんは「夢を実現してくれる力が絵にはある」と説明。今後の夢については「自宅近くのフジの花や古民家などまちの風景、そしてできれば故郷の旧びわ町(長浜市)の水辺を描きたい」と語り、「4年後の東京五輪でまた個展を開くことができるよう、創作活動を続けたい」と笑顔で話していた。

2016年8月19日金曜日

バイオリニスト・高岸卓人さん来月5日からオランダのハーグ王立音楽院に留学

 彦根市須越町出身のバイオリニスト・高岸卓人さん(25)が、来月5日からオランダのハーグ王立音楽院に留学する。出国を前に彦根市男女共同参画センター・ウィズで8日に行われたライブ後、高木さんにバイオリンの魅力や夢を聞いた。
 高岸さんは幼少のころ、ピアノを習っていたが、調律師のすすめで5歳の時にバイオリンに出会った。城陽小から県立河瀬中学・高校に進んだ後は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の戸澤哲夫さんに師事し、東京まで習いに通っていた。東京芸術大学を経て同大学院修士課程修了後、国内外の音楽イベントで活躍している。これまでに大阪国際コンクール エスポアール賞、全日本学生音楽コンクール 全国大会入選、滋賀県次世代文化賞などを受賞している。
 大学3年生以降は、17世紀初めから18世紀中ごろのバロック時代に作られたバイオリンを学び始め、現在は東京芸大別科のバロックヴァイオリン科に所属。
 バロックバイオリンの魅力について、高岸さんは「音楽の歴史は長く、バロック音楽はその当時のスタイルや考え方で演奏する。当時はどのような響きをしていたのか、考えながら演奏できるのもおもしろい」と話した。
 オランダへ留学する理由については「昔の曲はまだまだたくさんあり、それを勉強したいと思った」と語り、将来的にはバロック音楽の最上級に位置する団体「バッハ・コレギウム・ジャパン」への入団を目指したい意向も示した。オランダには約3年間滞在する予定。

2016年7月28日木曜日

宮前美代子さん、マスターズ陸上競技で好記録「90歳まで走り続ける」

 彦根市地蔵町の宮前美代子さん(78)はマスターズ陸上競技選手権の全国大会、アジア大会、世界大会で好記録を出し続けており、90歳までを目標に毎日トレーニングしている。
 宮前さんは石川県珠洲市出身。子どものころから陸上競技をはじめ、バレーボールやソフトボールで県大会や北信越大会に代表として出場するなどスポーツが得意だった。夫の仕事の都合で30歳の時に彦根に移住して以降、夫が経営する会社の社員食堂などを手伝ってきた。
 退職する60歳の時に文化プラザで開かれた落合恵子さんの講演に感銘を受け「これからは好きなことをしていこう」と決意。ヨガや習字を習い始めたほか、その年の滋賀県マスターズ陸上競技選手権に出場し100㍍で県記録を出した。
 以降、県大会をはじめ、近畿大会、全国大会、アジア大会、世界大会に100㍍、200㍍、砲丸投げで出場し、各大会で金から銅までのメダルを獲得。各種目の県記録を打ち出すなど、マスターズの陸上競技界では有名人になっている。今年5月にシンガポールで行われたアジア大会ではメンバーが足りなかったため55~59歳の部の4×100㍍に出場して3位となり、表彰式では現地の係員から「並ぶ場所が違いますよ」と指摘されたエピソードを笑顔で話していた。
 8月21日に甲賀市陸上競技場で行われる滋賀大会には円盤投げにも初挑戦する予定。今後の夢について宮前さんは「90歳までは走り続け、マスターズ陸上競技選手権に出場し続けたい。そのために忍耐と努力でトレーニングをしていきたい」と話していた。

