2017年6月28日水曜日

彦根城下町遺跡 認定へ

 彦根市は彦根駅西側から彦根城中堀までのエリアを「彦根城下町遺跡」として、県からの認定を目指している。
 市教委文化財課の議会答弁や本紙の取材によると、市教委は彦根の城下町を遺跡として保護することで、彦根城と城下町の価値を更に高めようと、文化財保護法で定める「土地に埋蔵されている文化財(通称・周知の埋蔵文化財包蔵地)」としての認定を約3年前から目指してきた。
 彦根城下町遺跡の範囲は東西が彦根駅西口から中堀まで、南北が池州町までの芹川からお浜御殿など松原地区までの約230㌶。足軽屋敷、七曲り通りなどは入るが、旧松原内湖の県立彦根総合運動場は含まない。
 市内には周知の埋蔵文化財包蔵地が207カ所あり、彦根城下町遺跡内に位置する旧外堀もその一つ。ほかに佐和山城跡(約200㌶)や荒神山古墳群(約240㌶)もある。全国では姫路城、金沢城、松本城、松江城の城下町が周知の埋蔵文化財包蔵地になっている。
 市教委はすでに発掘調査を終えた旧池田屋敷長屋門や辻番所の調査成果を今年3月3日付けで県教委に届け出ており、今年夏中には彦根城下町遺跡として認定を受ける運びだという。
 認定されると、範囲内で工事など掘削行為が必要な開発には市への届け出が必要になるが、市教委は「史跡のように掘削行為や新たな建物の建設ができなくなることはない」としている。議会では議員が住民の生活への影響や世界遺産との関係性などを質問。市教委は「保存する必要がある遺構が見つかれば、保存の協議をするが、基本的には記録保存を行い、調査後は着工していただける」、山根裕子副市長は「世界遺産とは直接的に関係なく、城下町全体を構成資産にすることはまったく考えていない」と答えた。

明照寺 松尾芭蕉の弟子・李由が住職、井伊直孝時代には彦根城の守護も

 彦根城築城410年祭に合わせて、滋賀彦根新聞が連載している「彦根かるた巡り」。第2弾の今号では「か」の「笠塚に芭蕉をしのぶ明照(めんしょう)寺」を取り上げる。       【山田貴之】
 彦根市平田町の明照寺は俳人・松尾芭蕉の弟子の河野李由(りゆう)が第十四代住職を務めた寺で、彦根藩二代・井伊直孝の時代には直孝留守中の彦根城の守護を任じられるなど藩とのつながりも深かった。
 元々は明徳4年(1393)に本願寺派の寺として犬上郡後谷村(多賀町)に築かれたが、延徳2年(1490)に彦根の山之脇の地に移転。天正元年(1573)に織田信長が浅井長政の小谷城を攻めるため、琵琶湖上を北上している際には、当時の十代住職だった了縁が石寺の城から明照寺の一門衆らと一緒に信長軍を攻撃した。信長の怒りを買った了縁はその年の8月に26歳の若さで自害している。
 十一代の了宗は慶長4年(1599)に寺を現在地に移転。大坂の陣が起こり、井伊直孝が出陣する際には、河瀬の法蔵寺、豊郷四十九院の唯念寺、薩摩の善照寺と共に留守中の城内庶務、大坂方や隣国の一揆からの防護という重要な任務を依頼された。
 十四代の亮隅(河野李由)の時代の元禄4年(1691)には芭蕉が明照寺を訪れ、平田の地に移転して約100年が経過することから「百歳(ももとせ)の景色を庭の落葉かな」とうたい、その句碑が門の前に建っているほか、亮隅が師を慕って設置した笠塚も庭に残っている。亮隅は元禄14年(1701)に本堂を再建している。
 明照寺は本堂、書院、経堂、鐘楼、手水舎、門、太鼓門などが建っており、そのうち鐘楼が元文2年(1737)、門が宝暦10年(1760)に建てられたとされ、華やかな意匠の彫刻も見られる。かつては末寺60、門徒約8000の規模を誇る本願寺派の別格別院で、境内は約2万平方㍍の広さだったとされるが、現在は約1万0477平方㍍になっている。本堂と書院は昭和58年8月25日に火災で焼失したが、同61年11月に再建。庭園はほぼ江戸期の形式のままで、昭和48年に市の指定文化財になっている。現住職は二十四代の六雄(むつお)照慶さん(55)。

「近江ビア電」の運行と「近江ビア船」の運航が7月から

 近江鉄道グループによる「近江ビア電」の運行と「近江ビア船」の運航が7月から始まる。
 ビア電は7月5日から8月6日までが毎週水曜~日曜、8月8日から9月2日まで(11~16日除く)が毎週火曜~日曜に運行。彦根駅、近江八幡駅、八日市駅の発着のいずれか。
 ビア船は7月1日から9月9日までで、木金曜が彦根港午後6時半発、土曜が同午後5時15分発、長命寺港午後6時20分発の日もある。
 以下、ビア電・ビア船ともキリン一番搾り生ビール、バドワイザー、缶チューハイ、ソフトドリンクが飲み放題、近江の特産料理付きで20歳以上3500円、小学生以上の未成年1500円。30人以上の団体なら貸し切りも可。カツサンドやローストビーフサラダの予約可。抽選会がある日もある。申し込みは予約センター☎(24)8103。

2017年6月22日木曜日

琵琶湖周航の歌の誕生100周年を記念し、彦根港で開かれるひこね湖の子フェスティバルのイベント内容決まる

 琵琶湖周航の歌の誕生100周年を記念し、彦根港周辺で25、26日に開かれる「ひこね湖の子フェスティバル」のイベント内容が決まった。
 琵琶湖周航の歌は、第三高等学校(現・京都大学)の水上部に在籍していた小口太郎が琵琶湖クルーに出ていた2日目の大正6年(1917)6月28日に、今津の宿で琵琶湖をテーマにした詩を部員に披露。この詩を当時、流行していたメロディーに乗せて部員たちが歌ったのが始まりとされる。
 琵琶湖周航の歌100周年事業実行委員会では24日に高島市内で記念式典を開き、以降も彦根港など県内各地で関連イベントを開催。24日から27日にかけては歌詞に登場するゆかりの地をボートで巡る「なぞり周航」も行われる。
 ひこね湖の子フェスティバルは市民有志による実行委員会が主管し開催。25日は午前8時から午後5時まで、模擬店やマルシェ、ギネス記録10周年記念コンサート(午前10時~午後4時半)、親子釣り大会(受付は午前8時~同11時・参加無料・釣り具貸し出し)、フィッシング教室(午後1時~・200円)、親子ヨット体験(午前10時~と午後1時~・無料)、親子漁船体験(午前9時~)、周辺清掃(午後4時~)など。
 26日は午後0時半出航で湖上からなぞり周航のボートを出迎える「竹生島クルーズ」、午後6時~琵琶湖の夕日を見ながら合唱する式典。27日午前5時に出航を見送る。小雨決行。詳細はフェスティバルのブログに。
 琵琶湖周航の歌は大正6年に作られた後、歌詞が補完され、翌7年に現在の6番までの歌詞になった。
 昭和48年には第三高等学校水上部の琵琶湖周航80周年を記念し、1番の歌詞の地の三保ヶ崎(大津市)に「われは湖の子」碑が建立。その後も、今津、竹生島、雄松、長命寺に建てられ、最後の彦根には第三高卒業生らによって平成17年10月に建立。彦根港の船着場の奥には彦根の歌詞のほか、6番までの歌詞と琵琶湖周航の歌について解説した計3つの石碑がある。
 日本郵便近畿支社はオリジナル切手「琵琶湖周航の歌100周年記念」を県内の郵便局で販売している。歌詞に登場する彦根城などの県内各地の風景写真や、作詞した小口が乗る舟の古写真など写っている82円切手10枚セット。1シート1300円。郵便局のネットショップでも後日販売。

築城410年祭を記念し顔出し看板が登場

 50回目のひこねで朝市が18日に県護国神社で行われ、約650人が来場した。今回は19店舗が出店したほか、築城410年祭を記念し、顔出し看板がいろは松前に登場し、観光客らが記念撮影に収めていた。
 顔出し看板は朝市の実行委員会が彦根城築城410年祭の市民創造事業の一環として企画。平成24年9月の1回目から出店している長浜市のあやべとうふ店の店主・綾部徹郎さん(49)が製作を担当し、182㌢四方の板に江戸時代の魚売りの男性と購入しに来た女性を描いた。背景には彦根城天守のほか、飛び出し坊ややサラダパンで有名なつるやパンなども登場している。今後は微調整をして来月以降の朝市でも設置する予定。この日の午後には天秤棒をかついで朝市の品物を販売するイベントも催された。

