木村さんは「パラリンピックから学んだもの」をテーマに講演。幼少期から体を動かすのが好きで「6歳の時に補助輪を外して自転車が乗れたが、ぶつかったり、転んだりしてけがが多かったため、盲学校在学中の小学4年の時にプールの中なら安全との母親のすすめで水泳を習い始めた」と振り返った。
盲学校から進学した筑波大学附属盲学校では、水泳部に所属して実力を伸ばし18歳以下の世界大会に出場。「その時にこのままでは外国人に勝てないと実感し、パラリンピック出場という目標を立てた」と述べた。高校3年の時に北京のパラリンピックに出場したが、「出場した時点で満足してしまい、パラリンピックでメダルを獲得したいと思うようになり、大学への進学を決めた」と説明。
日本大学に進学し、2012年のロンドンパラリンピックでは100㍍平泳ぎで銀メダルを獲得したが、木村さんは「人間は欲深くて、世界一(金メダル)がほしいと思うようになった」と解説。東京ガスに入社後は1日5食にするなど肉体改造に努めたといい「ごはんを食べるのは苦しかったが、体はどんどん大きくなり、外国人に負けない体を作り上げることができた」と語った。
昨年のリオデジャネイロのパラリンピックでは5種目に出場し、50㍍自由形と100㍍バタフライで銀メダルを獲得するなど活躍。振り返っての感想としては「金メダルを獲れなかったので悔しい気持ちがあるが、戦いきったことは大きな自信になった」「何かを時には思いっきりやることが大切で、それは自分を守ってくれる大きな自信に変わってくる。この自信をたてにしながらこれからの人生も歩んでいきたい」と、在校生たちにアドバイスした。
講演後、木村さんは本紙などの取材に「県立盲学校での教育は視覚障害者として自立できるための内容であり、本当に良かった」と感謝していた。
この日のイベントには盲学校の生徒、保護者、城南小6年生、彦根RC会員ら計約300人が参加。木村さんの講演後には、関西盲導犬協会への支援金贈呈、盲学校音楽部の演奏、井伊亮子さんら彦根エコーオーケストラによる三重奏、庭へのハナミズキの植樹があった。
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