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2017年5月30日火曜日

浜松・龍潭寺の武藤全裕前住職と浜松歴女探検隊の武藤美知江さん「井伊直虎・直政」をテーマに彦根城博物館で講演

 静岡県浜松市の龍潭寺の武藤全裕・前住職と浜松歴女探検隊の武藤美知江さんが14日、「井伊直虎・直政」をテーマに彦根城博物館の能舞台で講演。博物館友の会の会員ら計116人を前に、直虎=男説や直政の武功などを取り上げた。
 講演会の前半では武藤美知江さんがNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」でこれまでに取り上げられた内容を紹介した上で「直虎は滅亡寸前の井伊家を救うために城主となった女性であり、いわば倒産寸前の会社を救った女性社長だと言える」と解説。
 直虎が出家して学んだ龍潭寺については、直虎と父・直盛の戒名から龍潭寺と命名された経緯を紹介しながら「当時のお寺は今の大学院のような場所で、建築・土木、栽培学など最先端の学びの場だった。直虎はそこで領主としての素養を身につけることができた」と説明。
 直虎が城主となったころの井伊家の状況としては、桶狭間の戦いで多くの戦死者を出したことから「人なし、金なし、物なし」の三重苦だったとし「直虎は領地の経営、財政再建、次期当主の育成に尽力した」と語った。
 昨年末から今年にかけて一部で「直虎=男説」が唱えられたことについては「女説の史料も男説の史料も(言い伝えを写した)二次史料であり、歴史の醍醐味(だいごみ)。新しい史料の発見は議論が深まるので面白い。ただ井伊家に女城主がいたのは事実であり、浜松では直虎=女説を四半世紀の間やってきたのでこれで良し」と話し、会場の笑いを誘った。
 後半では武藤・前住職が虎松(直政の幼名)が15歳の時の天正3年(1575)に徳川家康に仕えたころを取り上げ、「家康は虎松の父・直親が徳川家とのつながりの疑いで今川家に殺され、その子が虎松だったことを知った時は驚き、必ず立派に育てようと思ったのではないか」との持論を展開。その後の直政の武功を紹介した上で「井伊家はちょう落の時期があったものの、浜松で600年間、そして彦根で400年間続いてきた。井伊家の再興こそが直虎の最大の夢であり、良かった」と締めくくった。

2017年5月29日月曜日

琵琶湖周航の歌誕生から100年、6月下旬に県内で記念イベント、彦根港でも25、26日ひこね湖の子フェスティバル

 琵琶湖周航の歌が誕生して今年で100年目を迎えるため、来月末に県内各地で記念イベントが開催される。彦根市内でも6月25、26日に彦根港周辺で「ひこね湖の子フェスティバル」が開かれる予定(詳細は後日)。
 琵琶湖周航の歌は大正6年(1917)に、第三高等学校(現・京都大学)の水上部に在籍していた小口太郎が琵琶湖クルーに出ていた2日目の6月28日、今津の宿で琵琶湖をテーマにした詩を部員に披露。この詩を当時、学生の間で流行していた吉田千秋作の「ひつじぐさ」のメロディーに乗せて部員たちが歌ったのが始まりとされる。昭和46年にはシンガーソングライターの加藤登紀子さんが歌って大ヒットした。
 誕生100周年を記念し、記念式典が6月24日の午後1時~高島市民会館で第1部、同3時15分~今津港発着で船(ビアンカ)上トークやワークショップなどがある。彦根市内では25日にコンサート、琵琶湖周航の歌の合唱練習、釣り大会、模擬店、マルシェなどが開催。翌26日には関連地を巡る「なぞり周航」のボート出迎え、親子ヨット体験、琵琶湖周航の歌の合唱、漁船乗車体験がある。27日午前5時にはなぞり周航の出航見送りも。

