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2015年11月5日木曜日

埋木舎の当主・大久保治男さん宅で、小膳(章男)が明治時代に催した直弼公の誕辰祭に関する史料見つかる

 彦根市尾末町の埋木舎の当主・大久保治男さん(81)=東京都文京区=は井伊直弼の誕生日の29日、直弼の側近で大久保さんの曽祖父にあたる小膳(章男)が明治時代に直弼の誕生日に催していた誕辰(たんしん)祭に関する史料の一部を滋賀彦根新聞に公開した。これまでに誕辰祭が行われていたのはわかっていたが、それに関する史料が確認されたのは初めて。
 埋木舎は直弼が17歳から32歳まで過ごした場所で、直弼死後は側役の小膳が拝領し、以降、大久保家が管理してきた。小膳は明治19年(1886)から亡くなる前年の同35年まで、直弼の誕生日にあたる毎年10月29日に、松原にある井伊家の下屋敷・お浜御殿で神式の誕辰祭を自費で行った。
 誕辰祭では、献茶、献花の儀、能楽の奉納があり、余興や福引きもあった。また松原村立小学校の全児童も誕辰祭に参列し、自作の歌を合唱したという。その歌詞は直弼自身が亡くなる前に詠んだ歌が使われている。
 大久保さんが今年9月初めに都内の自宅の書庫を整理していたところ、表紙に「故井伊直弼公誕辰祭祝賀會ニ関スル書類入」と書かれた箱を見つけ、中を確認したところ、誕辰祭の出席簿や寄付者の名簿、松原小の児童が歌った際の楽譜など約100点が入っていた。
 彦根城内では井伊直弼公生誕200年祭が開かれているため、大久保さんは「200年祭に合わせて見つかったのも何かの縁ではないか」と話していた。史料が入った箱は彦根城博物館に預けられており、同館は各史料を確認した上で目録を作成する。

2015年11月2日月曜日

ギャラリーコジマで絹衣デザイナー・野崎文子さん作品展

 彦根市銀座町のギャラリーコジマで11月3日まで、絹衣デザイナー・野崎文子さん(72)=長浜市三ツ矢町=の作品展が開かれている。
 野崎さんは熊本県天草市生まれ。東京で洋画家として活動していた平成5年に長浜市内で浜ちりめんで出会い、その後、長浜へ移住。以降、全国各地から新品の着物地を仕入れ、それを組み合わせて衣服などを制作。絹衣として、国内外でファッションショーや講演会を開催している。
 彦根では初めてとなる作品展では、男性も着ることができる衣服をはじめ、ポーチ、バッグ、ネクタイなど計200点以上を展示・販売している。開館は午前10時半~午後6時、最終3日のみ午後5時まで。

彦根市立病院の産婦人科に産科医2人着任へ8年ぶり医師の分べん再開へ

 彦根市は28日、産科医不足で医師による分べんを中止していた彦根市立病院の産婦人科に、産科医2人が12月1日付けで着任すると発表した。分べん中止から8年ぶりの再開に、市民からは安どの声があがっている。
 市立病院は平成19年4月に産科医が4人から一人になり、分べんを中止。翌年2月に院内助産所を開設し、制限を設けて分べんを扱ってきた。また平成20年度からは毎週水曜に県成人病センターの産科医の派遣を受け、金曜日には京都大学からも派遣を受けてきた。しかし現在まで、35歳以上の初産、帝王切開や逆子などリスクの高い出産、救急時は対応できない状況が続いていた。
 市立病院での分べんの取り扱い件数は産科医が4人いた平成18年度が525件だったが、一人体制になった翌年が0件となり、以降も14件~40件と続き、昨年度が34件だった。分べんを行った施設は、最近のデータで平成25年度に誕生した市内の子1056人のうち、市内の民間診療所と市外の医療施設が約半数ずつとなっており、市立病院では1割にも満たない。
 市や市立病院は平成19年度以降、県内外の大学病院を中心に産科医の派遣を依頼。平成22年1月に策定された県の地域医療再生計画でも市立病院での分べんの再開が明記された。また市議会や市内の女性で組織の「安心なお産を願う会」なども市や県に要望活動を展開してきた。
 市立病院に着任する医師は土岐利彦さん(60)=現・奈良県生駒市立病院産婦人科部長=と、高原得栄さん(53)=現・社会医療法人誠光会草津総合病院。いずれも主任部長(次長級)として就く。
 着任後は徐々に医師による分べんを増やしていき、平成28年度から当面は年間150件の取り扱いを目指す。院内助産所も当面は継続させる。また継続して若手の産科医の派遣も大学などに求めていく。
 市立病院の産科医が再開されることに、安心なお産を願う会の代表を務めた高居涼佳さんは「産科が再開されるのはとてもうれしく、ありがたく思います」と話していた。

