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彦根城の内堀で白鳥のヒナが誕生し、12日午後1時時点で3羽が親鳥近くを元気に泳いでいる。
彦根城管理事務所の作業員が今月5日午前にかえっているのを確認した。脇孝子副所長によると、ハクチョウたちの巣で9個あった卵のうち、5日に7羽がかえったという。しかしカラスに襲われるなどして少なくなり、現在は3羽が体長20㌢ほどまで成長している。
内堀では昨年6月にも3羽のヒナがかえり、そのうち1羽が成長していたが、年末年始の大雪とみられる影響で今年1月初めに死んだ。
脇副所長は「カラス除けなど対策はしていきたい。自然のことだからできることは限られているが、これからも温かく見守っていきたい」と話している。なお、城内には内堀の2羽と生まれたヒナ3羽のほか、埋木舎前の中堀にオス1羽が生息している。
彦根市中藪町の洋食店「スイス」が今月29日で閉店することがわかった。料理のおいしさと草木で覆われた建物の雰囲気から、休日には行列ができる人気の店だった。
同店は1972年にオープン。ハンバーグやオムライスが有名で、近年ではメニューや建物の外観がSNSでアップされたり、テレビで報じられるたりして、県外ナンバーのバイクや自動車が多く見られた。
店主の伊藤共栄さん(79)とその家族らで経営してきたが、後継者不足と建物の老朽化のため閉店を決めた。建物は解体される予定。伊藤さんは「50年という長い間経営し、地域の皆さんにもひいきにしてもらった」と話していた。
彦根市肥田町の聖泉大学看護学部の学生たちが、乳がん患者用の「タオル帽子」を手作りし、彦根市立病院に寄付した。
聖泉大も加盟するびわ湖東北部地域連携協議会の事業「SDGsでつながる学生の地域連携プロジェクト」の一環で、乳がん予防の啓発活動をしている団体のピンクリボンひこねと一緒に昨年9月から製作に取りかかった。
看護学部の3、4年生7人がミシンと手縫いで加工して製作。裁縫に不慣れな学生でもできるよう、市内の子ども用品店で購入した90㌢から110㌢までの服をリメイクする形で帽子12着を作った。
3年の南里沙さん(22)=東近江市=は「肌に優しく、気軽に使ってもらうことを心がけて作った。これからもどんどん作っていきたい」と話していた。寄付を受けた彦根市立病院の金子隆昭院長は「治療で髪の毛が抜けると、女性の場合は生活の質が落ちてしまう。タオル帽子は患者にとっても大きな喜びになる」と礼を述べた。
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多賀町教委は、現存する中世の墓地遺跡のうち国内最大規模で最古の(※)敏満寺石仏谷墓跡(びんまんじいしぼとけはかあと)=国指定史跡=の一部の復元工事を完了したと発表した。
大量の石仏と五輪塔
1995年に地元から敏満寺遺跡内にある石仏谷(通称)の整備の要望を受けた多賀町教委は翌年度から測量調査を実施。2002年7月に多賀町指定史跡とし、翌年度から2年間かけて発掘調査を行い、数え切れない石仏や五輪塔を確認。1万0475平方㍍におよぶ中世墓地群だったことが判明し、05年7月14日付で国史跡となった。
地元の有力者埋葬か
発掘調査では12世紀から17世紀まで(平安時代終わり~江戸時代初め)の土器や陶磁器が発見。そのうち14世紀代が56%、13世紀代が27%で、土器や陶磁器のほとんどが火葬した骨を入れる蔵骨器だった。12世紀後半から13世紀の各地で確認されている墓地は土葬が主体で、天皇や貴族、一部の武士の上位階層のみが堂や塔の中に遺体または火葬骨を埋葬する方法を採用。その後、石塔を建てる墓地に変化し、有力な武士や高僧らが石塔群として墓を形成した。
敏満寺があった地域は中世時代、奈良の東大寺と深い関係にあったことが知られており、極楽浄土の世界があるという認識と共に西方を意識し、西側を正面に地元の有力者や高僧向けの墓を構築したとされる。一方で15世紀以降、敏満寺は多賀大社との連携が深くなり、北側に中心が移り発展していった。町教委では「中世の前期から後期にかけて、社会の変化に合わせて宗教都市から戦国時代の寺院型の城塞都市に変化した歴史を、石仏谷墓跡で出土した土器や陶磁器の移り変わりが物語っている」としている。
5日現地説明会
遊歩道整備 公開へ
町教委は墓跡を整備するため2013年度に活用に向けた管理計画を作り、16年度から史跡整備に着手し、中央部で復元作業をしてきた。整備事業は2028年度完了予定で、遊歩道を整備して一般公開する予定。
復元作業が完了した中央部の墓は南北約17㍍×東西8㍍。西側に大きな石を並べ、一部で2、3段ほど積み重ねている。中心部は南北約8㍍×東西約3㍍の低い墳丘を築き、川原石を敷き並べ、墳丘の頂上部分に蔵骨器7基を設置した。
