彦根市と犬上郡の話題を中心に、関連する国政や滋賀県政のニュースもお送りします。取材依頼や身近な話題の提供などもお待ちしています。 電話0749-65-0608 FAX0749-62-4483 メール(hikone@shigayukan.com)

2014年1月14日火曜日

国体主会場誘致へ滋賀県内3地域がPR合戦へ

 平成36年に滋賀県内で開かれる国体の主会場を誘致する活動が活発化してきた。主会場の候補地に挙がっているのは、県立彦根総合運動場、県立希望が丘文化公園(野洲、湖南両市と竜王町)、びわこ文化公園都市(大津、草津)。彦根市などが一足早く要望書を県知事に提出しており、今後、選定時期の3月までにほかの地域を含めたPR合戦が行われそうだ。
 候補地は3地域のほか、当初は大津市の皇子山総合運動公園も挙がっていたが、同市は費用負担の軽減や瀬田・石山エリアの開発促進のために、びわこ文化公園都市に絞る意向を示している。彦根市など湖東・湖北の7首長は昨年11月に主会場を彦根に誘致することを求める要望書を嘉田知事に提出。ほかの候補地でも市議会で主会場誘致を求める意見書を可決する動きがあるなど誘致活動に努めている。
 主会場などを選ぶ県開催準備委員会は昨年末に大津市内で開いた専門委員会で、県内候補地別の概算での事業費や課題などを提示した。そのうち施設を整備するための事業費は、彦根が134~140億円、希望が丘が128億円、公園都市が217億円―必要とされた。
 また課題として、彦根は▽城下町景観形成地域など法令上の問題▽彦根城の世界遺産登録への影響▽競技場付近の地盤が不良▽場内の駐車スペース不足―などが指摘されたほか、希望が丘は山を削る工事が必要、公園都市は山林の大規模造成が要る点などがそれぞれ挙げられた。
 県教委の国体準備室によると、今後は専門委員会が開く2回の会議で各候補地の利点と欠点を分析した上で、今年度中に主会場を選定する予定。

常識と価値観の転換を

 今年の本紙元日号で、雑穀料理家の大谷ゆみこさんと弊社の押谷会長との対談記事を紹介したが、お二人の「食」に対する考え方の一致に気づかれた読者もおられるだろう。
 昨年の終わりごろ、大手のホテルや百貨店が経営するレストランの食材「偽装」が話題になったが、この惨事は起こるべきして起きた現象であり、それまでは大目に見てきた神様の警告でもあったのだろう。
 しかし、スーパーやコンビニで見かける食品の裏面ラベルには、着色料、化学調味料、香料など、ありとあらゆる添加物が列記されている。国民の健康よりも、おいしさを「偽装」しながら利潤を追求するメーカーや販売業者の企みとしか言いようがない。
 一方では、「トクホ」「無添加」「無糖」など一見、体に良さそうな表示も見られるが、それらも所詮は官僚機構が定めた基準に従っただけであり、どこの国の食材を使っているのかもわからず、信用できまい。企業と官僚との癒着もあるだろう。
 癒着に関して言えば、「ワクチン」も医療業界と官僚機構との癒着があるだろう。インフルエンザ対策や幼少期に接種するワクチンも元来は強制すべき類ではない。人間には自然治癒力があり、ウイルスに抵抗できる体になっている。その元来の体を作ってきたのが「食」である。
 大手のテレビや新聞では、食や医療業界の企業の言われるままに宣伝しているが(広告費で飯を食わせてもらっているのだから、致し方ないかもしれぬが)、本紙元日号の対談の主題でもあった「日本人本来の食」への回帰のためのキャンペーンがあっても良かろうに。
 ▽小麦によるパン食からごはん・雑穀食に戻す▽砂糖を使わずに昔ながらの製法で作られた塩や味噌、しょう油を使って元来の和食を作る—。この日本人本来の食こそが健康長寿のための基本であるというのは、疑いようのない事実である。
 食や医療はもちろん、他の分野においても、目先にある常識にとらわれる(振り回される)のではなく、また、これまで培ってきた価値観を自戒しながら、一歩引いた目線で判断する捉え方こそが現代の我々に求められている、と確信している。【山田貴之】