2017年6月20日火曜日

滋賀県立大学などで日本語や日本文化を学んでいる米国の留学生が狂言を体験

 滋賀県立大学などで日本語や日本文化を学んでいる米国の留学生たちが14日、彦根城博物館の能舞台で狂言を体験した。
 米国国務省教育文化局では人材育成と外国語の教師作りを目的に、米国内から選抜した学生たちに世界14の言語を学ばせるCLSプログラムを実施。「日本語」には2015年度から18年度まで滋賀県立大学が選定され、今年度は応募者約500人から選ばれた24人が来日し6月5日から彦根市内に滞在している。
 留学生たちは滞在する約2カ月間のうちホームステイとアパートで1カ月間ずつ交代しながら過ごしており、日本語教育の専門家による週20時間ほどの日本語と日本文化の学習のほか、囲碁や折り紙などを体験。この日は彦根城を見学した後、多賀町教委の職員で狂言師の山本豪一(ひでかず)さんを招いて狂言を学んだ。
 山本さんから「能舞台に描かれている松の絵はめでたい意味がある」「足の裏を舞台から放さずにすり足で歩く」など、狂言の歴史や所作について聞いた後、留学生たちは実際に能舞台に上がり、山本さんの手本に続いて歩き方や笑い方、泣き方を体験。その後、事前に練習してきたせりふを用いて、狂言の一場面を一人ずつ実演していた。
 体験後、留学生からは「(狂言が始まった)約650年前からせりふは変わっていないのか」「新しい狂言はあるのか」などの質問があり、山本さんは「せりふや所作は変わっておらず、先代から引き継がれてきた。昔の演目は254曲あり、明治時代以降では約100曲ある」と答えた。
 大学院3年生のパオロ・メニュエーさん(29)は「彦根は自然豊かで美しい素敵なまち。能舞台は木の香りがし、不思議な雰囲気だった。狂言はユーチューブなどで見たが、実際に体験すると難しく、狂言師を尊敬したい」と話していた。
 留学生たちは今後、県立大で学びながら、陶芸や書道、茶道、江州音頭の踊りなども体験。7月28日に終了式がある。

城西小学校で緑のカーテン講習会 ゴーヤ先生が講師、ひこにゃんとビバッチェくんも見守る

 彦根市立城西小学校で12日、「緑のカーテン」の育て方講習会があり、京都府福知山市のゆるキャラのゴーヤ先生が講師として来校し、5年生に育て方を教えた。ひこにゃんとビバッチェくんもゲストとして訪れ、講習会の様子を見守った。
 地球温暖化や省エネルギー対策に役立つ緑のカーテンについて学んでもらおうと、彦根市と福知山の市民団体・福知山環境会議が共催。前日のビバシティ彦根での講習会に続いて行われた城西小では、話すことができるゴーヤ先生が講師となり児童68人に教えた。
 前半の講座は室内でゴーヤ先生が5つの約束として▽ゴーヤの気持ちになって植えましょう▽協力して水やりをやりましょう▽10日に1回、肥料をあげましょう▽(先端の芽を摘み取る)摘芯をしましょう▽夏休みまでに花と小さな実を取りましょう―を教えた。
 後半は保健室前の屋外で、児童たちが5、6人ずつに分かれてプランター12個に肥料と土を入れ、水やりをした後、ひこにゃんらが見守る中で苗を植えた。児童の上田心音さん(10)は「ゴーヤ先生との5つの約束を守って大切に育てていきたい。大きく育ってほしい」と話していた。

2017年6月17日土曜日

不動産に関する問題について弁護士や司法書士ら専門家の合同相談会24、25日に彦根市民会館で

 相続や贈与など不動産に関する問題について弁護士や司法書士ら専門家が対応する合同相談会が24、25日の両日、彦根市民会館2階で開かれる。
 小泉町の司法書士法人equal(イコール)や草津市の税理士法人GrowUpなどが昨年9月に設立した一般社団法人「滋賀士業相談センター」が企画。
 対象は相続、遺言、贈与、売買、アパート賃貸、不動産評価の鑑定、境界問題など不動産に関する相談。同センターの2団体の司法書士、行政書士、税理士、土地家屋調査士、公認会計士のほか、石田法律事務所(本町)の弁護士、住友不動産彦根営業所(高宮町)の一級・二級建築士、第一不動産鑑定所(大東町)の不動産鑑定士、大坪FP事務所(草津市)のファイナンシャルプランナーの計6団体、14人が対応する。
 相談無料。同センター代表でequalの馬場真作さん(35)は「不動産に関するどんな悩みでも解決できると思います。何から聞いたら良いのかわからない方でも気軽に来てください」と話している。
 両日とも午前10時~午後4時45分。予約制。問い合わせは事務局のイコール☎(24)5131。

2017年6月16日金曜日

チョウ類の収集家・布藤美之(みゆき)さん標本2万5786点を琵琶湖博物館に寄贈、三日月大造知事から感謝状

 チョウ類の収集家として知られる彦根市岡町の布藤美之(みゆき)さん(87)がこのほど、標本2万5786点を琵琶湖博物館に寄贈し、三日月大造知事から感謝状が贈られた。収集歴は70年以上だという布藤さんにチョウの魅力などを聞いた。(山田貴之)
 布藤さんは動植物が好きだった祖父の影響で、幼児期から昆虫を捕るのが好きだったといい、県立彦根中学校(彦根東高)時代から滋賀師範学校(滋賀大教育学部)にかけては彦中昆虫同好会などの団体で昆虫について学び、小中学校の教員になってからも日本鱗翅(りんし)学会に入ってチョウなどの研究に没頭。学校の夏休みなどを利用し、珍しいチョウが多い八重山諸島や台湾にも出かけた。チョウの魅力について布藤さんは「飛んでいる姿を見ると、ほっとする」と笑顔で話していた。
 本格的にチョウの収集をするために、定年を前にした58歳の時に教員を退職。以降、八重山諸島に1週間ほど滞在したり、台湾に計10回ほど出かけたりして収集と標本作りに励んだ。採集のほか、飼育、収集家同士の交換、購入でその数が増え、チョウを中心に国内の昆虫は約443種の1万7573点、東南アジアや北米、南米、アフリカなど海外の昆虫は約1824種の約8213点になった。
 中には滋賀県レッドデータブック2015年版で絶滅危惧種になっているギフチョウやクロヒカゲモドキをはじめ、絶滅危機増大種や希少種のチョウがあり、布藤さんによると先輩から譲り受けた約100年前のチョウもあるという。
 自宅では幅50㌢×30㌢×高さ約5㌢の標本ケース360箱をタンス9本に入れて保管してきたが、最近は足が不自由になり、世話がしにくくなったため、今年3月に琵琶湖博物館に寄贈。布藤さんは「大事に保管して頂き、子どもたちや若者の役に立てて欲しい」と話していた。琵琶湖博物館によると、滋賀県最大級の昆虫標本コレクションだといい「貴重な標本を後世に引き継ぐため、大切に保管し、研究や展示などで活用していきたい」としている。

2017年6月13日火曜日

エクス・マルセイユ大学教授のニコラ・フォシェールさん世界からみた彦根城と城下をテーマに彦根城博物館で講演

 ヨーロッパの城郭建築の専門家でエクス・マルセイユ大学教授のニコラ・フォシェールさんがこのほど、「世界からみた彦根城と城下」をテーマに彦根城博物館で講演。世界遺産登録を目指す彦根のまちの魅力などを話した。
 ニコラさんはフランスのヴォーバンの要塞群の世界遺産登録に尽力し、平成28年度からは彦根城の世界遺産に向けて国外の資産との比較研究で協力している。
 講演会でニコラさんはすでに世界遺産に登録されている姫路城との違いとして、彦根に城下町が残っている点に触れた上で「彦根は水と関係が深いまちであり、防衛的な機能、3つの堀を使った町割り、米などを運ぶ交通手段、産業活用など水が色んな役割を果たしていた」と説明。「水と森林の緑の美しさを備えた自然と文化が出会う場所であり、一言で表すと『ハーモニー(調和)』だ」と述べた。
 城を中心に3つの堀を巡らせて同心円的に作られた江戸時代の町割りについては「軍事的、政治的、行政的な革命で誕生したまちであり、世界的に見てもほかにはない特徴だ」と紹介。「彦根の城下町が今まで残っているのは建物の高さなど規制が設けられてきたためだろう」と語った。
 最後にニコラさんは「金沢の町家と比べると規模が小さいかもしれないが、彦根城の城下町の遺産一つ一つの保存状態が良く、世界遺産にふさわしいまちだと言える」と話した。
 ニコラさんの講演会は市が企画し市民88人が来場。講演後の質問時間では市民の一人から「彦根城や城下町を整備する際に芹川も付け替えられており、水の視点で世界遺産の議論に取り入れるのも重要」との提言もあった。

親同士がお見合いをする結婚支援フォーラム28日にホテルサンルート彦根で

 子どもに代わって親同士がお見合いをする「結婚支援フォーラム」が28日午後1時20分からホテルサンルート彦根(旭町)で開かれる。
 旧湖北町(長浜)出身の脇坂章司さんが立ち上げた一般社団法人「良縁親の会」(京都市下京区)の主催で、親同士が身上書を交換し合ってお見合い相手を探す。お見合いや成婚時の報告義務、成婚報酬などは発生しない。
 彦根市や長浜市をはじめ全国でフォーラムを開催し、2005年の開始以来、参加者は2万4000人を超えている。
 定員は先着80人(50歳位までの独身の子を持つ親のみ)。参加費1人1万1000円。申し込みは20日までに同会☎075(213)0506へ。

