2013年5月27日月曜日

「本音」と「建前」論

 いわゆる従軍慰安婦を巡る大阪市の橋下徹市長の一連の発言に対して、マスコミ各社がここぞとばかりに批判合戦を繰り広げているが、小生は少し角度を変えて橋下さんの「本音と建前」論を分析してみたい。
 一般的に、政治家にとって言葉は命であるとされる。実際、失言によって首相や大臣をクビになった政治家をこれまでに何度も見てきたが、その失言の多くは本音の言葉であった。そうすると、大半の政治家の言葉は建前であると言え、我々一般大衆もその建前が本音ではないと薄々感じつつも、そのまま見逃している。
 本音により他に悪く見られるのを毛嫌う、いかにも日本的美意識の「恥の文化」を尊ぶ証左であるとも言えようが、国際社会においてはそのようなきれいごと(建前)だけでは通用しない分野もあろう。
 橋下さんの発言に対し、日本のマスコミ各社が中国や韓国のメディアが批判を展開していると報じているが、それは裏を返せば、いかに本音による外交を恐れているかともくみ取れるのではないか。
 日本の外交戦略が、経済から歴史認識までのさまざまな分野で競い合っている中国・韓国に勝っているとはお世辞でも言えない原因は、建前重視にあるからではなかろうか。
 本音と建前については、他人と接する私たちの日々の生活においても関連しており、我々凡人はなかなか本音を出せないのが常であろう。
 本音という言葉を言い換えると「真実」があてはまり、建前という言葉を言い換えると「偽善」があてはまるが、つまりは我々の日々の生活も先に解説した政治の世界と同様、建前(偽善)により成り立っているということだ。
 なぜ建前しか表現できないかというと、本音を表すことで必ず対立が生まれるからである。だが小生の経験上、例えばコラムなどで本音の内容を書き、相手と対立したとしても、最終的には互いに尊ぶ結果になっている(はずだ)。
 恥の文化という建前論を尊重しつつも、時と場合によっては本音をぶつけ合う・・・。そのような関係が政治・外交の世界はもちろん、我々の日常においても、もっとあっても良いと思うのだが・・・。【山田貴之】

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