2014年1月10日金曜日

(元日号)ごはんの力で健康長寿に 雑穀料理家・つぶつぶグランマゆみこさん×滋賀彦根新聞社・押谷盛利会長

 日本は世界有数の長寿国である一方、死因の6割が3大生活習慣病(がん、心臓病、脳卒中)だとされ、医療などの社会保障費は平成25年度中に過去最高の40兆円を突破するという。いかに健康なままで長寿をまっとうできるのか—。
 滋賀彦根新聞は、先の大戦前に日本人が食していた元来の食文化を取り戻す活動を全国で展開している雑穀料理家・つぶつぶグランマゆみこ(本名・大谷ゆみこ)さんと、本紙の押谷盛利会長との対談を行った。
大戦後、ごはんからパン食へ
戦勝国は日本の食文化も破壊
 ―ゆみこさんは昨年、著書「ごはんの力」を出版されましたが、ごはん(雑穀)にはどのような力があるのでしょう
 ゆみこ 私が子ども時代、過ごしたのは栃木県足利市の田舎町。食卓に上がっていたのは、ごはん、みそ汁、漬け物でした。そして夕ご飯はお米が少なかったため、うどんでした。しかし、ごはんには栄養が無いと教えられ、年ごろの時期には太ると思って、ごはんを食べないでいました。私が育ったころは(日本国中)どんどん病気が増えていたように思います
 押谷 足利は田んぼが少なかったのですね
 ゆみこ 関東地方はお米が出来にくい土地柄なので、小麦が多く収穫され、雑穀も食べていました
 押谷 僕の子ども時分は、母親から「わしは備前の岡山育ち、米のなる木をまだ知らぬ」という言葉をよく聞かされ、毎日ごはんを食べていることを喜ばなければいけないと教えられていました。そういう事を考えると滋賀の人はその当時からごはんが食べられていたので幸せだったと思います
 ゆみこ 私の母もへらやお釜についたごはんを一粒も残さないようにしていました。それなのに、ごはんには栄養が無い、パンの方が栄養がある、というような話を聞くと、そうかなと思ってしまう自分もいて、ごはんに対しては恩恵を受けているのに価値がわかっていませんでした
 押谷 日本人は先祖代々、新嘗祭や神嘗祭を通して、ご先祖にお供えしたり、ごはんを炊くたびに仏様にお供えをしていました。お米を大事にするしつけは小さいころから行われていましたが、途中でおかしくなってしまって、先生(ゆみこさん)のおっしゃる通り、ごはんは栄養にならないというバカなことが世論になってしまいました
 ゆみこ 日本の民族の主食である作物から、米や雑穀がなぜなくなったのかを調べると、一つ目は第二次世界大戦後、米国で小麦が多く収穫されて、小麦の市場価格が大暴落するという話になったらしく、日本などアジアに小麦が大量に輸出され、パンが主食になったためです。二つ目として米国などは穀物を牛のえさにしようと、子牛と一緒に売り、そして畜産をさせていたという記録が残っています
 押谷 私も余りすぎて小麦を海に捨てていたという話を聞いたことがあります
 ゆみこ 戦争をして勝った国々は相手の食文化も破壊します。例えば、スペイン人がインカ帝国を滅ぼした時、小麦以外の物を食べると逮捕した歴史があります
 押谷 食料でその国を支配するということですね。終戦後、日本は給食を導入しました。米国から脱脂粉乳を輸入し、給食をパン食にしたことで、米よりパンが良いという考えが広まりました。また今の人は菓子パンを食べています。
 ゆみこ そうです。日本で言う食パンは西洋では菓子パンで、ヨーロッパの人が食べているパンは、粒とかが入っていて、私たちは間違ったパンを押しつけられています。その上、お米を敬わなくなりました
 押谷 日本人は米を食べなければならないと教えるのが親の役目です。米を食べなくなったのは、米国の占領政策に乗せられたようなものです
 ゆみこ その事をわからずに、親を敬わず、自分の国にも自信がもてない、誇りに思わないような、根のない人が多くなってしまいました
 押谷 戦後の歴代の政府が学校給食で米を食べるということをもっと押し出すべきでした。米を食べることで農業が栄え、我々の健康を維持する事ができます。なぜ日本の政府は米を食べることの大切さを、国民に示さなかったのでしょう。先生の本を読むと「お米は大事、お米さえ食べたら健康になる、病気にもならずに、心も良くなる」と書いておられます。「お米を食べて」と言う人がおられることは、仲間が増えた気持ちです。こういう本を政府は陣頭に立ってすすめなければならないと思います。
(続きは本紙元日号で)