2017年6月12日月曜日

中川啓子さん曽祖父で姫路藩士だった笠原三平と江戸時代後期の徳川幕府の動向を取り上げた小説・慶喜と三平を発刊

 彦根市芹川町の作家・中川啓子さん(76)がこのほど、曽祖父で姫路藩士だった笠原三平(1841~1914)と江戸時代後期の徳川幕府の動向を取り上げた小説「慶喜と三平」を発刊した。
 三平は江戸の姫路藩巣鴨藩邸で天保12年に生まれた。本は第1章「三平お塾へ通う」で、5歳になった三平が武門入りの当日に父親の姫路藩士・笠原兼久と会話するシーンから始まる。第3章の「大政奉還いざ京へ」では上京時に中山道を通った際の彦根藩の様子も紹介。「鳥居本宿の中山道沿いの古い街道は虫籠(むしこ)窓や紅殻の塗られた格子戸の家が軒を並べて風情がある」「(赤玉神教丸の製造元・有川家は)入母屋造りの大きな家屋で、縁台に座っている旅人に薬茶を無料で振る舞っている」と記し、彦根城へつながる彦根道や湖東焼も登場する。また姫路藩の九代藩主・酒井忠惇(ただとう)や三平が彦根城に立ち寄り、琵琶湖上の多景島を見ながら、井伊直弼や江戸時代初期に彦根藩にあった小早船(こばやぶね)の歴史を振り返るシーンも出てくる。
 以降、「大坂城の光と影」「錦の御旗」「嵐に向かう開陽丸」「駿府へ」と時代が移り、徳川家が薩長の新政府軍に追い込まれていく江戸時代後期の様子を紹介。鳥羽伏見の戦いで敗北した慶喜が開陽丸で逃げるのに同行した三平が「何故、戦わないのでしょうか」「お逃げになられるくらいなら、自決なさればいいのでは」と迫る場面では、慶喜が「本当は戦いたいのだ。しかし、外国(親徳川のフランス)を巻き込むことはできない」「私の死は終わりのない死の連鎖を招くだけだ。臣下を守るためには私は死んではいけないのだ」と返答。「将軍たる者、(中略)民の家族の平和を守ることだ」と、慶喜の将軍としての使命感を表している。
 三平は慶喜が亡くなった大正2年(1913)11月22日の翌年2月8日に72歳で死去している。中川さんは笠原家に残る古文書や姫路城史などを参考に小説化。三平の思いについて、中川さんは「慶喜が敵前逃亡したのではないことを曽祖父は伝えたかったのだと思う。小説でもその点を重視して書きました」と話している。発行はぎほり舎(芹川町)。157ページ、1300円(税抜き)。銀座町の太田書店とアマゾンで販売。問い合わせはぎほり舎(47)6062。

 滋賀彦根新聞は中川さんの小説「慶喜と三平」を3人にプレゼントします。住所、郵便番号、氏名、年齢、連絡先を記入し、12日(消印有効)までに応募してください。当選者の発表は発送をもって代えさせて頂きます。

寺村邦子さん2年前の著書の改訂版この指、とまって~!!ギネスのくんちゃん奔走記を発刊

 ギネス記録の挑戦イベントの主宰者として知られる彦根市尾末町の寺村邦子さん(62)が、2年前の著書の改訂版として「この指、とまって!!ギネスのくんちゃん奔走記」を発刊した。本の収益金は東日本大震災の被災地支援に活用される。
 寺村さんは、彦根城築城400年祭に合わせて鳥居本駅で行った平成19年3月23日から31日までの182時間コンサートで初めて彦根でのギネス記録を達成。以降、毎年のように市内でギネス記録の挑戦イベントを開催し、昨年4月17日の忍者の格好をした人数とカロムの玉を並べる挑戦を入れて、これまでに11回成功させている。
 平成27年9月に発刊した1冊目の本を読んだ市民らの意見を参考にして文章を改めたほか、昨年4月のギネス成功の内容を追記。デザインや表紙も改訂した。
 2冊目の本では第1章で182時間コンサートのきっかけにもなった音楽会について説明。第4章の「東日本大震災に負けたくない」では宮城県石巻市で水没後に復活し、寺村さん宅に届けられたピアノを使って挑戦した様子をまとめている。第5章の「ギネスルール、変やわ」では忍者の姿を着ての挑戦が2回失敗したことの悔しさ、第6章の「心をつなぎ、未来に伝言を」では失敗が続いた後、寺村さん自身について取り上げられた冊子を目にした時や大学生からの激励の言葉で再挑戦を決意したエピソードを取り上げている。本紙記者の名も登場している。
 本はB6判のカバー付き、185ページ。寺村さんは「感謝と感動の思いを込めて、この本を多くの皆さまに届けたい」とした上で、「今月初めに石巻を訪れたが、被災地はまだまだ復興できていない。東北の復興を願って義援金を募りたい」と語っていた。
 本の価格はなく、カンパ制。収益金は被災地への義援金として活用される。問い合わせは寺村さん☎090(5152)3918。

2017年6月9日金曜日

彦根城博物館が江戸時代の大洞弁財天とその周辺の景観描いた絵図など購入

 彦根城博物館はこのほど、江戸時代の大洞弁財天(古沢町)とその周辺の景観を描いた絵図などを購入したと発表。
 大洞弁財天は彦根城と彦根藩領の安寧を祈願するため、彦根藩四代当主・井伊直興によって元禄8年(1695)から翌年にかけて建立された。
 絵図には元禄9年に建てられた弁財天堂、阿弥陀堂、宝蔵(ほうぞう)、楼門(ろうもん)が描かれている。いずれの建物とも現存しており、配置も一致している。ただ、元禄12年に建てられた経蔵(きょうぞう)と安永4年(1775)に建立されたという奥の院は絵図に描かれていない。
 大洞弁財天の周辺には、隣接する龍潭寺や清凉寺のほか、愛宕(あたご)社、松原内湖、対岸の彦根城と城下、松原村の砂浜、虫(物生)山、磯村が描かれている。また大洞弁財天のふもとには「茶店」や、番人を務めた「七人番衆」の屋敷も記されている。
 絵図に描かれている景観の年代としては、愛宕社の地に寛政10年(1798)に着工され、文化4年(1807)に完成した仙琳寺が描かれていないことから、元禄9年から寛政10年までの約100年間のいずれかの年だとみられる。作者は不明だが、絵図の裏面には当時の所有者とみられる大坂の町人・木村蒹葭堂(けんかどう)が自筆で「彦根大洞弁財天図」と記した題簽(だいせん)が貼られている。彦根城博物館は昨年3月に古書店から購入。江戸時代の大洞弁財天を描いた絵図が確認されたのは初めて。
 ほかの購入品は、彦根藩士の居住区だった内曲輪(内堀と中堀の間)から外堀までの藩士名・石高・家紋・馬印と思われる絵が記された文化11年(1814)5月11日から12月22までの家並(やなみ)帳、18世紀後半の彦根城下の家並絵図、大洞にあった彦根藩の火薬庫を示す御塩硝(ごえんしょう)蔵の実測地図、寺院の位置を目的にしたとみられる彦根城下全体を描いた18世紀の絵図など。

井伊直孝と小早船

 今号から彦根市芹川町の作家・中川啓子さん(76)が、あまり知られていない彦根などの歴史を不定期で紹介していく。初回は彦根藩二代・井伊直孝公の時代に運航されていた小早船(こばやぶね)に関する逸話。
 起工して二十年目の元和八年に完成した《金亀(こんき)城》と呼ばれる彦根城は三方が琵琶湖の入江によって囲まれ、一方のみが平野に連なって周囲約一里に及ぶ大城だ。琵琶湖の湖上権も握り、城下には兵船をつなぎ《小早船》といって井伊家自慢の二十四丁艪(ろ)の早船を備えた。
 この小早船が井伊直孝を救った話がある。
 寛永十一年七月六日、三代将軍家光がご上洛の時、彦根城に立ち寄られて一泊する。
 直孝は家士の婦女子たちを近くの村落へ立ち退かせ城下の女気をなくす。そのことで、直孝が将軍家に謀反を抱いていると、家光に告げた者がいた。それを聞いた家光は怒って夜中に出発してしまった。
 驚いた直孝は、すぐに小早船にのり、異心のない証明に、槍一本を握って舳先(へさき)に立つ。
 大津に向かった小早船は、湖面をきり風を切って進む。わずか一刻半(いっときはん)で大津に到着。
 船から下りて、家光公に申し開きするために、中山道大津宿で威儀を正しくして待ち受けていると、夜中に発った家光公のお行列が到着する。
 籠を降りた家光公は、城に置き去りにした筈の直孝が目の前にいて、一本槍を握ったまま跪き、我を待っているのに、びっくりする。
「謀反などもってのほかで、ございます。殿が静かにお休みになれますように、婦女子どもの黄色い声を移したまで、何の異心もありませぬ」と弁明した。
「わかった」と家光公は頷いた。
「小早船はそんなに速いのか。ならば、城までとって返し、京まで供奉せよ」
 以来、井伊家は参勤交代の道中も槍一本に限られるようになった。        (出典「日本の名城」)

2017年6月7日水曜日

彦根城でブルーインパルスの展示飛行に5万人以上が来場

 ブルーインパルスの展示飛行が4日、彦根城周辺の上空で行われ、5万人以上が来場した。
 彦根城築城410年祭を記念して開催され、関連イベントが行われた彦根眺城フェスの会場となった金亀公園には朝早くから入り口前に並ぶ来場者がいた。開場後も眺城フェスの中で行われた井伊椀グランプリなどの各テナントの商品を買い求める人たちの行列ができていた。
 ブルーインパルスの展示飛行では6機が彦根城から半径10㌔㍍の空域を使って、スモークで桜模様やハート型などを描いた。約20分間の展示飛行だったが、ブルーインパルスが登場し技を披露するたびに歓声が沸き起こっていた。
 なおこの日の彦根城への入山者数は彦根城管理事務所によると8849人で、いつもの日曜日の入山者数と比べて2倍ほどだった。