中世石造物研究が専門で大阪大谷大学の狭川真一教授は「敏満寺石仏谷遺跡は当初の位置をおおむね保ちながら現存しており、石仏などの数もおびただしい。分布範囲も広大で、現存遺跡では最大規模で最上級の保存度合い。復元した墓跡は地域有力者の墓地として評価できる」とコメントしている。問い合わせは多賀町立文化財センター☎(48)0348。
※【敏満寺】湖東三山と並ぶ寺院だったとされ、その開基は平安時代の後期ごろと言われている。最初に登場する記録は天治2年(1125年)の敏満寺が京都の平等院を介して園城寺の支配下に入ったとされる内容。延慶2年(1309年)の記録によると、堂舎40軒余り、宝塔数カ所があったとされ、ピーク時には50余りの堂舎が立つ大規模な寺院だったと伝えられている。元亀3年(1572年)に織田信長に攻められた後、廃寺となった。現在は寺自体が無くなり、遺跡上には名神高速道路が走っている。
ロシアの侵攻を受けているウクライナから彦根へ避難しているイリーナ・ヤボルスカさん(50)と家族が20日、市役所を訪問し和田裕行市長と面談した。来月末からウクライナの料理を市内で提供する予定のため、面談後にはキッチンカーを見学した。
来庁したのはイリーナさん、娘で彦根在住のヤボルスカ・カテリーナさん(31)と夫の菊地崇さん(28)。ロシアの侵攻後、イリーナさんは母親のギャリーナ・イヴァノヴァさん(80)と一緒に3月上旬から約2週間、ハリコフからポーランドへ避難。3月22日に来日し、翌日から彦根に入り、現在は松原町の県施設の宿舎で過ごしている。
面談はヤボルスカさんの通訳や、専用の通訳機のポケトークを使って行われた。冒頭、和田市長は「ウクライナの侵攻をしたロシアに強い憤りをおぼえ、残念でならない。皆さんに何ができるのか日々考えている」と話した。
キッチンカーで来月~経営
「避難者の再出発の一例に」
イリーナさんは「母親と一緒に働けることとして料理を提供したい。支援をいただいた皆さまに恩返しもしたい」と要望。これに対し、彦根市側は近江ツーリズムボードが所有するキッチンカーを貸して、いろは松や四番町スクエアで提供してもらう案を示した。
市長からの彦根での暮らしを問われたイリーナさんは「街がとてもきれい。美しい自然で母と一緒に喜んでいます」と笑顔を見せた。菊地さんによると、ポーランドに避難していた際、イリーナさんは精神的に落ち込んでいたが、彦根では楽しそうに生活しているという。
イリーナさんが作る料理は「ブリンチキ」というクレープのような生地にさまざまな具材を巻く食べ物で、ウクライナでは定番の人気料理。来週以降にクラウドファンディングで支援を求め、5月下旬にプレオープンし、6月下旬には自分たちのキッチンカーで販売する計画だ。
イリーナさんは「働いて生計を立てることが日本国内にいる避難者の再出発の元気づけになる」と語り、菊地さんは「日本に避難しても生活できることを示すことで、まだ避難できていない子どもや女性の命を救うことにつながるかもしれない」と話した。
センバツでは近江高吹奏楽部の演奏もツイッターなどSNSやマスコミ各社で話題になった。特に準決勝以降に披露した滋賀出身の歌手・西川貴教さんの曲「HOT LIMIT」や、決勝での平和堂のイメージソング「かけっことびっこ」の演奏は西川さんのファンや県民の話題にもなった。2曲が披露されることになった背景を取材した。
卒部式中「繰り上げ出場」発表
部員たち驚くも「試合重ね成長」
近江高吹奏楽部の甲子園での演奏曲は、ピットブルの「Fireball」やファレル・ウィリアムスの「Happy」など洋曲7曲が定番となっている。
センバツ出場校を決める選考の前段階で近江高は近畿地区から選ばれることが有力視されていた。吹奏楽部でも昨年12月末から甲子園で応援するための準備をしてきた。しかしその後、まさかのセンバツ落選の知らせがあった。吹奏楽部は新型コロナのため2月から3月16日に延期になっていた文化プラザでの卒業演奏会で野球応援メドレーなどを披露した。
そしてその翌日、繰り上げ出場の発表があった17日の午後6時から3年生を交えて校内で開いた卒部式の時だった。部長の福永千秋さん(17)=東近江市=と指揮の工藤優莉さん(17)=野洲市=によると、卒部式が始まってしばらくして、顧問の樋口心さん(46)が急に生徒たちの前に近江の帽子をかぶって立ち「甲子園へ応援に行くぞ」と繰り上げでの甲子園出場を発表。しかし繰り上げ出場の事実を知らず、落選だと思っていた部員たちは「どういうこと?」と顔を見合わせていたという。
