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2009年3月12日木曜日

幕末~昭和初期の彦根、新修彦根市史・8巻

 彦根市教委は、井伊直弼の政治や幕末維新期の彦根藩、明治から昭和初期にかけての彦根をまとめた「新修彦根市史」(第3巻 通史編 近代)を発売した。
 新修彦根市史は平成6年に編集が始まり、同13年に最初の「第5巻 史料編 k古代・中世」が発刊、以降毎年1巻ずつ刊行され、今回で8巻目。同25年までに全12巻が作られる。
 「第3巻 通史編 近代」では、▽幕末維新期の彦根藩▽明治の文明開化と彦根▽日清・日露戦争期の彦根▽デモクラシーと恐慌の時代▽総力戦と総動員の時代―の5つの章に分け、幕末から昭和初期の彦根を詳細に説明している。
 「幕末維新期の彦根藩」では、日米修好通商条約締結の際、彦根藩では締結には天皇の許可が必要であると考え、直弼も勅許を得るために調印を延期していたが、米国総領事のハリスから英仏が軍艦を派遣するとの情報を得、やむなく調印を許可した―と説明している。 本には、ジャーナリストの田原総一朗氏が「私と彦根」、彦根史談会の中野修吾会長が「回想 わが白墨人生プラス彦根史談会」をテーマにした論述した別刷りの巻報も入っている。A5判、788ページ。5000円。市役所1階、支所・出張所、彦根城博物館、市内の書店で販売。注文は市教委市史編さん室℡0749(27)3544へ。

2009年3月10日火曜日

名勝・お浜御殿、今春から公開へ

 彦根市松原町の旧彦根藩松原下屋敷(通称・お浜御殿)=国指定名勝=が今年の春と秋に、1カ月間限定で公開されることになった。これまでは、市教委文化財主催のイベントで一部の建物に入場できるのみだった。
 お浜御殿は、文化7年(1810)ごろに十一代藩主・井伊直中によって約2万0881平方㍍の敷地に建てられた。奥座敷、台所、書院、5つの土蔵などがあったとされるが、現存するのは奥座敷と台所のみ。明治22年(1889)に大広間と玄関の2棟が増築されたほか、建築時期不明の門番所と長屋が残っている。
 全敷地の約半分を占める庭園は、琵琶湖と連動して水位が変化する汐入形式を採用した池を中心に、西側に緩やかな州浜、東側に築山が設けられている。しかし、江戸時代の建物を中心に壁の亀裂やはく離、柱の損傷、庭園の荒廃など早期の改修が必要なため、市は今年度までに約5560平方㍍分を公有地化している。
 新年度は、更なる買い取り費として来年度予算案に5億6451万円を計上、全敷地の約85・5%を占める約1万7846平方㍍を公有地化する。平成24年度までにすべての敷地を買い取り、建物の保存修理と植栽の整備、発掘調査を行う。その後、新たな観光ルートとして一般公開する予定。また、整備の完了までは今年からの「新緑の春」と「紅葉の秋」に敷地全体を無料で限定公開する。

城内の桜の保全活動に市民50人参加

 彦根城内の桜の保全活動が3月8日行われ、ひこね桜守のメンバーや県レイカディア大学の生徒など約50人が参加した。
 黒門から表門の内堀沿いにある約200本の桜の根元や枝先の真下部分に、直径15㌢、深さ10㌢ほどの穴をあけ、洗面器1杯分の肥料を埋め込んだ。また穴を掘るほかに、木の周りに溝を作って肥料を埋める方法も行われた。

国道を家が走行? 甲良町で曳き家工事「スクエア・フレーム工法」採用、西川総合建設

 甲良町池寺の国道307号線でこのほど、2日間かけて民家を移動させる工事が行われた。
 施工業者は全国で曳き家工事を手がける西川総合建設(長浜市・西川善蔵社長)。移動方式は建物を傷めずにレールを敷きながら重機で引っ張って移動させる「スクエア・フレーム工法」が採用された。
 甲良町では国道の拡幅に伴い、民家を約80㍍移動させる工事が行われ、作業員8人がレール造りと重機での牽引を繰り返し、「赤ちゃんがハイハイするほどのスピード」(西川社長)でゆっくりと移動させた。国道を民家と車がすれ違う珍しい光景に、マスコミやゲーム会社のほか、近所の住民も興味深く見守っていた。