 この日の彦根はまさに人、人、人でごった返しの一日だった。公式には城内2万人、金亀公園3万人だったが、小生の見た感じでは5万人以上は来場し、市内全域を入れると倍近い人が観覧したのは間違いない。一日の来場者数としてはここ近年で最多であろう◆大きな混乱もなく、終了することができ、また多くの観光客が前日または前々日から宿泊し、夢京橋キャッスルロードなど市内の飲食店や土産店も多くの人で賑わっていたことを考えると、経済的効果はかなりあったに違いない◆ブルーインパルスのイベントは彦根商工会議所青年部が主管し、当日も会員たちをはじめ、市民ボランティアが会場の運営や清掃に尽力していた◆願わくば2回目も開催して頂きたいが、そうは問屋が卸さないであろう。ここまで成功するイベントを模索するのはなかなか難しいかもしれないが、観光の関係者各位には今回のイベントを一過性に終わらせず、良き手本としてご尽力頂きと願う今日この頃だ。       (山田)

2017年6月6日火曜日

パナソニックの日本のお掃除 再発見プロジェクトがスタート、第1弾は彦根城天守と西の丸三重櫓を掃除、彦根市立城西小学校の児童参加

 ごみゼロの日の5月30日、パナソニックの「日本のお掃除 再発見プロジェクト」がスタートし、その第1弾として彦根城天守と西の丸三重櫓を掃除するイベントが開催。彦根市立城西小学校の児童たちも天守内などをきれいにしていた。
 パナソニックは細部まで目を配るといった日本の掃除のあり方を、日本各地の象徴的な建物の掃除を通して再認識してもらおうと同プロジェクトを計画。ナビゲーターに日本文化への造詣が深い京都外国語大学のジェフ・バーグランド教授を迎えて、日本各地の象徴的な建築物で大掃除イベントを展開していく。
 第1弾の彦根城の掃除イベントを控え、5月23日にはジェフさんを招いた事前学習が城西小で行われ、児童たちは日本の掃除の仕方が世界的に注目されていることなどを学んだ。掃除イベントがあったこの日はパナソニックの社員35人と城西小の6年生62人が参加し、新製品のスティック掃除機「iT(いっと)」50台とロボット掃除機「ルーロ」10台も使用された。
 児童たちは天守1階、2階、3階、西の丸の1~3階に分かれ、カーペット部分を掃除機で、板の間を雑巾の乾ぶきで、壁の部分をはたきできれいにしていた。天守最上階の乾ぶきをした北川美優さん(11)は「ほこりがいっぱいとれてすっきりしました」と話し、宮田結衣さん(11)は「天守もすっきりした気持ちになっているのでは」と笑顔で話していた。
 閉会式ではジェフさんが「今日からは自分のまちをきれいにすることを考えて欲しい。日本をピカピカにする取り組みが彦根城から始まり、うれしく思う」と語り、天守前に参加者全員が集まって記念撮影をした。

2017年6月3日土曜日

彦根城でのブルーインパルス展示飛行 電車での来場者に特製うちわ進呈

 彦根城築城410年祭を記念し、航空自衛隊のブルーインパルスの展示飛行が4日午後1時~約20分間、彦根城周辺の上空である。当日、市内は交通渋滞が予想されるため、築城410年祭推進室では電車など公共交通機関での来彦を要請しており、彦根駅西口では特製のうちわを配布する。
 うちわは表面が米原の切り絵作家・早川鉄兵さんデザインで、彦根城天守の上空をブルーインパルス6機が飛行している様子が描かれている。裏面にはブルーインパルス1機の写真が掲載。当日は午前8時半~1万5000枚が配られる。
 エフエムひこねでは当日の展示飛行をはじめ、金亀公園で開催される「彦根眺城フェス」の模様をラジオ中継する。なお3日の同時刻にテスト飛行がある。

2017年6月2日金曜日

ブルーインパルスの展示飛行がある6月4日、金亀公園の多目的競技場で井伊椀グランプリなど彦根眺城フェス開催

 航空自衛隊のブルーインパルスの展示飛行がある6月4日、金亀公園の多目的競技場で関連イベントとして「彦根眺城(ちょうじょう)フェス」が開催。フェスの中では丼料理の彦根一を決める「井伊椀(いいわん)グランプリ」も行われる。
 井伊椀グランプリは彦根商工会議所青年部が創立35周年記念事業として企画し、彦根城築城410年祭推進委員会の主催で開催。市内の13店舗がブースを設け、各店が創作したごはん約100㌘の丼料理を500円で販売する。来場者は投票コーナーでおいしかった店名の入れ物に空容器を入れて、最多得票の店にはトロフィーやのぼり旗などが贈られる。
 同青年部では「あなたの1票で彦根の名物丼を決めて欲しい」としている。会場では16店舗が自慢の一品を提供する飲食ブース、5店舗の物産ブースも設けられる。
 彦根眺城フェスではほかに、特設ステージとして近江高校吹奏楽部の演奏、ムーディ勝山とフルーツポンチのお笑いライブ、映画「関ヶ原」PRステージ、陸上自衛隊第3音楽隊の演奏、ブルーインパルス展示飛行の解説、パイロットのトークショーがある。パイロットのサイン会が午前9時半~同11時にあるほか、自衛隊車両も登場する。
 開催時間は午前10時~午後3時。雨天決行。入場無料。
 彦根城天守の上空をブルーインパルスが飛んでいる合成写真を印刷したデザインの彦根城観覧券が、6月4日当日限定で販売される。大人用の券=写真=が2万5000枚、小中学生用が1万枚。彦根城内の券売所のほか、金亀公園の臨時券売所でも販売される。ただし、彦根城博物館や玄宮園の単独券、彦根城と彦根城博物館との共通券のデザインは従来通り。
 また電車での利用を促進するため、当日は午前8時半~彦根駅前で特製のうちわ=写真は表面=が1万5000枚配布される。

振り込め詐欺の被害防止へ滋賀中央信用金庫など3信金が対象者にキャッシュカードの振り込み限度額を10万円に引き下げる取り組み開始

 振り込め詐欺の被害を防ぐため、滋賀中央信用金庫など県内3信金は22日から、一部の対象者にキャッシュカードの振り込み限度額を10万円に引き下げる取り組みを開始。同日には各信金で彦根署と連携した啓発活動が行われた。
 対象は過去1年以上、キャッシュカードを使ってATMで振り込みをしていない70歳以上の預金者。1日あたりの振り込み限度額を100万円から10万円に変更した。
 この日は滋賀中央、長浜、湖東の各信用金庫で啓発活動が実施。滋賀中信の彦根営業部(中央町)では職員と彦根署員の2人ずつが店の出入り口で、振り込め詐欺の事例を載せたチラシとティッシュを配り、来店者に「詐欺に注意してください」と呼びかけていた。
 特殊詐欺は昨年4月末時点で43件(被害額7500万円)に対し、今年同期、57件(同1億2000万円)と増加。彦根署管内では7件で約1900万円となっている。なお、県は30日まで特殊詐欺多発注意報を発令中。

2017年5月30日火曜日

浜松・龍潭寺の武藤全裕前住職と浜松歴女探検隊の武藤美知江さん「井伊直虎・直政」をテーマに彦根城博物館で講演

 静岡県浜松市の龍潭寺の武藤全裕・前住職と浜松歴女探検隊の武藤美知江さんが14日、「井伊直虎・直政」をテーマに彦根城博物館の能舞台で講演。博物館友の会の会員ら計116人を前に、直虎=男説や直政の武功などを取り上げた。
 講演会の前半では武藤美知江さんがNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」でこれまでに取り上げられた内容を紹介した上で「直虎は滅亡寸前の井伊家を救うために城主となった女性であり、いわば倒産寸前の会社を救った女性社長だと言える」と解説。
 直虎が出家して学んだ龍潭寺については、直虎と父・直盛の戒名から龍潭寺と命名された経緯を紹介しながら「当時のお寺は今の大学院のような場所で、建築・土木、栽培学など最先端の学びの場だった。直虎はそこで領主としての素養を身につけることができた」と説明。
 直虎が城主となったころの井伊家の状況としては、桶狭間の戦いで多くの戦死者を出したことから「人なし、金なし、物なし」の三重苦だったとし「直虎は領地の経営、財政再建、次期当主の育成に尽力した」と語った。
 昨年末から今年にかけて一部で「直虎=男説」が唱えられたことについては「女説の史料も男説の史料も(言い伝えを写した)二次史料であり、歴史の醍醐味(だいごみ)。新しい史料の発見は議論が深まるので面白い。ただ井伊家に女城主がいたのは事実であり、浜松では直虎=女説を四半世紀の間やってきたのでこれで良し」と話し、会場の笑いを誘った。
 後半では武藤・前住職が虎松(直政の幼名)が15歳の時の天正3年(1575)に徳川家康に仕えたころを取り上げ、「家康は虎松の父・直親が徳川家とのつながりの疑いで今川家に殺され、その子が虎松だったことを知った時は驚き、必ず立派に育てようと思ったのではないか」との持論を展開。その後の直政の武功を紹介した上で「井伊家はちょう落の時期があったものの、浜松で600年間、そして彦根で400年間続いてきた。井伊家の再興こそが直虎の最大の夢であり、良かった」と締めくくった。