部員の間では初戦の応援前の時点でも「本当に甲子園へ行けるの?」との声があがるほど疑心暗鬼の状態だった。しかし試合が進むたびに演奏の熱も帯び、福永さんは「試合を重ねるたびにクオリティーがあがり、球場の観客からも手拍子が起こったり、SNSで話題になったりした」と満足そうに振り返った。
「滋賀の特色」急きょ練習
準決後「かけっことびっこ」も
今春のセンバツで注目された近江高吹奏楽部の曲は、準決勝と決勝で披露された西川さんの曲「HOT LIMIT」と、決勝でのみ演奏された平和堂のイメージソング「かけっことびっこ」。
近江の繰り上げ出場からの快進撃を受け、西川さんはツイッターで「目指せ、決勝!頑張れ、近江高校!」と発信。これに吹奏楽部がツイッターで「応援を吹奏楽部も全力で頑張ります!」とツイートしたことから、つながりが生まれた。
そして「滋賀の特色」を出そうと、準決勝を前に急きょ「HOT LIMIT」を応援歌に追加。これまで練習したこともなかったが、楽譜がたまたまあったこともあり、2、3年生の部員53人で練習。準決勝では主戦の山田陽翔投手の打撃の際にサビの部分を披露し、山田投手が途中降板した決勝では西川さんにちなんで、西川朔太郎選手の時に演奏した。
平和堂の「かけっことびっこ」はこれまでの定期演奏会などで披露した実績があった。準決勝終了後の帰りのバスで、「HOT LIMIT」の大きな反響を知った樋口さんら顧問は「さらに盛り上げて、決勝でもう一押ししよう。滋賀で一番有名な曲を全国に届けよう」と考え、「かけっことびっこ」も追加することを決定。帰路途中のサービスエリアで部長の福永さんらに伝え、学校に戻ってすぐに全員で演奏の練習をし、振り付け用として録音して応援団の野球部員やダンス部員たちに渡した。
決勝では5回の一回のみ「かけっことびっこ」を演奏する予定だったが、「想像以上に盛り上げり、反響がすごかった」(樋口さん)ため、その後も何度か演奏した。
「夏出場時も応援したい」
福永部長と指揮の工藤さん
新しい2曲を中心に吹奏楽部の応援曲に対してはSNSを中心に反響を呼び、マスコミ各社も相次いで取り上げた。樋口さんは「知人からは演奏を聞いたとたん、涙が出てきたとも聞いた。夏の大会でも甲子園出場時はどういう構成にするか、県民の皆さんに喜んでもらえるよう考えたい」と話した。
福永さんは「甲子園で5試合も応援の演奏ができ、私たちも成長できたと思う。夏の大会でも甲子園に行けたら選手のために一生懸命応援したい」と語り、工藤さんは「センバツではアルプス席を近江一色に染めることができた。私たちの演奏もリアルタイムで反応があり、盛り上げることができて良かった」と話していた。.jpg)
春の選抜高校野球大会(センバツ)で近江高校は県勢初の準優勝を果たした。野球部のエースで4番バッターの主戦・山田陽翔投手に、夏の全国高校野球選手権大会に向けた課題や将来の目標について聞いた。
センバツで山田投手は準決勝までの4試合を
一人で投げぬき、前日の準決勝で足に死球を受けながら、決勝の大阪桐蔭戦にも先発。3回途中で降板し、チームも1対18で大敗したが、山田投手はすでに次(夏)に向けて動き出している。
決勝での力負けについて、山田投手は「元気な状態だったら、きん差の試合になったかもしれない。投げられなかったため、体力のなさを痛感した。夏に向けて体力と技術の向上に努めたい」と自身の課題をあげた。
投手力育成へ「日々努力」
140㌔台普通に打てる打力も
夏の選手権大会で優勝するためについては「近江の野球は守備でリズムをつかんで、打撃につなげていくスタイル。それを実現できれば優勝につながる」と説明。「大阪桐蔭だけでなく、全国クラスの高校の投手は常に140㌔台を投げてくる。その球を普通に打てるようにならないと、優勝はできない」と力説した。
課題の一つにあがっている山田投手以外の投手育成については「ピッチャーは全国クラスの3枚が必要だと思う。僕を含めて、日々の努力を重ねて成長していく必要がある」と述べた。
自身の投手での課題については「選抜前は投げ込みが不足していた。けがをしない体を作ったうえで、技術面を磨き、これまでのストレートの最速148㌔から150㌔のスピードボールを投げたい」と意気込みを語った。
「地元愛」で近江へ
彦根の高校「誇り」
山田投手の3つ上の兄は大阪桐蔭出身で、自身も中学校時代に大阪桐蔭から誘いを受けたという。それでも近江を選んだ理由については「強い高校に進むよりも、強い高校を倒したかった。そして何よりも地元滋賀で一番強い近江に進みたかった。地元愛という気持ち」と笑顔を見せた。
センバツ終了後、彦根駅などでは市民から「感動したよ」と声をかけられるようになったといい、山田投手は「彦根にある高校で戦うことができ、誇りに思う」と話し、将来については「プロ野球選手を目指したい」と力強く話した。