2015年10月30日金曜日

認知症カフェ・HOTカフェんde銀座町の飲食店・小さな銀座にオープン

 認知症の人・家族や関心のある市民が集う認知症カフェ「HOTカフェんde」が29日、彦根市銀座町の飲食店「小さな銀座」=写真=内にオープン。認知症カフェが民間経営の店舗を借りる形で開店するのは県内初めてだという。
 福祉施設内にサロン的に集う認知症カフェはあるが、医療・福祉の関係者や認知症に関心のある市民らにも集まってもらおうと、NPO法人喜房会(後三条町)が市の補助を受けて新設することにした。
 店舗名のHOTカフェんdeは、認知症の人を「ほっとかへんで」から命名。認知症サポーター養成講座で講師を務めるキャラバン・メイトら計5、6人がスタッフとして入り、相談やイベントなどで交流を図る。今年8月23日に竹ケ鼻町のすみよしクリニックデイサービスセンター内にオープンした彦根市認知症HOTサポートセンターも認知症カフェの運営に関する助言を行う。
 認知症カフェのオープン時間は毎月第4水曜日の午前10時~午後2時半。問い合わせは喜房会☎(20)2312。

ドイツ留学中の田中瑶子さん 古楽器の演奏学ぶ

 彦根市船町の田中瑶子さん(27)=写真=は、古楽器で演奏するヨーロッパのバロック音楽にひかれ、ドイツのフランクフルトで腕を磨いている。
 田中さんは城東小、東中、河瀬高、同志社女子大学音楽学科を卒業後、ドイツに渡った。その約1年後の2010年10月に古楽器に出会い、奏者が楽しそうに弾く「自由なスタイル」にひかれ、古楽器の修練を決意。フランクフルト芸術音楽大学古楽科に入り、ヴィオラやバロックオーボエ、チェンバロを練習している。
 現在は同大学で学びながら、ヴィオラやバイオリンの教室、ヨーロッパ各地での演奏会に参加。大学が休みの期間は帰国し、彦根ゆかりの音楽家で組織の団体「エコーメモリアル・チェンバー・オーケストラ」などで活動している。今月19日には本町のスミス記念堂で演奏を披露した。
 田中さんは「これからもドイツで学びながら、音楽を通して地元で育てていただいたことの恩返しをしていきたい」と話していた。

2015年10月28日水曜日

井伊直孝の甲冑を再現し商品化へ 彦根商工会議所ひこねブランド開発委員会

 彦根のブランド作りを進めている彦根商工会議所内の「ひこねブランド開発委員会」が、彦根仏壇の技術を生かした甲冑(かっちゅう)を製作しており、年度内に試作品を発表する。
 同委員会は、地域資源を生かして都市間競争を勝ち抜くまちづくりを目指し、同会議所会員や大学教員、歴史研究家ら31人で昨年9月に設立。夜間イベント・祭りなど「集客」、地場産業を生かした「商品」開発、地域を学ぶ「生活」の3つのブランド作りを展開している。
 そのうち「商品」ブランドでは、彦根仏壇事業協同組合の協力を得て、江戸時代に甲冑作りが行われていた現在の仏壇街の職人の技を生かした本格的な甲冑の再現を2年計画で進めている。「井伊の赤備え」の中で最も美しいとされる二代・井伊直孝が着用していた甲冑を再現する予定で、かぶとや胴、こて、すね当てなどの基礎となる板金部分を滋賀県板金工業組合のおうみの名工らに依頼。かぶとを除く部分がほぼ完成しており、先日行われた七曲がりフェスタでも展示された。
 彦根仏壇の技術は七職のうち、塗師、箔押師、錺(かざり)金具師、木地師の技術を採用。かぶと部分の完成後、各職人が製作にかかり、来年2月末までに試作品が完成する予定。
 来年度は試作品の改良、展示会への出展などを経て、年度内には商品化を目指す。同委員会では「この甲冑プロジェクトは彦根を全世界にブランディングする足がかりになると期待している」としている。

福満遺跡から彦根初の5世紀の古墳

 彦根市教委文化財課は、小泉町で発掘調査中の福満遺跡の一部から市内で初めて5世紀代の古墳が確認されたと発表した。
 同遺跡は小泉町や西今町に及ぶ縄文時代から、弥生、古墳時代、古代・中世までの遺構で構成された複合遺跡。これまでに古墳の埋葬施設とみられる遺構や周濠(しゅうごう)とされる溝の跡などが確認。また近くの西今、須川、竹ケ鼻廃寺などの各遺跡からは埴輪片が見つかっている。
 今回は福満遺跡のうち、ひこね燦ぱれす北側の約1200平方㍍内の約400平方㍍で今年7月16日~11月6日の予定で発掘調査を実施。弥生時代末期~古墳時代初期(3世紀後半)の方形周溝墓1基や、古墳時代中期の終わり~末期(5世紀後半)の古墳(円墳)2基=1基の周濠内の長さ約25㍍=が東西に発見。そのうち東側の古墳は全周濠の4分の1を確認し、周濠の土からは円筒埴輪片、有蓋高坏(ゆうがいたかつき)・堤瓶(ていへい)など須恵器、土師器も見つかった。埴輪と須恵器は墳丘に置かれていた可能性が高いという。西側の古墳は長さ20㍍弱の大きさ。

 彦根市内ではこれまでに205カ所で遺跡が確認されているが、5世紀代の円墳が埴輪を伴う形で見つかったのは初めて。文化財課では「犬上川右岸地域における5世紀末の有力者層の古墳が明らかになり、市域の歴史を知る上で貴重な発見」としている。