2017年5月26日金曜日

彦根かるたの「お」往来に巡礼行きかう彦根寺

 彦根城築城410年祭に合わせて、滋賀彦根新聞では今号から、彦根かるたに登場する彦根城に関する内容のうち、主なかるたを紹介していく。初回は「お」のかるた「往来に巡礼行きかう彦根寺」から彦根寺の歴史を解説する。
 彦根城がある山は彦根山と呼ばれ、築城以前は山中に彦根寺などの社寺が建っていた。
 彦根寺の歴史は平安時代までさかのぼる。承暦3年(1079)に、摂津国の盲目の僧・徳満(とくまん)が奈良の長谷寺で祈祷をしていた際、夢の中に現れた老僧の助言を受けて彦根山西寺を訪れ、目が見えるようになったとの伝説が残る。
 以降も彦根寺は観音の霊験(れいげん)所として知られ、京都の貴族や庶民がこぞって参拝。内大臣だった藤原師通(もろみち)は寛治3年(1089)11月に彦根寺を参詣し、観音の霊験を得たとされる。また「霊験が今年限り」との噂が流れたため、摂政の藤原師実が12月15日に、そして白河上皇が22日に多くの供を連れて参拝したという。
 鎌倉時代の宝治2年~建長元年(1248~49)には彦根寺の中興開山の僧・義光が、落雷で燃えた彦根寺の大伽藍などを改築した記録が残っている。また建長8年8月に義光が彦根寺に入れたとされる法要などの際に使われる打楽器の銅鑼(どら)や鈸子(ばっし)が、百済寺(東近江市)に伝わっている。
 応永17年(1410)11月から翌年10月にかけては修験道(しゅげんどう)の祖・役行者(えんのぎょうじゃ)の像が作られ、彦根寺に安置。彦根寺が修験道と強く結びついていたことがわかる。その後、役行者像は北野寺(馬場1)に伝わったという。
 江戸時代初期に井伊直政の家臣だった花居清心が作成した「彦根古図」=写真は滋賀大附属史料館蔵の一部=には、彦根山に建つ彦根寺や門甲寺などの寺院、彦根寺につながる街道、世利川(芹川)、古城(佐和山城跡)、千代の宮、里根山なども記されている。慶長7年(1602)以前の彦根城築城前の景観を描いたとされる。
 (参考=彦根城博物館 歴史展示ガイドブック)

2017年5月20日土曜日

航空自衛隊のブルーインパルス6月4日に彦根城周辺の上空を展示飛行へ

 築城410年祭を記念し、航空自衛隊のブルーインパルスが6月4日午後1時ごろから約20分間、彦根城周辺の上空を展示飛行する。ブルーインパルスの飛行は県内初だという。前日3日の同時刻にはテスト飛行もある。
 ブルーインパルスは航空自衛隊の存在を知ってもらうため、航空祭や国民的な大きな行事などでアクロバット飛行を披露する専門チーム。正式名は宮城県松島基地の第4航空団に所属する第11飛行隊。
 機体は全長約13㍍、幅約9・9㍍、高さ約4・6㍍、重さ約3・7㌧で、2人乗り。最大速度は時速約1040㌔㍍・最大航続距離は約1300㌔㍍。青と白に彩られており、当日は6機がハートマークを描く「バーティカルキューピッド」や星型の「スタークロス」=写真は航空自衛隊提供=など約20種類ある演目のうち数種目を披露する。
滋賀県と彦根市が航空自衛隊に要請して実現した。ルートなど詳細は調整中で、近く発表される。
 金亀公園では午前10時から午後3時ごろまでステージイベントが開催。パイロットのトークショー、自衛隊の音楽隊による演奏、市内高校の吹奏楽部による演奏、7月から天秤櫓で開催の「関ヶ原」展のトークショーなどがある。飲食ブースなども設けられる。当日は午前9時から午後4時まで城内が交通規制されるほか、交通渋滞が予想されるため、彦根市では公共交通機関での来場を呼びかけている。なお悪天候時やドクターヘリが飛行する際は中止になる。