2009年3月6日金曜日

定額給付金 彦根は4月下旬から支給、犬上は4~5月

 定額給付金の支給について、彦根市は4月中旬から申請書を送付し、下旬から振り込みを開始することを決めた。
 定額給付金は、1人あたり1万2000円、基準日の2月1日に18歳以下と65歳以上の人には2万円が支給される制度。世帯主に申請書が送られてくるため、それに金融機関の口座番号などを記入し、運転免許証(コピー)など本人と証明できる書類を添付して各市町村に返送する。2月1日に生まれた人や亡くなった人も住民基本台帳に載っていれば、支給対象になる。
 彦根市の場合、対象者は11万1787人。そのうち2万円が支給される18歳以下が2万1387人、65歳以上が2万1744人、残りが1万2000円の支給者。原則、金融機関への振り込みだが、希望者は市役所で受け取りもできる。世帯主と別居している人などへの対応については、「検討中」としている。問い合わせは市定額給付金等給付推進室℡(30)6135へ。
 犬上郡の支給開始日は、甲良町が5月下旬、多賀町が4月下旬、豊郷町が4月25日。

「赤鬼魂、胸に戦う」 彦根東高の激励会

 第81回選抜高校野球大会(センバツ)へ出場する彦根東高校の激励会が3月5日、市役所玄関ロビーで開かれた。
 若野哲夫校長を先頭に今井義尚監督や選手18人が入場すると、市職員から大きな拍手が起こった。激励会では、若野校長のあいさつの後、今井監督が「開国150年という記念の年に甲子園へ行かせて頂くことは大変な喜び。赤鬼魂を胸に精一杯戦いたい」と話し、江竜康成部長が選手1人ずつを紹介した。
 獅山市長は、「私は50年前に卒業して感激もひとしお。甲子園ではまずヒット1本、まず1勝という小さな努力を積み重ねてほしい」と激励。市長から校長へ激励金100万円分の目録が渡された。
 新谷直弘主将は「彦根だけでなく、滋賀県代表としての思いでがんばりたい。これからも応援をよろしくお願いします」と決意を述べた。

監督、部長を22年間歴任の杉野直さん

 昭和37年から同58年まで、彦根東高野球部の監督や顧問を務めた杉野直(すなお)さん(69)。当時の皇太子殿下(現・天皇陛下)に似ていたことから、「皇太子さん」の愛称で、いまも卒業生や野球部OBとの付き合いがある。
 ―もともとは東高出身ではないとのことですが
 ◇私は山口県出身で、昭和37年に新任の英語教員として東高に赴任してきました。そしてその年に部長になり、以降、野球部との付き合いが始まりました。
 ―当時の様子を聞かせてください
 ◇昭和37年は新校舎(現校舎)が以前のグラウンドに建設されたため、練習の場は現在の彦根城博物館のある広場でした。しかし、同じようにグラウンドの確保に苦しんでいた近江高校と交互に利用していため、満足した練習はできませんでした。この状況は校内にグラウンドが整備される1年間ほど続いたと思います。
 ―監督や部長を務められた22年間で強かった時期は
 ◇昭和40年の秋の大会で準優勝し、近畿大会でもベスト4に進出しました。しかし、1回しか戦っていなかったためセンバツ出場は果たせませんでした。翌41年の夏の大会でも準優勝し、気運の高まりに伴ってその年の10月に野球部の後援会が結成されました。
 ―平成17年には日本高野連から「イヤー オブ ザ コーチ」を受章されたとのことですが
 ◇これは私の功績ではなく、これまでの野球部員の代表として頂いた賞だと思います。(現在の監督の)今井義尚君や(部長の)江竜康成君も私の教え子でした。監督や部長をしていたお陰で、人間関係も密になりましたし、豊かな今があるように思います。野球部さまさまで、野球への感謝の気持ちでいっぱいです。
 ―現在の部員へ激励の言葉をお願いします
 ◇しっかりと練習をして、練習をしたんだという気持ちを持てば、バタバタしないしっかりとした野球ができると思います。