2009年10月20日火曜日

築城後しばらく彦根城は佐和山城と呼ばれていた!? 田附清子さん講演

 彦根市の鳥居本地区で18日、とりいもと宿場まつりが開かれた。まつりの中では佐和山城研究会代表の田附清子さんが「佐和山城と石田三成の城下町」をテーマに講演。「彦根城は築城後しばらく、佐和山城と呼ばれていた」というあまり知られていない歴史を紹介した。
 石田三成が佐和山城主となった時期が天正期と文禄期の2説あることに、田附さんは、天正18年(1590)~文禄4年(1595)は秀吉と秀次の直轄領で三成は城代だったため、文禄4年7月~慶長5年(1600)9月が三成が城主を務めた時期といえると説明した。
 また、▽西明寺絵図が関ヶ原合戦後の佐和山城攻めの図と言われている▽多賀大社の社頭絵図に「澤山城」と注記されている▽多賀の大滝のかんこ踊り歌に「近江佐和山見物しょ」とある―としたうえで、「いずれも本当に佐和山城だったのか疑問符が付けられている」と展開。慶長11年(1606年)に彦根城天主が完成した後も数年間は古図などで佐和山城と記されていたことを紹介した。
 講演の最後に田附さんは、「関ヶ原の合戦はこの国の歴史を変えたが、三成が合戦を決断した場所が佐和山城だった」と話した。
 とりいもと宿場まつりが行われた中山道沿いは多くの人で賑わっていた。この日のために考案された「三成汁」も発売から約2時間で用意した150人分が売り切れた。
 まつりでは、三成汁の提供や田附さんの講演会のほか、佐和山城の遺跡展、鳥居本出身の馬場清和さん(62)の絵画展、本陣跡の住宅開放、有川製薬の店内公開も行われ、地元住民からは「これほど多くの人が訪れたのはここ何年か知らない」との声もあがるほどの賑わいだった。

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