2017年5月29日月曜日

琵琶湖周航の歌誕生から100年、6月下旬に県内で記念イベント、彦根港でも25、26日ひこね湖の子フェスティバル

 琵琶湖周航の歌が誕生して今年で100年目を迎えるため、来月末に県内各地で記念イベントが開催される。彦根市内でも6月25、26日に彦根港周辺で「ひこね湖の子フェスティバル」が開かれる予定(詳細は後日)。
 琵琶湖周航の歌は大正6年(1917)に、第三高等学校(現・京都大学)の水上部に在籍していた小口太郎が琵琶湖クルーに出ていた2日目の6月28日、今津の宿で琵琶湖をテーマにした詩を部員に披露。この詩を当時、学生の間で流行していた吉田千秋作の「ひつじぐさ」のメロディーに乗せて部員たちが歌ったのが始まりとされる。昭和46年にはシンガーソングライターの加藤登紀子さんが歌って大ヒットした。
 誕生100周年を記念し、記念式典が6月24日の午後1時~高島市民会館で第1部、同3時15分~今津港発着で船(ビアンカ)上トークやワークショップなどがある。彦根市内では25日にコンサート、琵琶湖周航の歌の合唱練習、釣り大会、模擬店、マルシェなどが開催。翌26日には関連地を巡る「なぞり周航」のボート出迎え、親子ヨット体験、琵琶湖周航の歌の合唱、漁船乗車体験がある。27日午前5時にはなぞり周航の出航見送りも。

2017年5月26日金曜日

彦根かるたの「お」往来に巡礼行きかう彦根寺

 彦根城築城410年祭に合わせて、滋賀彦根新聞では今号から、彦根かるたに登場する彦根城に関する内容のうち、主なかるたを紹介していく。初回は「お」のかるた「往来に巡礼行きかう彦根寺」から彦根寺の歴史を解説する。
 彦根城がある山は彦根山と呼ばれ、築城以前は山中に彦根寺などの社寺が建っていた。
 彦根寺の歴史は平安時代までさかのぼる。承暦3年(1079)に、摂津国の盲目の僧・徳満(とくまん)が奈良の長谷寺で祈祷をしていた際、夢の中に現れた老僧の助言を受けて彦根山西寺を訪れ、目が見えるようになったとの伝説が残る。
 以降も彦根寺は観音の霊験(れいげん)所として知られ、京都の貴族や庶民がこぞって参拝。内大臣だった藤原師通(もろみち)は寛治3年(1089)11月に彦根寺を参詣し、観音の霊験を得たとされる。また「霊験が今年限り」との噂が流れたため、摂政の藤原師実が12月15日に、そして白河上皇が22日に多くの供を連れて参拝したという。
 鎌倉時代の宝治2年~建長元年(1248~49)には彦根寺の中興開山の僧・義光が、落雷で燃えた彦根寺の大伽藍などを改築した記録が残っている。また建長8年8月に義光が彦根寺に入れたとされる法要などの際に使われる打楽器の銅鑼(どら)や鈸子(ばっし)が、百済寺(東近江市)に伝わっている。
 応永17年(1410)11月から翌年10月にかけては修験道(しゅげんどう)の祖・役行者(えんのぎょうじゃ)の像が作られ、彦根寺に安置。彦根寺が修験道と強く結びついていたことがわかる。その後、役行者像は北野寺(馬場1)に伝わったという。
 江戸時代初期に井伊直政の家臣だった花居清心が作成した「彦根古図」=写真は滋賀大附属史料館蔵の一部=には、彦根山に建つ彦根寺や門甲寺などの寺院、彦根寺につながる街道、世利川(芹川)、古城(佐和山城跡)、千代の宮、里根山なども記されている。慶長7年(1602)以前の彦根城築城前の景観を描いたとされる。
 (参考=彦根城博物館 歴史展示ガイドブック)

2017年5月20日土曜日

航空自衛隊のブルーインパルス6月4日に彦根城周辺の上空を展示飛行へ

 築城410年祭を記念し、航空自衛隊のブルーインパルスが6月4日午後1時ごろから約20分間、彦根城周辺の上空を展示飛行する。ブルーインパルスの飛行は県内初だという。前日3日の同時刻にはテスト飛行もある。
 ブルーインパルスは航空自衛隊の存在を知ってもらうため、航空祭や国民的な大きな行事などでアクロバット飛行を披露する専門チーム。正式名は宮城県松島基地の第4航空団に所属する第11飛行隊。
 機体は全長約13㍍、幅約9・9㍍、高さ約4・6㍍、重さ約3・7㌧で、2人乗り。最大速度は時速約1040㌔㍍・最大航続距離は約1300㌔㍍。青と白に彩られており、当日は6機がハートマークを描く「バーティカルキューピッド」や星型の「スタークロス」=写真は航空自衛隊提供=など約20種類ある演目のうち数種目を披露する。
滋賀県と彦根市が航空自衛隊に要請して実現した。ルートなど詳細は調整中で、近く発表される。
 金亀公園では午前10時から午後3時ごろまでステージイベントが開催。パイロットのトークショー、自衛隊の音楽隊による演奏、市内高校の吹奏楽部による演奏、7月から天秤櫓で開催の「関ヶ原」展のトークショーなどがある。飲食ブースなども設けられる。当日は午前9時から午後4時まで城内が交通規制されるほか、交通渋滞が予想されるため、彦根市では公共交通機関での来場を呼びかけている。なお悪天候時やドクターヘリが飛行する際は中止になる。

彦根りんごを復活する会7月に行う彦根りんご復活200年祭の開催費用を募るクラウドファンディング開始

 市民団体・彦根りんごを復活する会は、7月に行う彦根りんご復活200年祭の開催費用を募るクラウドファンディング(※)を開始。支援者には彦根りんごや木などの返礼品も用意している。
 彦根りんごは江戸末期から昭和初期にかけて彦根で栽培されていた和りんご。文化13年(1816)に、江戸付きの彦根藩士・石居泰次郎が帰郷した際、りんごの苗木200本を植え農園を開いたのが始まりとされる。明治・大正期も複数の農家が現在の彦根西高校周辺でりんご園を経営していたが、西洋りんごの普及により、昭和30年ごろに滋賀県護國神社(尾末町)付近にあった最後の一本が枯れて以降、彦根りんごは途絶えたとされる。
 平成15年5月に市民有志によって彦根りんごを復活する会が結成。全国に残っている和りんごや野生種の農園や研究所を訪れるなどして、彦根りんごに近い加賀藩種の枝を接ぎ木して増やしてきた。平成18年11月には中藪町の市有地約1900平方㍍を借り受けて農園を整備。「平成」、「文化」、「芹川」の3種の彦根りんごの苗木を育ててきた。同20年に初めて実をつけて以降、毎年夏に地域の子どもたちを集めて収穫祭をしている。
 復活する会では江戸時代に農園が整備されてから今年で200年が経過するのに合わせて、彦根りんごを全国に発信していこうと7月21日に市内で200年祭を企画。これまでの活動報告、全国11カ所の和りんご仲間によるサミット、交流会、記念植樹などを行う。
 クラウドファンディングは5000円コースと1万円コースを設定。支援者には200年祭への入場券、盆のお供え用として彦根りんごの実6個入りのパッケージ、彦根りんごの本を届けるほか、1万円の支援者には彦根りんごの木(1年木)も渡す。
 復活する会の尾本正和さんは「200年祭への参加を広く募ると共に、今シーズン収穫する彦根りんごを贈ることで、広く知って頂く機会にもしたい。皆さまからの応援をお願いしたい」としている。クラウドファンディングの彦根りんごのサイトはFAAVO滋賀のサイトから。アドレスは(https://faavo.jp/shiga/project/1993)。7月上旬まで募集。
 ※クラウドファンディング=プロジェクトやアイデアを持つ起案者が専用のインターネットサイトに概要や寄付を募る理由などを掲載し、共感した閲覧者から広く資金を集める仕組み。

彦根市 移住希望者を対象にしたツアー実施、歴史・子育て・自然などニーズに応じ

 彦根市は市内の人口増を目的に、移住希望者を対象にしたツアーを今年度中、実施している。
 出身地の大阪からひこね地域おこし協力隊員として昨年10月に移住してきた元滋大生の久保さゆりさん(25)=市企画課所属=が、彦根がどのような場所かをまずは把握してもらおうと企画。「自然豊かな所で子育てがしたい」「歴史を感じる城下町で暮らしたい」「彦根で自分の店を持ちたい」など、ニーズに応じて移住希望者とコースや日時を考え、久保さんと市職員が公用車に乗せて案内する。実際に各分野で活躍している市民との交流の機会を提供することもできる。
 久保さんは「移住を考えている人によって求めているものが違い、見たいポイントもさまざま。車を持っていないと見て回るのは難しく、単身では情報を収集するのも難しいと思い、企画しました」と話していた。日時は年末年始を除き、来年3月31日まで。参加無料だが、体験費や食事代は自己負担。20日前までに参加者(代表者)名、人数、住所、連絡先、希望日を記入しメール(ijusokushin@ma.city.hikone.shiga.jp)かファクス(22)1398で。問い合わせは市企画課の久保さん☎(30)6101。

