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2015年8月17日月曜日

高宮町のユクリ墓地内の海軍砲弾と機械水雷の説明碑設置

 彦根市高宮町のユクリ墓地内に保管されている海軍の砲弾(直径28㌢)と機械水雷(直径約1㍍)について解説した説明碑(高さ1㍍×幅24㌢)が同墓地内に設置。10日に除幕式が開かれた。
 高宮町遺族会の北川國男さん(73)が戦後70年に合わせて、これからも平和が続くことを願って設置。北川さんが説明文を作り、高宮町の田中家石材が碑を製造した。
 北川さんによると、砲弾と機械水雷はいずれも日露戦争(1904年)時に作られたとされ、同墓地内には2つずつある。
 砲弾は当時の陸軍大将・乃木希典が二〇三高地を攻撃している際、日本海戦で勝利した元帥海軍大将・東郷平八郎が戦艦・三笠の大砲を送り、乃木がそれで攻撃して二〇三高地を攻略した時に使われた同種の物だという。機械水雷は東郷がロシアのバルチック艦隊の日本海侵入を阻止するため、津軽海峡に浮遊させた物だという。
 いずれも火薬などは取り除かれているといい、いつから誰が同墓地に保管していたかは不明だが、大東亜戦争時にはすでに同墓地内にあったという。同墓地には日清戦争(1894年~95年)から大東亜戦争までに亡くなった高宮町内の戦没者180数人が祀られており、砲弾と機械水雷は戦没者の名が刻まれた慰霊碑前に保管。2年に1度、北川さんがペンキを塗って維持してきた。
 除幕式には高宮町遺族会の会員や地元の市議ら20人が参加。高宮町の妙蓮寺の平塚志磨人住職が読経した後、北川さんが「この砲弾と機械水雷をこれからも末永く守っていくため、子や孫にお願いしておいてほしい」と話し、参列者全員で「ふるさと」を歌った後、合掌して慰霊していた。

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