2017年6月9日金曜日

井伊直孝と小早船

 今号から彦根市芹川町の作家・中川啓子さん(76)が、あまり知られていない彦根などの歴史を不定期で紹介していく。初回は彦根藩二代・井伊直孝公の時代に運航されていた小早船(こばやぶね)に関する逸話。
 起工して二十年目の元和八年に完成した《金亀(こんき)城》と呼ばれる彦根城は三方が琵琶湖の入江によって囲まれ、一方のみが平野に連なって周囲約一里に及ぶ大城だ。琵琶湖の湖上権も握り、城下には兵船をつなぎ《小早船》といって井伊家自慢の二十四丁艪(ろ)の早船を備えた。
 この小早船が井伊直孝を救った話がある。
 寛永十一年七月六日、三代将軍家光がご上洛の時、彦根城に立ち寄られて一泊する。
 直孝は家士の婦女子たちを近くの村落へ立ち退かせ城下の女気をなくす。そのことで、直孝が将軍家に謀反を抱いていると、家光に告げた者がいた。それを聞いた家光は怒って夜中に出発してしまった。
 驚いた直孝は、すぐに小早船にのり、異心のない証明に、槍一本を握って舳先(へさき)に立つ。
 大津に向かった小早船は、湖面をきり風を切って進む。わずか一刻半(いっときはん)で大津に到着。
 船から下りて、家光公に申し開きするために、中山道大津宿で威儀を正しくして待ち受けていると、夜中に発った家光公のお行列が到着する。
 籠を降りた家光公は、城に置き去りにした筈の直孝が目の前にいて、一本槍を握ったまま跪き、我を待っているのに、びっくりする。
「謀反などもってのほかで、ございます。殿が静かにお休みになれますように、婦女子どもの黄色い声を移したまで、何の異心もありませぬ」と弁明した。
「わかった」と家光公は頷いた。
「小早船はそんなに速いのか。ならば、城までとって返し、京まで供奉せよ」
 以来、井伊家は参勤交代の道中も槍一本に限られるようになった。        (出典「日本の名城」)

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