彦根りんごを復活する会7月に行う彦根りんご復活200年祭の開催費用を募るクラウドファンディング開始

 市民団体・彦根りんごを復活する会は、7月に行う彦根りんご復活200年祭の開催費用を募るクラウドファンディング(※)を開始。支援者には彦根りんごや木などの返礼品も用意している。
 彦根りんごは江戸末期から昭和初期にかけて彦根で栽培されていた和りんご。文化13年(1816)に、江戸付きの彦根藩士・石居泰次郎が帰郷した際、りんごの苗木200本を植え農園を開いたのが始まりとされる。明治・大正期も複数の農家が現在の彦根西高校周辺でりんご園を経営していたが、西洋りんごの普及により、昭和30年ごろに滋賀県護國神社(尾末町)付近にあった最後の一本が枯れて以降、彦根りんごは途絶えたとされる。
 平成15年5月に市民有志によって彦根りんごを復活する会が結成。全国に残っている和りんごや野生種の農園や研究所を訪れるなどして、彦根りんごに近い加賀藩種の枝を接ぎ木して増やしてきた。平成18年11月には中藪町の市有地約1900平方㍍を借り受けて農園を整備。「平成」、「文化」、「芹川」の3種の彦根りんごの苗木を育ててきた。同20年に初めて実をつけて以降、毎年夏に地域の子どもたちを集めて収穫祭をしている。
 復活する会では江戸時代に農園が整備されてから今年で200年が経過するのに合わせて、彦根りんごを全国に発信していこうと7月21日に市内で200年祭を企画。これまでの活動報告、全国11カ所の和りんご仲間によるサミット、交流会、記念植樹などを行う。
 クラウドファンディングは5000円コースと1万円コースを設定。支援者には200年祭への入場券、盆のお供え用として彦根りんごの実6個入りのパッケージ、彦根りんごの本を届けるほか、1万円の支援者には彦根りんごの木(1年木)も渡す。
 復活する会の尾本正和さんは「200年祭への参加を広く募ると共に、今シーズン収穫する彦根りんごを贈ることで、広く知って頂く機会にもしたい。皆さまからの応援をお願いしたい」としている。クラウドファンディングの彦根りんごのサイトはFAAVO滋賀のサイトから。アドレスは(https://faavo.jp/shiga/project/1993)。7月上旬まで募集。
 ※クラウドファンディング=プロジェクトやアイデアを持つ起案者が専用のインターネットサイトに概要や寄付を募る理由などを掲載し、共感した閲覧者から広く資金を集める仕組み。

彦根市 移住希望者を対象にしたツアー実施、歴史・子育て・自然などニーズに応じ

 彦根市は市内の人口増を目的に、移住希望者を対象にしたツアーを今年度中、実施している。
 出身地の大阪からひこね地域おこし協力隊員として昨年10月に移住してきた元滋大生の久保さゆりさん(25)=市企画課所属=が、彦根がどのような場所かをまずは把握してもらおうと企画。「自然豊かな所で子育てがしたい」「歴史を感じる城下町で暮らしたい」「彦根で自分の店を持ちたい」など、ニーズに応じて移住希望者とコースや日時を考え、久保さんと市職員が公用車に乗せて案内する。実際に各分野で活躍している市民との交流の機会を提供することもできる。
 久保さんは「移住を考えている人によって求めているものが違い、見たいポイントもさまざま。車を持っていないと見て回るのは難しく、単身では情報を収集するのも難しいと思い、企画しました」と話していた。日時は年末年始を除き、来年3月31日まで。参加無料だが、体験費や食事代は自己負担。20日前までに参加者(代表者)名、人数、住所、連絡先、希望日を記入しメール(ijusokushin@ma.city.hikone.shiga.jp)かファクス(22)1398で。問い合わせは市企画課の久保さん☎(30)6101。

