2016年3月7日月曜日

保存修理中の名勝・胡宮神社の社務所と庭園など公開、神饌所は江戸中期建設

  保存修理中の名勝・胡宮(このみや)神社=多賀町敏満寺=の社務所と庭園などがマスコミに公開され、修理に合わせて実施されている発掘調査の結果も公表された。
 胡宮神社で保存修理が行われているのは、神饌(しんせん)所約20平方㍍、茶の間約16平方㍍、庭園約680平方㍍、社務所約180平方㍍で、名勝には神饌所や茶の間、社務所の一部も含まれている。近年は庭園が石組の傾きや池の枯渇など劣化し、建物も荒廃するなど修復が必要な状況だったため、多賀町教委は平成26年度に保存管理計画書を策定し、今年度は昨年10月から社務所・神饌所・茶の間の解体・修理工事、庭園のせん定を行っている。
 解体作業に伴う調査では、神饌所の天井裏に寶(宝)暦10年卯月(1760年2月)と文政10年子月(1827年11月)の棟札、茶の間の天井裏には嘉永7年(1854年)の札が見つかった。また、建物下には十字型に掘られた開渠(かいきょ)があり、周辺には織豊期以降に設置されたとみられる礎石や鎌倉・室町時代の土師器の破片なども発見。社務所が建つ前には、同神社の別当だった福寿院が建っていたとも伝えられており、最も栄えていた鎌倉時代には最重要の場所だったとされている。
 建物の建立時期が江戸中期だと確認されたため、多賀町教委は「庭園だけでなく、建物も歴史的価値があることが判明した」としている。平成28年度は社務所の屋根のふき替えなど、同29年度は神饌所の再建と社務所の仕上げ工事、同30年度から建物の残り部分の工事と庭園整備を行い、一般公開を再開。以降、同41年度ごろまで庭園部分を修理する。
 【胡宮神社】
 イザナギノミコト、イザナミノミコト、コトカツクニカツナガサノミコトを祭神に、敏満寺が建立された奈良時代に、多賀町桜町(門前町近く)から現在の地に移されたとされる。文献に登場するのは元徳3年(1329)に書かれた「敏満寺事書」の目録。織田信長により焼き討ちに合うが、豊臣秀吉時代に再建され、徳川時代には多賀大社と共に造営された。寛永15年(1638)9月14日に遷座祭が行われ、同神社本殿の擬宝珠には当時の年月が刻まれている。
 その後、元治元年(1864)に大修理、慶応元年(1865)には落雷で破損した屋根のふき替えが実施。明治時代の廃仏毀釈により、同神社では大日堂と観音堂が分離され、別当の福寿院が廃され、福寿院にあった仏像などは大日堂に移された。昭和9年(1934)12月28日に庭園などが国の名勝に指定。同36年(1961)ごろの名神高速道路の整備に伴い、工事区内だった末社の熊野神社と、仁王門跡に大正11年(1922)に建てられた大鳥居は現在の地に移動。3年後の同39年には旧拝殿が取り壊され、翌年に大鳥居も再建された。

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