2016年6月9日木曜日

彦根市広報係の吉井光さん、ギター片手に歌を披露する歌手「吉井ヒカル」の芸名を持つ異色の公務員

 彦根市秘書政策課広報係の吉井光さん(28)は、ギター片手に歌を披露する歌手「吉井ヒカル」の芸名を持つ異色の公務員だ。花しょうぶ通り商店街で開催されるアートフェスタ勝負市のステージにも吉井ヒカルとして登場する。
 吉井さんは京都市生まれ。子どものころから歌や音楽に興味があり、小学生のころには歌のコンクールで全国大会出場を果たすこともあった。
 進学した府立嵯峨野高校では軽音楽部に所属。同級生の女子5人でバンドを結成し、エレキギターを片手に活動した。その頃には「歌手のオーディションを受けたい」との気持ちがあり、音楽専門の大学への進学を考える時期もあった。
 しかし音楽専門の大学は学費が高く、また受験を控えた時期に彦根を訪れた際、琵琶湖や田園風景を見て「京都と比べて空が広く感じ、モンゴルかと思った」との理由から、滋賀県立大学人間文化学部へ入学。県大では市内のリバーサイド橋本通りの空き店舗対策など「商店街活性化プロジェクト」に取り組んだ。
 県大ではアコースティックサウンドクラブに所属し、ボーカルとして活躍。3年生の時には同級生の女性5人(現在3人)とバンドを結成し、社会人になった今も「グラスホッパー」というバンド名で活動を続けている。
 一時は音楽の道に進むことも考えていたが、彦根市職員になった理由について吉井さんは、学生の頃に市内のイベントを手伝う機会があったことに触れながら「地域の中で生きることがおもしろく、学生時代の4年間で彦根というまちが好きになった。この地域のために少しでも役に立てればと思った」と話していた。
 今後については「市外の人から『彦根はそんなことをやっているのか、マジか』と思われるまちにしたい」「彦根の文化的な部分を盛り上げていけるよう、市職員として、吉井ヒカルとして、一市民として、その一角になりたい」と抱負を語っていた。
   (聞き手・文=山田貴之)

2015年10月30日金曜日

ドイツ留学中の田中瑶子さん 古楽器の演奏学ぶ

 彦根市船町の田中瑶子さん(27)=写真=は、古楽器で演奏するヨーロッパのバロック音楽にひかれ、ドイツのフランクフルトで腕を磨いている。
 田中さんは城東小、東中、河瀬高、同志社女子大学音楽学科を卒業後、ドイツに渡った。その約1年後の2010年10月に古楽器に出会い、奏者が楽しそうに弾く「自由なスタイル」にひかれ、古楽器の修練を決意。フランクフルト芸術音楽大学古楽科に入り、ヴィオラやバロックオーボエ、チェンバロを練習している。
 現在は同大学で学びながら、ヴィオラやバイオリンの教室、ヨーロッパ各地での演奏会に参加。大学が休みの期間は帰国し、彦根ゆかりの音楽家で組織の団体「エコーメモリアル・チェンバー・オーケストラ」などで活動している。今月19日には本町のスミス記念堂で演奏を披露した。
 田中さんは「これからもドイツで学びながら、音楽を通して地元で育てていただいたことの恩返しをしていきたい」と話していた。

2015年8月3日月曜日

東京芸大卒業後に彦根移住 石田三成にひかれ、武田まりんさん

 東京芸術大学在学中に彦根への移住を決め、卒業後に芹川町に移り住んでいる女性がいる。京都アートスクール彦根駅前校非常勤講師の武田まりんさん(25)だ。武田さんに彦根にひかれた理由やまちの魅力などを聞いた。
 武田さんは鹿児島県奄美大島生まれ。父親の仕事の都合で幼少期は関東地方で過ごし、小学5年生からは東京都東村山市で生活。小学生のころから絵を描くのが得意で、都立高校に進学後は美術の予備校に通い、2浪の末に東京芸大に入学し、美術学部絵画科日本画専攻で学問に励んだ。
 一方で、小学校の時から図工・美術のほか、歴史も好きだった。中学の歴史の授業では、ハンセン病の患者だった戦国武将・大谷吉継が口をつけた碗に入った茶を石田三成がそのまま飲んだ逸話を知り、三成ファンに。高校時代にはゲーム・戦国無双にはまり、「佐和山がある彦根に訪れたい」との気持ちが増していった。
 武田さんが高校生のころは、ちょうど歴女ブームが始まった時期。「名実ともに」歴女になった平成24年11月の大学3年のころには、東京芸大の宿泊施設がある奈良市内に泊まりながら2週間、奈良や京都のまちを巡る「古美術研究旅行」に参加。その中で自由時間になった1日を利用して、彦根を一人で初めて訪問し、彦根城や玄宮園などを歩き回った。その時のボランティアガイドや道を教えてくれた書店の女性店員らがとても親切で「彦根には良い人しかいないのでは」と思った。
 2度目の訪問は平成25年11月。彦根市内のホテルに宿泊すると戦国グッズの特典が受けられる「三成パック」を友人と2人で活用。その時に佐和山城跡やほかのゆかりの地を回り、「彦根に訪れたい」から「いつかは彦根に住もう」との思いに変わった。
 以降もインターネットなどで滋賀県について検索すると、彦根以外にも長浜や坂本、甲賀、近江八幡など歴史あるまちがあることを知り、大学の卒業制作を終えたその年の12月には彦根移住を決意。昨年2月に再び友人と彦根を観光して以降も何度か来彦し、6月から芹川町のアパートに住み始めた。
 今年5月にはひこねお城大使にも就任。「彦根にはいいものがいっぱいある。私のように『彦根に住みたい』と思う人が増えるよう、これからも魅力を伝えていきたい」と話していた。(聞き手・山田貴之)

