直弼は父親で彦根藩井伊家の十一代当主・直中とお富の間に、文化12年(1815年)10月29日(西暦では11月29日)、彦根城内の槻御殿で生まれた。午前10時ごろの出生で、尾末町御屋敷(後の埋木舎)の付き人が記した日記では、母子共に健康だったとの記録が残っている。14男で20人兄弟の19番目だった。
その3年前の文化9年、直中は47歳の若さで藩主の座を息子(直弼の兄)の直亮に譲り、彦根に戻って槻御殿の大規模な増改築を行った。その規模は現在の約10倍で、翌10年から江戸の町方出身のお富を彦根に招いて一緒に住み始めた。
2年後に誕生した直弼は生後7日目の祝儀の時に鉄之介と名付けられ、文化14年ごろには鉄三郎に改名している。兄の直亮が藩主に就き、ほかの兄も他大名や藩重臣の養子になっている中、直弼は兄の直元、直与(とも)と、5歳年下の直恭(やす)と共に槻御殿で一緒に過ごした。当時は大名家で父親と一緒に暮らすことが珍しい時代で、直弼は家庭的な雰囲気の中で幼少期を過ごした。
直弼は、芸道や趣味に時間を費やす直中の影響を強く受け、能や文芸に接し、愛好していた。文政7年(1824)の「大殿様附側役日記」には10歳の直弼が直中と一緒に鼓の稽古をしている様子が記されている。また直中は寺院の建立や再興を積極的に進めており、その影響を受け、直弼も井伊家の菩提寺・清凉寺で仏道を学んでいる。槻御殿には17歳まで過ごした。【山田貴之】
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