彦根城築城410年祭に合わせて、滋賀彦根新聞では今号から、彦根かるたに登場する彦根城に関する内容のうち、主なかるたを紹介していく。初回は「お」のかるた「往来に巡礼行きかう彦根寺」から彦根寺の歴史を解説する。
彦根城がある山は彦根山と呼ばれ、築城以前は山中に彦根寺などの社寺が建っていた。
彦根寺の歴史は平安時代までさかのぼる。承暦3年(1079)に、摂津国の盲目の僧・徳満(とくまん)が奈良の長谷寺で祈祷をしていた際、夢の中に現れた老僧の助言を受けて彦根山西寺を訪れ、目が見えるようになったとの伝説が残る。
以降も彦根寺は観音の霊験(れいげん)所として知られ、京都の貴族や庶民がこぞって参拝。内大臣だった藤原師通(もろみち)は寛治3年(1089)11月に彦根寺を参詣し、観音の霊験を得たとされる。また「霊験が今年限り」との噂が流れたため、摂政の藤原師実が12月15日に、そして白河上皇が22日に多くの供を連れて参拝したという。
鎌倉時代の宝治2年~建長元年(1248~49)には彦根寺の中興開山の僧・義光が、落雷で燃えた彦根寺の大伽藍などを改築した記録が残っている。また建長8年8月に義光が彦根寺に入れたとされる法要などの際に使われる打楽器の銅鑼(どら)や鈸子(ばっし)が、百済寺(東近江市)に伝わっている。
応永17年(1410)11月から翌年10月にかけては修験道(しゅげんどう)の祖・役行者(えんのぎょうじゃ)の像が作られ、彦根寺に安置。彦根寺が修験道と強く結びついていたことがわかる。その後、役行者像は北野寺(馬場1)に伝わったという。
江戸時代初期に井伊直政の家臣だった花居清心が作成した「彦根古図」=写真は滋賀大附属史料館蔵の一部=には、彦根山に建つ彦根寺や門甲寺などの寺院、彦根寺につながる街道、世利川(芹川)、古城(佐和山城跡)、千代の宮、里根山なども記されている。慶長7年(1602)以前の彦根城築城前の景観を描いたとされる。
(参考=彦根城博物館 歴史展示ガイドブック)
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