2014年2月1日土曜日

新海町の食料品店・のだそう 地元密着で57年目

 彦根市新海町の食料品店「のだそう」は今年で創立57年目を迎え、地元密着の店舗として愛されている。
 野田惣次郎さん(83)が昭和32年10月に開業し、最初は行商だけだったが、3年目には店舗を設け、高度経済成長の波に乗って売り上げを順調に伸ばし、昭和43年には売り場を拡大して新築オープン。町外の市民からも好評を得ていた。バブル崩壊による景気の低迷と大型店の出店で縮小を余儀なくされたが、これまで地元の商店として貢献している。
 4年ほど前に次男の耕(たがやす)さん(55)に経営を譲った。野田さんは「私なりに完全燃焼したつもり。お客さんあっての商売という初心を忘れずに、がんばってほしい」と励ます。耕さんも「地元の皆さまに必要な店と思われるよう、これからも続けたいと思います」と笑顔で話していた。
 同店は野菜や果物、魚、パン、冷凍品、惣菜、菓子など多数の飲食品をそろえている。営業時間は午前8時から午後7時まで、月曜午前のみ休み。問い合わせは同店☎(43)2363。
児童文庫「自転舎」も
 耕さんは「のだそう」に隣接する建物を児童文庫として改装し、平成8年8月に「自転舎(じてんしゃ)」と名付けてオープン。以来、子どもから大人までが集う交流の場として活用している。
 建物は大正時代に建てられた木造2階建てで、1階と2階に耕さん所有の本をはじめ、これまでの寄付で総数は8000冊以上あり、マンガや絵本、児童書、小説、啓発本、文庫などがそろっている。
 地元に限らず、誰でも借りることができる。耕さんは「買い物だけでなく、地域の人同士が顔を合わす場、憩いの場として活用していただければ」と話している。利用希望者は「のだそう」まで。

2011年5月27日金曜日

彦根の銀座 繁栄をもう一度―。宮本壽太郎の孫・岡林壽子さんの店「小さな銀座」、昭和の食事提供

生まれ育った銀座を何とかしたい―。岡林(旧姓・宮本)壽子さん(62)=写真右=は東京都内に家を持っているが、シャッター通りと化しつつある銀座のまちをもう一度よみがえらせたいとの思いから、一画に憩いの店「小さな銀座」を構え、昔懐かしい食事を提供している。
 岡林さんと市史編さん室によると、岡林さんの祖父(宮本壽太郎)は銀座町に店を構えながら、彦根実業協会長(後の彦根商工会議所会頭)を務め、旧マルビシ百貨店の創設の中心的存在だった。彦根市議(昭和22年~1期)として、彦根観光博覧会(昭和24年)の開催にも貢献し、彦根城天守などの国宝指定(昭和27年)や「花の生涯」の小説化(昭和27~28年)実現などにも尽力したという。
 岡林さんは小学生の時に祖父を亡くしたが、家族や近所の人たちから、その活躍ぶりを耳にしていた。「祖父は夢やロマンを抱いた人で、自身の利益を度外視し、彦根の発展のためだけに力を注いでいた」と懐かしむ。高校卒業後は日本女子体育大学に進み、幼少期から励んできたバレエを鍛えた。
 24歳で結婚した後は主に関東地方で過ごしていたが、実家がある彦根に戻るたびに銀座が衰退していくのを目にし、15年ほど前に宮本家が所有する銀座の高島屋ビルにセルフホームエステのスペースをオープン。以来、東京と彦根の行き来が始まったが、夫の定年に合わせて銀座の発展に貢献しようという思いが強くなり、昨年11月に隣の空店舗を借り、「小さな銀座」を開店した。
 「おばあちゃんから習った、昭和の時代に食卓に当たり前のように並んでいた料理を提供しています」と話す通り、懐かしい料理が手ごろな値段で味わえる。ごはんとパンの500円メニューが3種類ずつで、いずれも健康にこだわった食材ばかり。男性向けの大盛りや特別メニューもある。
 英会話やリース作り、書道などのカルチャー教室を開いているほか、4月からは夜間の営業も始め、ビールや焼酎、酒、ワインなどアルコール類も揃え、一品料理も提供している。
 岡林さんは「銀座の店同士が協力し、団結し合って、もう一度、多くの人が来てもらえるようにしたい」と意気込んでいる。同店の営業時間は午前10時~午後9時。水曜定休。問い合わせは同店℡080(3869)8957。
美空ひばりコンサート
 彦根市銀座町の「小さな銀座」は28日午後3時から、美空ひばりコンサート「レクイエムひばり」を開く。歌い手は「IZU」。ひばりグッズの持参も可。食事とドリンク付きで1500円。来店時にお気に入りの3曲を受付で記入する。