2017年5月15日月曜日

彦根仏壇事業協同組合が甲冑作り開始へ、レンタルも受付

 彦根仏壇事業協同組合(宮川孝昭理事長)は、彦根のブランド作りの一つとして彦根商工会議所が中心になって進めてきた甲冑作りを、今年度から同組合で実施していくと発表。7日に古沢町の清凉寺で説明した。
 彦根商議所では、地域資源を生かして都市間競争を勝ち抜くまちづくりを目指し、同会議所会員や大学教員、歴史研究家ら31人で「ひこねブランド開発委員会」を平成26年9月に設立。そのうち、江戸時代に甲冑作りの地だった彦根仏壇街の職人の技を生かし、彦根藩二代・井伊直孝の甲冑を復元させるプロジェクトを平成27年度と同28年度に進め、試作品2体を完成させた。そのうち滋賀県板金工業組合のおうみの名工と彦根仏壇の職人が共同で作った高価な方の1体は彦根城の天秤櫓に展示されている。
 彦根仏壇事業協同組合では彦根商議所が進めてきたプロジェクトの経験を引き継ぎ、今後は同組合が主体となって甲冑を製造し販売していく。試作品と同じように、装飾や縫製の部分を仏壇七職のうち塗師、箔押師、錺(かざり)金具師、木地師の四職が担う。
 試作品にかかった経費は高価な方が約586万円だったが、もう1体が漆塗りの回数を減らしたり、革の部分を代替品にしたりして経費を抑制し、約150万円で実現。同組合でも約150万円で販売する予定。1体の製造期間は約4カ月かかる。今年度は5体を販売し、反響を見た上で増産していく。またレンタルも受け付けている。
 7日の説明の場には大久保貴市長や一八代の井伊直岳さん、宮川理事長、彦根商議所の中川哲副会頭らが出席。歴代藩主への読経などを行った。宮川理事長は「この甲冑作りで彦根仏壇の振興と技術の存続を図っていきたいと思います」と話していた。
 問い合わせは同組合☎(24)4022。

旧彦根藩士だった庵原家の末えいが「自分史 外濠」を発刊

 江戸時代に旧彦根藩士だった庵原(いはら)家の末えいの庵原一男さん(74)=本町2=がこのほど、庵原家についてまとめた「自分史 外濠」を発刊した。
 庵原さんによると、庵原家は駿河国庵原(現・静岡市清水区)出身。戦国時代は今川家に属していたが、永禄3年(1560)の桶狭間の戦いで今川義元が討たれて以降、庵原一族は全国各地に離散。江戸期の彦根藩には庵原さんの祖先の源八郎家の初代・源左衛門が二代の井伊直孝に仕え、普請奉行や勘定奉行などを務め、幕末には110石取りだった。同じ家柄の庵原助右衛門家は筆頭家老の木俣家に次ぐ上級の彦根藩士で6000石の時期もあったという。
 庵原さんの祖父の操は明治37年(1904)の日露戦争に従軍した後、同43年に彦根で履物商を始め、昭和9年に彦根城の旧外堀が埋め立てられると、現在地に移り「履物店つるや」の屋号で商売を開始。店は平成2年に廃業した。父親の捨雄さんが平成7年に死去した後、庵原さんは遺品の中に庵原家についての資料を見つけ、翌年から静岡の発祥の地や本家、寺などを訪れたり、庵原家について書かれた資料を読んだりして本にまとめた。
 本では、発祥の地や井伊家に仕えるまでの庵原家、江戸時代の源八郎家、幕末から現代までの庵原家をまとめているほか、「思いでのアルバム」もカラー写真で載せている。B6判、97ページ。
 庵原さんは「今後は上級の彦根藩士だった助右衛門家をはじめ、庵原家の全体についても研究を進めていきたい」と話している。希望者には1000円で販売。問い合わせは庵原さん☎(24)1673。 

2017年5月2日火曜日

彦根城の西の丸三重櫓の白壁が昨年末からはがれたままに

 重要文化財の彦根城の西の丸三重櫓の白壁が昨年末からはがれたままになっている。琵琶湖の方向からもはがれた状態が確認でき、早急な修理が必要な状況だ。
 はがれているのは三重櫓1階部分の琵琶湖側の北西部。市教委文化財課によると、強風によって小範囲ではがれているのを昨年12月9日に確認。その後、はがれた範囲が広がり、現在はその広さが約4平方㍍になっているという。
 滋賀大学やカインズの方向からもはがれた状態が目立っており、市民からは「せっかくの重要文化財なのにみすぼらしい」との声があがっている。
 すでに文化財課にも複数の市民から報告が入っており、同課の担当者は「文化庁などへの手続きを経て、観光客が落ち着く6月にも修理にかかりたい」としている。

来年度から新しい船になる学習船「湖の子」の今年度最初の出航式

 来年度から新しい船になる学習船「湖(うみ)の子」の今年度最初の出航式が25日に彦根港であり、彦根市立の3小学校の児童たちを乗せた湖の子が保護者の見守る中、出港していった。
 湖の子の学習は、滋賀県内の子どもたちに船上で宿泊しながら、琵琶湖の生物や環境などを実験や体験を通して学んでもらおうと実施。昭和57年秋から船の製造が始まり、翌年2月の起工式を経て、この年の8月2日に「びわ湖フローティングスクール」として開校した。これまでに県内の小学5年生を対象に52万人以上が参加している。
 今年度最初のスクールには城西小、城北小、亀山小の児童計141人と引率教員の14人が乗船。出航式で県立びわ湖フローティングスクール(大津市)の青木正士所長が「琵琶湖の水や生物のことを学んで、驚いたり、疑問に思うことを大切にしてほしい」とあいさつ。市教委の善住喜太郎教育長が「琵琶湖からの故郷の風景を目に焼き付けながら、琵琶湖の環境について真剣に考えて欲しい」と激励。児童を代表して城北小の大塚康太郎君(10)は「2日間、城西小、亀山小の皆さんと仲良くしたい。『湖の子』で楽しみながら学習できるようがんばりたい」と話していた。その後、保護者らがスカーフを振って見守る中、児童たちは1泊2日の旅に出航していった。
 現在の湖の子は35年が経過し、電気配線や配管などが老朽化しているため、新しい船が約30億5000万円をかけて広島の造船所で製造中。来年3月16日に竣工式が行われる予定で、5月から新しい湖の子が船出する。なお現在の湖の子は来年3月1日までの全96回のスクールを終えると、「引退」となる。

次期市政の懸念材料

 彦根市長選が終わり、連休明けから次期市政がいよいよ始まるが、この4年間の先行きに対して極めて憂慮しているのは小生だけではないだろう。
 まず1点目は財政面だが、大久保市長は選挙時や当選後の会見で「財政は改善している」「財政は極めて健全で、市民には説明が不足している」と強調していた。だが、経常収支比率(地方税など毎年の収入に対して人件費など固定の支出が占める割合)は平成27年度決算時で91・9%と、前年度より悪化しており、県内13市で見ると、湖南、栗東に次ぐ3番目の悪さで、硬直化が進んでいる。
 また実質公債費比率(一般財源のうち借金の返済にあてる割合)は平成18年度決算時の23・3%から同27年度時の8%まで改善しているものの、全国の同規模の自治体と比較した順位は31団体中21位となっている。市の財政課も予定している大規模事業を進めれば、実質公債費比率が悪化するとしている。
 さらに財源不足を補える財政調整基金の残高は平成27年度末の約50億円から、同33年度末には約12億円になる見通しで、市長選の新人候補は今年度予算での同基金の取り崩し額が計画を8億円上回ったことなどから「(33年度末には)4億円しか残らない」とも主張していた。この状況下で、新しい市民体育センターの建設、市立図書館の設置、広域ごみ処理場の新設、インフラ整備、稲枝駅西口開発などの大規模事業が相次ぐことを考えると、市の財政面を危惧せざるを得ない。
 2点目は首長としての資質の面だが、1期目の4年間を通して、大久保市長は率先型・主導型ではなく、調整型・協調型であることがわかった。しかし、2期目の4年間は1期目のように○○協議会や○○委員会任せでは進むべき施策も停滞する恐れがある。率先・主導すべき施策には政治家らしい英断を発揮するべきだ。
 3点目としては市長選時に新人の候補者2人や陣営が「犬上郡の有力者」との繋がりを指摘していた点である。その有力者とは豊郷の大野和三郎県議のことだが、滋賀彦根新聞では市長選中の19日付けで大久保市長と大野県議との「蜜月ぶり」を紹介していた。小生は大野県議と何度か会っており、彦犬地区のインフラ整備などに尽力していることも存じている。だが、市民の間には大野県議が豊郷町長時代に旧豊郷小学校を解体するか否かでマスコミを賑わせたイメージが根強く残っているのも事実だ。
 以上、今後4年間の市政における大きく3点の懸念材料をあげたが、大久保市長には1期目とは異なる先導型の首長に転換し、彦根をより良き街にして頂きたいと強く願う今日この頃である。【山田貴之】