2014年1月9日木曜日

(元日号)日本陸上界のホープ・桐生祥秀選手に聞く

 陸上競技100㍍で日本歴代2位の10秒01の記録を保持し、日本陸上界のホープとして注目されている彦根市開出今町の桐生祥秀選手(18)=洛南高校3年=に、今後の抱負などを聞いた。(聞き手・山田貴之)
日本人初の9秒台へ
 ―昨年は数多くの大会に出ていましたが
 桐生 昨年は約50本のレースに出て、幾つかの課題に対して走りながら考えている感じでした。しかし今年は、大学では日本インカレ(日本学生陸上競技対校選手権大会)、国際大会では米国で世界ジュニア陸上競技選手権大会があり、練習とレースのメリハリをつけてのぞみたいと思います
 ―課題とはどの部分でしょう
 桐生 幾つかありますが、例えばスタートの際、しっかりできる場合と、そうでない時があります。またトップスピードもまだまだで、もう一段階上げていかなければいけません
 ―特にトレーニングで心がけている体の場所は?
 桐生 下半身です。特に腰回りを鍛える必要があるため、スクワットを基本に筋力アップをしていきたいと思います。上半身も大切ですが、下半身の安定がまずは大切だと考えています。上半身は東京オリンピックがある2020年をめどに鍛えていきたいと思います
 ―昨年の世界陸上で、世界記録保持者のウサイン・ボルト選手=ジャマイカ=ら海外の選手の走りを競技場で見た感想は?
 桐生 海外の選手は体のつくりが違い、走り方も異なります。だから、まねをしようとは思いません。自分の理想とする走りを極めていきたいと思います
五輪での活躍期待
 ―国民は日本人初の9秒台を期待しています
 桐生 まずは10秒0台をコンスタントに続けて、そのどこかで9秒台が出せれば良いなと思っています
 ―今年の目標は
 桐生 「(10秒0台の)アベレージを高くしよう」が今年の目標です。10秒0台を出し続けて、どこかで9秒台が出れば良いな、という感覚で練習をする方が自分にとってプラスになると思います
 ―2016年にはブラジル・リオで、20年に東京でオリンピックがありますが
 桐生 まずは両方のオリンピックに出場することが夢です。そのためには、海外の選手たちと対等に勝負できる体作りに努め、オリンピックでは決勝に進めれば良いと思います
 ―彦根市民も応援しています
 桐生 昨年は4月に10秒01を出しましたが、超えることはできませんでした。今後も注目してもらえるよう、がんばっていきますので、引き続き応援をよろしくお願いします。    (了)

2014年1月8日水曜日

(元日号)ひこにゃんVSくまモン 観光戦略の違い探る

 ご当地キャラクターの今や横綱級の地位にある彦根市のひこにゃんと、熊本県のくまモン。ひこにゃんが主に彦根城で「待つ」姿勢である一方、くまモンは国内外へ積極的に営業に出かけ、熊本への観光客の誘致に貢献している。ひこにゃんとくまモンの観光戦略の違いを探った。
「殿様」的か「商人」的か
 ひこにゃんは彦根城築城400年祭に合わせて平成18年4月13日に誕生。当初はそれほど注目されなかったが、築城400年祭の開幕と平成20年6月からの井伊直弼と開国150年祭で国民的キャラとなり、その
後のゆるキャラブームの火付け役を果たした。
 一方で著作権や商標権を巡って、市とひこにゃんの原作者・業者らとの対立が表面化し、法廷闘争まで泥沼化した(最終的には和解)。使用できるデザインは3種類のイラストと1種類の着ぐるみ写真となっているが、商品への商標使用は有償で、販売小売額と予定生産数をかけた額の3%を市に納めなければならない。また商品などには1枚1円の証紙を貼り付ける必要がある。
 対するくまモンは九州新幹線全線開業を控えた1年前(ひこにゃん誕生から約4年後)の平成22年3月に生まれ、その後、全国区に躍り出た。イラストの利用料が無料ということもあり、関連グッズ数は日用品や小物などさまざまな分野に及んでおり、昨年11月末時点で約1万4000点を超えた。ひこにゃんのように使用できるイラストが限られていないため、くまモンをイメージしたクッションやエプロンなど用途も幅広い。認証番号さえ併記すれば、県外の企業広告看板や名刺、職員研修用の冊子などにもイラストを入れることができるという。もちろん証紙も必要ない。
ひこにゃんはキャラ界の神
 観光客の誘致のために生まれた同じご当地キャラクターであるにもかかわらず、「殿様」的なひこにゃんと「商人」的なくまモン。なぜ、ここまで違いが出てしまったのか―。
 全国のご当地キャラのイベントに主催者またはアドバイザーとして参加している日本ご当地キャラクター協会(本部・彦根市小泉町)代表理事の荒川深冊さん(43)によると、彦根市の市民性と熊本県の県民性の違いがあると解説した上で、全国の自治体の担当者からは「ひこにゃんは別次元」との声が統一して聞かれるという。
 つまり、ひこにゃんに追いつけ、追い越せで、くまモンをはじめとして次々にご当地キャラが生まれたものの、ひこにゃんはいつまで経ってもご当地キャラの象徴であり、いわばご当地キャラ界の「神様」のような存在だという。
 そのため荒川さんいわく、ひこにゃんは彦根の殿様文化に合ったキャラクターであり、全国から見ても「殿様」的な地位にあるため「今のままで良いのかもしれない」と分析する。
 一方で「ひこにゃんの周りにいる我々、観光に携わる人間は変わっていかないといけないけれど・・・」とも釘を刺す。ひこにゃんの今後の活躍にまだまだ目が離せない。 【山田貴之】