2010年1月8日金曜日

彦根の古い街並みにひかれ旧水流町に移住 「Family~おかだ兄弟~」岡田健太郎さん

 「ひと目見て、ここだ!と思いました」。兄弟ユニット「Family~おかだ兄弟~」の長男・岡田健太郎さん(33)は昨年6月に、古民家が残る旧水流町(彦根市京町3丁目)に引っ越してきた。
 岡田さんは、米原市(旧山東町)出身。彦根東高時代から作詞・作曲活動を始め、卒業後は東京芸大に進学。同大卒業後、帰郷し、平成13年に二男の和宏さん(32)とユニットを結成した。2年後に再び上京し、作品がドラマの挿入歌に採用されるなど活躍した後、「地元の文化を守ることに貢献しよう」と思い、同20年秋に帰郷。今年5月に結婚を予定している佐々木友美さん(23)の通勤の都合で昨年6月から旧水流町に移り住んでいる。
 家は昭和初期ごろに建ったとされる4軒長屋の1軒。1階は前の持ち主によって改装されているが、格子窓や裸電球、ちゃぶ台などがあり、趣深い。外見と6畳2間の2階は建設当時のまま。「古い家に住みたい」との思いから市内の古い街並みを半年間探し回り、5月末に見学に訪れ、即決した。
音楽で皆さんと交流したい
 「古い家は、現在の材や建築法では出来ない良さがある」「また、ただ単に古いから良いというのではなく、その土地で長年培われてきた事に魅力がある」と話す。
 ユニット結成時は県外での活動が多かったが、次第に「滋賀県内の文化を守ることに貢献できないか」との思いが強くなり、「音楽活動を通じて、その地域の良さを滋賀県の人たちにアピールしていきたい」と意気込んでいる。
 家を探していた時や彦根に住み始めてから、高宮や芹橋地区、花しょうぶ通りなどの古い街並みのほか、市内の寺社仏閣も巡った。
 「彦根には魅力的な街並みが多く残っている。これからもそれぞれの地域で活躍している人たちと交流していきたい」と話している。

2009年11月13日金曜日

おうみの名工 木地師・大橋和夫さん

 滋賀彦根新聞は「おうみの名工」として知事表彰された受章者のうち、彦根市内の事業所で活躍する2人にインタビュー。今号では、大橋木工所代表取締役の大橋和夫さん(63)=高宮町=を紹介する。
 大橋さんは、高校卒業後から家業の仏壇木地製造業に就き、彦根仏壇の木地師の技を磨いた。30年ほど前に三代目となり、昭和63年12月には伝統工芸士に認定。業界の発展と後進の指導にも尽力している。これまでに彦根仏壇伝統工芸士会会長、彦根仏壇木地組合長を歴任した。
 外国産の参入で売上が低迷している彦根仏壇業界について、大橋さんは「引き継ぐ職人が少なくなっていることが心配」と嘆きつつ、「これからは仏壇だけでなく、それぞれの店や職人が独自の製品を考案していく必要があるのでは」と話す。
 大橋木工所では、奈良の寺院からの依頼をきっかけに、木製の納骨壇作りを始めた。主流のアルミ製ではなく、木製の納骨壇を求める声が増えているという。
 大橋さんは「納骨壇だけでなく、ほかにも色んな物を作っていきたい」と熱く語っている。