2017年4月27日木曜日

市長選の分析

 ※解説=今回の市長選の注目点は現職に対する批判票が信任票を上回った点と、田原氏への予想以上の支持である。
 大久保氏は前回の市長選では1万6903票を獲得し、当時の現職に7000票以上の差を付けての圧勝だった。今回も知名度で劣る新人2人が相手だったため、再び圧勝を予測する声があったが、結果は前回よりも票を減らした上、批判票は信任票より大きく上回った。
 この原因は市役所本庁舎の耐震化などを巡る市政の混乱、次期市政における大規模事業の先行きへの不安、有力な支援者との癒着に対する危惧、民進党色が強いことへの嫌悪感などがある。
 これら次期市政への懸念は次号のコラムで論じる予定だが、大久保氏は批判票を真摯に受け止め、大規模事業をはじめ、見直すべき事項は計画を改める必要がある。市長選で対抗馬の前川氏を支持した市議が約10人いることからも、市議会が計画通りに承認するとも思えない。
 そして、もう一つの注目点は田原氏の得票である。議員の支援を受けない同級生を中心にした選挙戦は苦戦が予想されたが、8000票を超えるという大健闘だった。この原因としては、▽降雨の中で街頭演説をするなど公示前からこまめに活動してきた▽対現職の政策をわかりやすく率直に論じていた―ことなどがあるが、マスコミや他陣営を驚かせた得票で、選挙は組織だけではないことを改めて認識させられた。       (山田)

2017年4月26日水曜日

現職の大久保貴氏が新人2人破り再選も「批判票」は「信任票」上回る

 彦根市長選は23日、投開票が行われ、現職の大久保貴氏(53)が1万5311票を獲得し、新人で前市教育長の前川恒廣氏(61)、新人で元毎日放送記者の田原達雄氏(68)を破り、再選を果たした。しかし、現職が獲得した「信任票」と新人2人を足した「批判票」を比べると、批判票が4165票も上回っており、市民は必ずしも現市政を評価したとは言えない結果になった。
 市長選は当初、争点なき選挙と言われていたが、本紙をはじめマスコミ各紙が次期市政で相次ぐ大規模事業を特集記事として取り上げると、告示前後から争点化し始め、論点の中心になった。
 特に平成36年に開催される滋賀国体では主会場が彦根になるため、新しい市民体育センターの整備費(約60億円)を含む関連費用約100億円を計画通り進めるのか否かで、現職と新人2人の意見が分かれた。
 大規模事業について、大久保氏は「やりくり算段して、計画通り着実に進める」とし、前川氏と田原氏は市の財政が厳しいとして「計画の見直し」を主張。また新人2人の陣営からは「現職には有力な人が付いており、利権が絡む恐れがある」と牽制する声も頻繁に聞かれた。
 選挙戦ではこの大規模事業を中心に、稲枝地域の振興策、教育・子育て問題なども取り上げられ、3氏がそれぞれの主張を展開したが、連合滋賀の推薦を受け、民進党の国会議員、県議、市議、自民党の国会議員、県議、市議からも支持を得た大久保氏が知名度と組織力で序盤から有利な選挙戦を展開。中盤以降、新人2人の追い上げを受けたが、次点に4465票差を付けて勝利した。
 前川氏は自民党の国会議員、県議、市議、公明党の市議、民進系の市議が付き、市民体育センターの計画見直し、教育・子育て支援の充実、経済振興などを唱えて猛追したが、勝利には至らなかった。選挙後、前川氏は本紙の取材に「多くの市民の皆さんに訴えが浸透できなかったのは残念だ。保守票が割れてしまったことや候補者を一本化できなかったことも影響したと思う」と語っていた。
 田原氏は議員の応援がなく、同級生を中心にした草の根の選挙戦を展開。市の財政問題、中学3年生までの医療費無料化、稲枝地域の振興などを訴え、最下位に終わったが、健闘した。選挙後、田原氏は「予想以上に得票が少なかった。厳しい選挙戦だった」と振り返り、告示前に持ち上がった前川氏との一本化については「一本化しても現職に勝てるとは思わなかった。今もその判断は間違っていないと思っている」と話していた。
「チャンス生かし強い彦根に」
 午後10時ごろ、びわ湖放送で当確の報道が出ると、西今町の選挙事務所内の広間に大久保氏が国会議員や県内の首長、支持者から拍手と歓声を受けながら登場。
 万歳をした後、大久保氏は滋賀国体にふれ「間に合うように県と協力していきたい」とし、対立陣営が指摘してきた財政面については「彦根の財政は極めて健全。市民からは心配する声もあり、説明不足だと思っている。まちづくりの大きなチャンスであり、そのチャンスを生かしていきたい。真の意味での強い彦根を作っていきたい」と語った。
 また翌日の24日には市長選の当選証書の付与式が市役所5階であり、市選管の小川良紘委員長から大久保氏に証書が渡された。式後、記者陣に大久保氏は選挙戦の感想などを語った。
 選挙戦を振り返っての問いに大久保氏は「市の財政状況を市民の皆さんに理解して頂く作業が十分でなかったと思っている。ほかの候補者がおっしゃった財政危機の文言に市民が反応されたこともあった。色々と考えさせられた選挙だった」と述べた。
 次期市政で相次ぐ大規模事業については「予算的なことよりも難度が高い事業が重なると理解しており、それを乗り越えるために頑張っていきたい」とし、そのうち図書館整備については「用地の選定をどういう手法でするのか、時間がかかる可能性があるが、最善を尽くしたい」と説明。
 最後に、市民に向けては「継続して頑張れとの審判を頂いた。持てる力をすべて出し切って実績をあげる4年間にしたい」と話した。

2017年4月22日土曜日

彦根市長選あす23日投開票

 彦根市長選はあす23日、投開票を迎える。出馬しているのは、現職の大久保貴候補(53)、新人で元毎日放送記者の田原達雄候補(68)、新人で前市教育長の前川恒廣候補(61)。争点となった大規模事業を中心に、3候補はきょう22日、最後の訴えを行う。
 大久保候補は知名度と組織力を生かし、個人演説会では国会議員や県議、経済界の重鎮らの応援を得ながら、会場をほぼ満員にする勢いで選挙戦を展開。4年間の実績をPRしながら、大規模事業について「着実に前に進める」と訴えてきた。22日は市内一円をこまめに回るといい、選対本部長の植田洋一さんは「現職優勢との報道があるが、実感しておらず、大激戦だと感じている」と話している。
 田原候補は議員ら組織の支援無しで、同級生を中心にした「雑草軍団」(陣営)で草の根の選挙戦をしてきた。「現市政の財政は危機的だ」と各事業の見直しを求めてきた。22日は市内全域に街宣車を走らせて、ベルロードを桃太郎作戦する予定。選対本部長の郡田等さんは「組織や利益集団、議員の支援がない孤立無援の戦いで非常に厳しい選挙戦だ」と語っている。
 前川候補は現職に対抗する議員の支持を得て、大手企業や市教育長での実績をアピールしながら「事業を見直した財源を教育や福祉にあてる」と語ってきた。22日は午前に稲枝・河瀬地区、午後に南彦根・彦根エリアを回り、午後5時~四番町ダイニング、同6時~中地区公民館で個人演説会。選対本部長の杉原祥浩市議は「支持の声は日に日に増している。やり残したことがないように最後の1日、訴えたい」と話していた。

2017年4月20日木曜日

彦根市長選、現職追う新人2人

 彦根市長選が16日告示され、現職の大久保貴候補(53)、新人で元毎日放送記者の田原達雄候補(68)、前市教育長の前川恒廣候補(61)が出馬。23日の投票まで熱い選挙戦が繰り広げられる。序盤戦を終えて、大久保候補を前川候補と田原候補が追っている情勢だ。
 今回の市長選は国体関連予算を中心に、図書館整備、広域ごみ処理施設など、今後予定されている大規模事業に対して、現職と新人で意見が異なり、争点化しつつある。
 大久保候補は「彦根は分岐点にある」「やりくり算段して、着実に進めていく」と述べるなど、各事業を計画通り進める意向だ。一方で田原候補は「市の財政は危機的な状況だ」とし、前川候補は「見直した財政を教育や福祉に回す」と計画を見直す考えを示しつつ、ひこね燦ぱれす周辺に建築予定の新しい市民体育センターを違う場所にする意向を示している。
 ほかの主な政策として、大久保候補は「図書館は彦愛犬の拠点として整備していく」「稲枝駅西口から県道2号線までの開発を進めたい」と説明。田原候補は「中学3年生までの医療費の無料化」「稲枝西口への図書館整備」を主張。前川候補は中学3年生までの医療費無料化のほか、「滋賀大のデータサイエンス学部の活用」「稲枝駅西口の整備」をあげている。
 大久保候補には民進党の田島一成衆院議員、中沢啓子県議、同党系の市議6人のほか、自民党の細江正人県議、大野和三郎県議(犬上郡)、市議数人が支援し、連合滋賀が推薦。知名度と組織力で他陣営に勝り、有利な戦いを見せている。
 前川候補には自民党の西村久子県議、自民または保守系、民進系、公明党の市議9人程度が応援。当初は現職のみの支持の可能性もあった自民党の上野賢一郎衆院議員が、前川候補の出陣式で応援演説をしたことで、同陣営に勢いがついており、現職を猛追している。
 田原候補は議員が付かない状況で、同級生を中心に「草の根」の選挙戦を展開しているが、厳しい戦いが続く。
 なお、選挙人名簿の登録者数は15日時点で9万1377人。