2017年5月15日月曜日

彦根仏壇事業協同組合が甲冑作り開始へ、レンタルも受付

 彦根仏壇事業協同組合(宮川孝昭理事長)は、彦根のブランド作りの一つとして彦根商工会議所が中心になって進めてきた甲冑作りを、今年度から同組合で実施していくと発表。7日に古沢町の清凉寺で説明した。
 彦根商議所では、地域資源を生かして都市間競争を勝ち抜くまちづくりを目指し、同会議所会員や大学教員、歴史研究家ら31人で「ひこねブランド開発委員会」を平成26年9月に設立。そのうち、江戸時代に甲冑作りの地だった彦根仏壇街の職人の技を生かし、彦根藩二代・井伊直孝の甲冑を復元させるプロジェクトを平成27年度と同28年度に進め、試作品2体を完成させた。そのうち滋賀県板金工業組合のおうみの名工と彦根仏壇の職人が共同で作った高価な方の1体は彦根城の天秤櫓に展示されている。
 彦根仏壇事業協同組合では彦根商議所が進めてきたプロジェクトの経験を引き継ぎ、今後は同組合が主体となって甲冑を製造し販売していく。試作品と同じように、装飾や縫製の部分を仏壇七職のうち塗師、箔押師、錺(かざり)金具師、木地師の四職が担う。
 試作品にかかった経費は高価な方が約586万円だったが、もう1体が漆塗りの回数を減らしたり、革の部分を代替品にしたりして経費を抑制し、約150万円で実現。同組合でも約150万円で販売する予定。1体の製造期間は約4カ月かかる。今年度は5体を販売し、反響を見た上で増産していく。またレンタルも受け付けている。
 7日の説明の場には大久保貴市長や一八代の井伊直岳さん、宮川理事長、彦根商議所の中川哲副会頭らが出席。歴代藩主への読経などを行った。宮川理事長は「この甲冑作りで彦根仏壇の振興と技術の存続を図っていきたいと思います」と話していた。
 問い合わせは同組合☎(24)4022。

旧彦根藩士だった庵原家の末えいが「自分史 外濠」を発刊

 江戸時代に旧彦根藩士だった庵原(いはら)家の末えいの庵原一男さん(74)=本町2=がこのほど、庵原家についてまとめた「自分史 外濠」を発刊した。
 庵原さんによると、庵原家は駿河国庵原(現・静岡市清水区)出身。戦国時代は今川家に属していたが、永禄3年(1560)の桶狭間の戦いで今川義元が討たれて以降、庵原一族は全国各地に離散。江戸期の彦根藩には庵原さんの祖先の源八郎家の初代・源左衛門が二代の井伊直孝に仕え、普請奉行や勘定奉行などを務め、幕末には110石取りだった。同じ家柄の庵原助右衛門家は筆頭家老の木俣家に次ぐ上級の彦根藩士で6000石の時期もあったという。
 庵原さんの祖父の操は明治37年(1904)の日露戦争に従軍した後、同43年に彦根で履物商を始め、昭和9年に彦根城の旧外堀が埋め立てられると、現在地に移り「履物店つるや」の屋号で商売を開始。店は平成2年に廃業した。父親の捨雄さんが平成7年に死去した後、庵原さんは遺品の中に庵原家についての資料を見つけ、翌年から静岡の発祥の地や本家、寺などを訪れたり、庵原家について書かれた資料を読んだりして本にまとめた。
 本では、発祥の地や井伊家に仕えるまでの庵原家、江戸時代の源八郎家、幕末から現代までの庵原家をまとめているほか、「思いでのアルバム」もカラー写真で載せている。B6判、97ページ。
 庵原さんは「今後は上級の彦根藩士だった助右衛門家をはじめ、庵原家の全体についても研究を進めていきたい」と話している。希望者には1000円で販売。問い合わせは庵原さん☎(24)1673。 

2017年5月2日火曜日

彦根城の西の丸三重櫓の白壁が昨年末からはがれたままに

 重要文化財の彦根城の西の丸三重櫓の白壁が昨年末からはがれたままになっている。琵琶湖の方向からもはがれた状態が確認でき、早急な修理が必要な状況だ。
 はがれているのは三重櫓1階部分の琵琶湖側の北西部。市教委文化財課によると、強風によって小範囲ではがれているのを昨年12月9日に確認。その後、はがれた範囲が広がり、現在はその広さが約4平方㍍になっているという。
 滋賀大学やカインズの方向からもはがれた状態が目立っており、市民からは「せっかくの重要文化財なのにみすぼらしい」との声があがっている。
 すでに文化財課にも複数の市民から報告が入っており、同課の担当者は「文化庁などへの手続きを経て、観光客が落ち着く6月にも修理にかかりたい」としている。

