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2020年12月9日水曜日

朝鮮通信使の城下町での受け入れ状況示した絵図見つかる 町割を新たに確認、彦根郷土史研究に掲載

江戸時代の朝鮮通信使の使節団を彦根の城下町全体で受け入れていたことがわかる新たな絵図が、彦根史談会の新刊本「彦根郷土史研究 54号」に掲載。元彦根城博物館学芸員で立命館大学非常勤講師の野田浩子さん(50)は「彦根の城下町研究の貴重な資料だ」と話している。
 
11回目の使節団の記録
随行の対馬藩士も町屋に宿泊
 野田さんの著書「朝鮮通信使と彦根 記録に残る井伊家のおもてなし」を読んだ広島県呉市の絵図の所有者から連絡を受けた野田さんが調査した。絵図の名称は「彦根城下町朝鮮通信使宿割図」。宝暦14年(1764年)に来日した朝鮮通信使の使節団と随行した対馬藩士を受け入れた彦根の城下町の宿割を記している。
 朝鮮通信使は江戸時代に朝鮮から全12回派遣され、そのうち10回が江戸へ向かい、彦根には往路、復路とも一泊ずつしている。宝暦14年は11回目にあたり、江戸へ向かった最後の使節団。十代将軍の徳川家治の将軍就任にあたり、朝鮮国王の国書を持参する目的で派遣され、使節団約370人と随行した対馬藩の一行約1000人が江戸へ向かった。

 使節団の宿泊場所として、彦根では宗安寺を中心に主に寺院を利用していたことはこれまでの資料から知られていた。新たに確認された絵図は中堀と外堀の間の内町(現在の中央町、本町、立花町)にあった町屋も宿泊所として活用されていたことがわかる内容。「朝鮮人宿・長老宿・通詞(つうじ(通訳者)宿」の寺院9軒と町屋11軒、「宗氏公御家中宿(対馬藩一行の宿)」の町屋136軒に色分けされており、町屋の家主名の上に対馬藩士の名を記した札を貼り付けている。
 当時の対馬藩主・宗義暢(そうよしなが)が宿泊した本陣が宗安寺の斜め向かいに置かれ、周辺に同藩主付きの家臣、伝馬町(中央町)付近に足軽らの宿所があったこともわかる。対馬藩の記録によると、随行者を68軒に宿泊させるリストを作成したが、彦根藩はその2倍の町屋を宿泊所として用意していた。
 野田さんによると、朝鮮通信使の日記には彦根の宿泊所が設備や調度が充実していたため「陸路中の第一」と高く評価する記述があるとして「井伊家は譜代大名筆頭という立場にふさわしい応接を心がけていた。対馬藩士にもおもてなしの心で余裕ある宿泊スペースを用意したと考えられる」としている。
 
町割 新たに確認
 このほか、これまでの絵図では伝馬町や下魚屋町(城町1)などの町人名しか確認できなかったが、今回の絵図により城下町の中心部一帯の町人名や町割が新たに判明した。
野田さんは「朝鮮通信使の対応に彦根藩だけでなく、城下町の住民も深く関わり、官民一体で受け入れた状況が具体的にわかる貴重な資料。今後の彦根の城下町研究に資することも期待できる」とコメントしている。
 「彦根郷土史研究 54号」はA5判、53ページ。彦根市立図書館で閲覧できるほか、1000円で購入も可。問い合わせは彦根史談会の木村正彦会長☎(22)3056。

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