大野県議の集会に現職参加

 「彦根市大野和三郎を育てる会」は、市長選告示日の16日夜に、ひこね燦ぱれすで国政県政報告会を開き、大野県議が支援する大久保候補も「ゲスト」として参加した。
 報告会の冒頭、大野県議は「滋賀は南高北低で、湖東地域はインフラ整備が遅れている。そんな中で国体の主会場が彦根に決まった。大久保さんでなければ彦根に誘致できなかった」と持ち上げた上で「外町の交差点の渋滞を解消させて、多賀のスマートインターチェンジを整備すれば、彦根城、多賀大社、湖東三山に今より多くの観光客が訪れる」と解説。「この地域の経済を活性化させることで財政面も良くなり、その財政を教育や福祉に回せる」と語った。
 自民党の小鑓隆史参院議員、上野賢一郎衆院議員、二之湯武史参院議員も大久保候補への支持を求める演説をした後、大久保候補が登壇。「何年も動かなかった国道8号線バイパスを進めようとして頂いている。平成36年の国体はチャンスであり、都市基盤の整備を着実に進めていきたい」「福祉や教育の面もできることからやってきた。財政は良くなっており、貯金も増えている。政策を遂行できると自信を持っている」と述べ、ガンバローコールで締めくくった。
◆メモ帳
 彦根市長選告示前の13日夜に、市内の葛籠町公民館で「図書館整備についての意見交換会」があり、現職市長の大久保氏と大野県議が答弁者として参加した◆図書館について現市政は、中央館を河瀬・亀山学区に整備する計画であるため、同学区に位置する葛籠町、犬方町、法士町、出町の4自治会が意見交換会を企画。地元住民100人ほどが参加した◆大久保氏は図書館の整備計画や4年間の実績をアピールして退席し、中盤以降は住民の質問に大野県議が答える形式となり、彦根市の財政面にゆとりがあることを強調しながら、大久保氏への支持を求めていた◆この意見交換会を傍聴して違和感を抱いたのは、大久保氏と大野県議の「蜜月ぶり」よりも、ほかの彦根の県議3人は何をしているのか、という疑問である◆地元住民によると、中山道の交差点の危険個所について、大野県議に立ち合いを求めて、行政側と交渉にあたってもらっているという。確かに県議会の選挙区は前回の選挙から彦根市と犬上郡が一つになり、大野県議が彦根のために尽力するのは理解できるが、彦根選出の県議にはもう少し市民に頼られる存在になって頂きたいと思う今日この頃だ。     (山田)

彦根市長選3候補が第一声

 16日に告示された彦根市長選に出馬した3候補の出発式での第一声は以下の通り。
 大久保候補は地元の三津屋町で出発式を開いた後、パリヤ前で約300人を前に出陣式。「未熟な市長だったが、皆さんのお陰でつつがなく市政を運営することできた」と4年間を振り返った上で、「彦根は日本のど真ん中に位置する中で、我々が成し遂げることは何か。安心できる地域社会を築くために、福祉モデル都市を目指して進んでいこうという思いに変わりはない。健康長寿のまちを作るというのが私に求められた役割」と語った。
 また、子どもの貧困や学力向上など教育・子育て施策と、インフラなど都市基盤の整備の充実を進める考えを示した上で「県や国の協力を得て少しずつ彦根は変わりつつある。大きな流れを作り上げていきたい」と述べた。上野賢一郎衆院議員、田島一成衆院議員らが応援演説を行った。
 田原候補は銀座商店街の事務所前で約80人を前に「大久保市政の再選を阻止する」と第一声。「大久保市政は頼りない、任せておけないという不満が彦根の中に広く深く浸透している」と危機感を訴えた。そのうえで、財政健全化による財源確保や、新しい人事評価制度の導入で「市役所に対する市民の信頼を回復させたい」と呼びかけた。また「経済団体、ボランティア団体などいろんな団体と市長自らが友好的な関係を取り戻し、彦根市全体に本来のチームワークを取り戻したい」と語った。新人候補一本化の提案についても触れ「きっぱりと断った。前川さんに一本化しても勝てる見込みがないから」と振り返り、「どんどん目立てば私にも勝機がある。1週間しっかり頑張りたい」と決意を語った。同級生で長久寺住職の松山貞邦氏らが応援演説を行い、選対本部長の郡田等氏の合図で「ガンバロー」と気勢を上げた。
 前川候補は平田町の選挙事務所で約200人を前に第一声。約100億円に上る国体関連予算を見直す考えを示した上で「彦根の将来、未来につながる政策に振り向けていくのが私の役割。過去の4年間よりもこれからの4年間の彦根を導きたい思いだ」と意気込んだ。
 また民間企業や教育長の実績を示しながら「児童生徒の学力を向上させ、ハンディキャップのある子どもたちへの支援もしていきたい。民間企業で培った力でしっかりとした経営をしていき、地域振興を成し遂げたい」と説明。最後には再び新しい市民体育センターの整備方針を見直す方針を示しながら「ハンディキャップのある人たちが集える施設を作りたい」と述べた。上野賢一郎衆院議員や中村善一郎元県議、市議らが応援演説を行った。

2017年4月18日火曜日

彦根城の世界遺産 実現できる?

 彦根城の世界遺産登録についてはここ近年の市長選で、毎度のごとく市政課題の一つに取り上げられ、その後の市政において登録に向けた施策を進めてきたが、その実現のめどは見えていない。また市民の中には既にあきらめモードさえ漂っており、盛り上がりもいまいちだ。そんな中ではたして世界遺産登録は実現できるのだろうか。
 前市長の時代は、▽城内や大名屋敷など特別史跡内を「コアゾーン」に、旧城下町を「バッファゾーン」に分けて登録を目指す単独案▽松本城、犬山城、すでに世界遺産になっている姫路城との国宝四城(当時)案を中心に進められてきた。
 しかし現市政は国宝案を外し、特別史跡内のコアゾーンに焦点を絞った形で進めてきたが、平成28年度には城下の物件を加える形に変遷。3月末には特別史跡と、辻番所、井伊神社、外堀土塁など城下の5件を含めた「城を中心に発展した江戸時代の都市構造」をコンセプトにした準備状況報告書を文化庁に提出した。
 今後、井伊家ゆかりの寺や藩校、武家屋敷、お浜御殿などが追加されることも考えられるが、彦根城世界遺産登録推進課の担当者は「国の重要文化財クラスを中心に世界遺産の登録候補物件に加える場合もあるが、逆に外していくこともあり、最終的には5件前後になるのでは」としている。
 市は今年度から2、3年かけて推薦書原案を作成し、並行して学術検討委員会で協議をするなどして、平成33年度までには国内推薦を受けて、同36年度までに世界遺産登録を目指す意向だ。
 しかし、世界遺産登録のネックになっている姫路城や世界のほかの城郭との差別化が図れるのかは未知数である。しかも肝心の市民の盛り上がりは皆無に等しく、市がどれだけ啓発しても響かないのが現実だ。彦根城の世界遺産登録の前途はまだまだ厳しいと言えよう。【山田貴之】

カナダで結成された日系人たちの野球チーム「バンクーバー朝日軍」会長だった松宮外次郎の孫にあたる松宮哲さん本「松宮商店とバンクーバー朝日軍―カナダ移民の歴史―」発刊

 大正時代にカナダのバンクーバーで結成された日系人たちの野球チーム「バンクーバー朝日軍」(以下朝日軍)の会長だった松宮外次郎の孫にあたる松宮哲さん(69)=開出今町=が、朝日軍などカナダ移民をまとめた本「松宮商店とバンクーバー朝日軍―カナダ移民の歴史―」を発刊。将来の歴史館の創設を願って、希望者には無料で渡している。
 松宮さんによると、外次郎は24歳の時の明治28年(1895)に初めてカナダに渡って以降、帰国と渡航を繰り返し、3回目に渡航した明治38年の時にバンクーバーのパウエル街で食料品を扱う松宮商店を開業。その後、和洋雑貨や運送なども手がけ、バンクーバー市商業組合会頭も務めた。
 そんな際に野球チーム設立の機運が高まり、開出今出身の宮崎伊八の提唱で大正4年(1915)に朝日軍が結成されて現地の白人リーグに加入。結成当時のメンバーには、北川初太郎、堀居由太郎、北川英三郎(以上3兄弟)、松宮惣太郎、西崎与惣松ら開出今出身者がおり、在留邦人でも英雄視されていた。太平洋戦争が勃発する昭和16年までの約25年間、現地で白人たちのチームと対戦し続け、在留邦人を楽しませたほか、その後の日加親善にも貢献。平成15年にはカナダ野球殿堂入りを果たしており、時銘板には74人が刻まれている。
 平成26年秋に映画「バンクーバーの朝日」が上映されたのを機に、松宮さんは朝日軍について調べ始め、滋賀彦根新聞をはじめとするマスコミを通じて約2年間、情報を収集してきた。
 本は2部構成で、第1部の「松宮外次郎が生きた時代」では外次郎ら彦根をはじめ湖東地域の人々がカナダに渡った経緯やバンクーバー市のパウエル街での生活を紹介。カナダでの商売の様子や、現地人による排斥(バンクーバー暴動)などについて説明している。
 第2部の「バンクーバー朝日軍の歩み」では、当時現地で発行されていた日系人向けの新聞「大陸日報」の記事を中心に、小学生のチームに負けた最初のころから、リーグ優勝するまでの朝日軍の成長ぶりを解説している。
 松宮さんは「朝日軍の歴史が記憶遺産として残していけるよう、この本が博物館などの建設の動きが立ち上がるきっかけになることを期待しています」と話していた。
 本はB5判、248ページ。500部発行。問い合わせは松宮さん☎090(9878)4193。