2014年1月6日月曜日

湖東焼の鳴鳳作品展 彦根城博物館で元日〜、たねや美濠美術館でも湖東焼展

 彦根城博物館は来年1月1日からテーマ展「湖東焼―鳴鳳(めいほう)と赤絵金彩―」を開く。
 湖東焼は文政12年(1829)に、古着商を営んでいた絹屋半兵衛が彦根で始めた焼き物。天保13年(1842)に彦根藩が窯を召し上げて、井伊家十三代・直弼の時代に黄金期を迎えたが、桜田門外の変後は縮小。文久2年(1862)には民間へ移行し、佐和山のふもとで生産されていたが、明治28年(1895)に廃窯となり、その歴史に幕を閉じた。
 種類は藩の内外で取り引きされた日用品から、藩主の愛用品・贈答品として用いられた高級品までさまざま。その中で磁器に赤色で絵付けし、金色で彩色した赤絵金彩の作品は華やかで、その絵付け師としては鳴鳳や幸斎、自然斎、床山などが知られる。
 特に鳴鳳は元々、京都のてんぷう院という寺の寺侍だったが、直弼時代の嘉永年間(1848~54)の終わり頃に客分として迎えられ、安政年間(1854~60)の初めごろまでの数年間、湖東焼の絵付けをした。緻密な筆づかいや洗練されたデザインで、気品あふれる作風が特徴。井伊家伝来の鳴鳳作品は40点あまりだが、大正12年(1923)の関東大震災ですべて被災した。
 テーマ展では被災し、黒ずみが残る作品もある鳴鳳作の湖東焼40点を展示。主な作品は、硯(すずり)の近くに立ててほこりを防ぐために用いる衝立形の道具「円文散硯屏(えんもんちらしけんびょう)」、茶碗を清めるために水を入れておく茶道用の器「芦雁図水指(ろがんずみずさし)」、すり鉢型の胴と大きな高台が特徴の「羅漢雲鶴文(らかんうんかく)茶碗」。
 開館は午前8時半~午後5時、1月28日まで。
井伊直亮時代の湖東焼
 彦根市本町1丁目のたねや美濠(みほり)美術館は来年1月22日まで湖東焼展を開いている。
 平成15年9月の開館以来、所蔵している湖東焼展を開催。今年9月27日からの「秋から迎春の器」展では48点を展示。そのうち、井伊家十二代・直亮時代に作られたという「染付青海波紋吹上龍口(そめつけせいがいはもんふきあげりゅうぐち)浄水瓶」は器の下から立体的な龍が頭を突き出し、龍の口から水が出るようになっている。寺尾市四郎が作り、庄介という職人が龍の細工をしたとされる。
 入館料は中学生以上500円、小学生以下無料。開館は午前10時~午後5時。不定休。問い合わせは同館☎(24)5511。

井伊直禔の具足飾り 彦根城博物館で

 彦根城博物館は新年の元日から10日まで、正月恒例行事として「具足飾(ぐそくかざり)」を展示する。武士が出陣やがい旋などの際、よろいを飾る風習は室町時代から始まったとされる。江戸時代には飾り方に形式があり、正月には具足や太刀、弓具を飾り、その前には鏡もちも供え、11日にそのもちを開いて食べる習わしがあった。
 同博物館では毎年、彦根藩の歴代藩主の具足を展示。今年は九代・井伊直禔(なおよし)が着用し、朱漆を基調にかぶとに金箔押しの大衝脇立(おおつきわきだて)をつけた井伊の赤備え形式の具足を展示する。
 ほかに、いずれも江戸時代の太刀や弓具、燭台(しょくだい)、三宝(さんぽう)も並べる。開館は午前8時半~午後5時。