2019年2月1日金曜日

明智光秀の多賀町佐目出身伝説の講座

 来年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公の明智光秀が多賀町佐目の出身だとする伝説を広めようと、滋賀県教委は20日、多賀町立文化財センターで講座を開講した=写真。
 県教委文化財保護課の井上優さんは「明智家は美濃の国人だったが、光秀の出自ははっきりしない」としたうえで、貞享年間(1684~88)に近江について書かれて井伊家に献上された本「淡海温故録」を解説。▽(多賀町)佐目に明智十左衞門(光秀の父)が住んでいた▽光秀が越前の朝倉家に仕えることを望んだ▽朝倉家を辞して尾張の織田信長に仕官した▽信長への謀反時、多賀、久徳、阿閉(あつじ)ら多賀の武将が光秀に同心した後に没落した―ことが書かれていると説明した。
 現在の佐目に住み、光秀の家臣の子孫だと言われている見津(けんつ)さと子さんに取材した内容として「小学生の時に佐目が光秀ゆかりの地だと聞いた」「見津は本来、光秀から名の一文字を賜った『みつ』と言われたが、隠して『けんつ』と読んだ」などを紹介。本能寺の変後、安土城に入城した翌日に光秀が多賀大社などに発給した禁制についても取り上げた。
 光秀の佐目出身説の真実性については「良質の史料に書かれておらず、史実としては捉えられない」としながらも「佐目にはさまざまな伝承が残っている」「多賀大社の文書に光秀による禁制がある」「本能寺の変時に光秀に味方した多賀氏や久徳氏の拠点に隣接している」などの点から「決して荒唐無稽とは言えない」と結論づけた。
 佐目出身で株式会社マルト取締役の澤田順子さん=彦根市=は佐目地域を取材した結果報告として、光秀の屋敷があったとされる場所に建物が建てられてこなかったことや、城があった可能性がある3つの山などを取り上げていた。
 光秀多賀出身説の講座は県教委の「語り部づくり事業」の3回目として開かれ、彦犬地区を中心に80人以上が受講した。

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