来年度から新しい船になる学習船「湖の子」の今年度最初の出航式

 来年度から新しい船になる学習船「湖(うみ)の子」の今年度最初の出航式が25日に彦根港であり、彦根市立の3小学校の児童たちを乗せた湖の子が保護者の見守る中、出港していった。
 湖の子の学習は、滋賀県内の子どもたちに船上で宿泊しながら、琵琶湖の生物や環境などを実験や体験を通して学んでもらおうと実施。昭和57年秋から船の製造が始まり、翌年2月の起工式を経て、この年の8月2日に「びわ湖フローティングスクール」として開校した。これまでに県内の小学5年生を対象に52万人以上が参加している。
 今年度最初のスクールには城西小、城北小、亀山小の児童計141人と引率教員の14人が乗船。出航式で県立びわ湖フローティングスクール(大津市)の青木正士所長が「琵琶湖の水や生物のことを学んで、驚いたり、疑問に思うことを大切にしてほしい」とあいさつ。市教委の善住喜太郎教育長が「琵琶湖からの故郷の風景を目に焼き付けながら、琵琶湖の環境について真剣に考えて欲しい」と激励。児童を代表して城北小の大塚康太郎君(10)は「2日間、城西小、亀山小の皆さんと仲良くしたい。『湖の子』で楽しみながら学習できるようがんばりたい」と話していた。その後、保護者らがスカーフを振って見守る中、児童たちは1泊2日の旅に出航していった。
 現在の湖の子は35年が経過し、電気配線や配管などが老朽化しているため、新しい船が約30億5000万円をかけて広島の造船所で製造中。来年3月16日に竣工式が行われる予定で、5月から新しい湖の子が船出する。なお現在の湖の子は来年3月1日までの全96回のスクールを終えると、「引退」となる。

次期市政の懸念材料

 彦根市長選が終わり、連休明けから次期市政がいよいよ始まるが、この4年間の先行きに対して極めて憂慮しているのは小生だけではないだろう。
 まず1点目は財政面だが、大久保市長は選挙時や当選後の会見で「財政は改善している」「財政は極めて健全で、市民には説明が不足している」と強調していた。だが、経常収支比率(地方税など毎年の収入に対して人件費など固定の支出が占める割合)は平成27年度決算時で91・9%と、前年度より悪化しており、県内13市で見ると、湖南、栗東に次ぐ3番目の悪さで、硬直化が進んでいる。
 また実質公債費比率(一般財源のうち借金の返済にあてる割合)は平成18年度決算時の23・3%から同27年度時の8%まで改善しているものの、全国の同規模の自治体と比較した順位は31団体中21位となっている。市の財政課も予定している大規模事業を進めれば、実質公債費比率が悪化するとしている。
 さらに財源不足を補える財政調整基金の残高は平成27年度末の約50億円から、同33年度末には約12億円になる見通しで、市長選の新人候補は今年度予算での同基金の取り崩し額が計画を8億円上回ったことなどから「(33年度末には)4億円しか残らない」とも主張していた。この状況下で、新しい市民体育センターの建設、市立図書館の設置、広域ごみ処理場の新設、インフラ整備、稲枝駅西口開発などの大規模事業が相次ぐことを考えると、市の財政面を危惧せざるを得ない。
 2点目は首長としての資質の面だが、1期目の4年間を通して、大久保市長は率先型・主導型ではなく、調整型・協調型であることがわかった。しかし、2期目の4年間は1期目のように○○協議会や○○委員会任せでは進むべき施策も停滞する恐れがある。率先・主導すべき施策には政治家らしい英断を発揮するべきだ。
 3点目としては市長選時に新人の候補者2人や陣営が「犬上郡の有力者」との繋がりを指摘していた点である。その有力者とは豊郷の大野和三郎県議のことだが、滋賀彦根新聞では市長選中の19日付けで大久保市長と大野県議との「蜜月ぶり」を紹介していた。小生は大野県議と何度か会っており、彦犬地区のインフラ整備などに尽力していることも存じている。だが、市民の間には大野県議が豊郷町長時代に旧豊郷小学校を解体するか否かでマスコミを賑わせたイメージが根強く残っているのも事実だ。
 以上、今後4年間の市政における大きく3点の懸念材料をあげたが、大久保市長には1期目とは異なる先導型の首長に転換し、彦根をより良き街にして頂きたいと強く願う今日この頃である。【山田貴之】