2016年10月31日月曜日

彦根藩十二代・井伊直亮が国宝「彦根屏風」の購入者、特別展で公開

 彦根城博物館は、彦根藩十二代・井伊直亮(1794~1850)が国宝「彦根屏風」=写真=の購入者だったと発表した。これまでは直亮の兄の十三代・直弼が購入したとする説があったが、直亮が記した「屏風之覚(おぼえ)」に彦根屏風を直亮自身が入手した記録があった。博物館では彦根屏風と屏風之覚を28日からの特別展で公開する。
 彦根屏風は6曲1隻の縦94㌢×横271㌢の大きさで、近世初期の風俗画の傑作品として、制作された江戸時代から高く評価されてきた。制作時期は寛政年間(1624~44)で、金地に当時の京都・六条三筋町の遊里が描かれている。人物の髪の生え際や衣装文様、布の光沢などが細かく描写されており、たばこや洋犬のペット、三味線、双六(すごろく)なども登場している。
 作者は不明で、狩野派の絵師とされている。屏風之覚には「浮世又平(またへえ)」と記されているが、浮世又平は伝説上の人物で、実在の絵師・岩佐又兵衛とした可能性もあるが、彦根城博物館では「又兵衛の画風とは違う」としている。国宝の指定名称は「紙本金地著色風俗図」だが、屏風之覚には遊郭を指す「揚屋(あげや)之図」と記されている。
 直亮が購入した額については屏風之覚に「金千両を提示されたが、交渉で値引きしてもらって手に入れた」と書かれている。金額については屏風之覚の破損が激しいためわからないが、百両単位だという。当時は1両が約10万円とも伝えられているため、高額だったことがわかる。
 彦根屏風については、十五代・直忠の自宅で明治45年(1912)に能が催された際、同時に井伊家所有の美術品が公開され、井伊家側から「彦根屏風は直弼が購入した」とする説明があった記録が残っていた。そのため直弼購入説が有力だったが、彦根城博物館では明治期の井伊家は開国や安政の大獄で非難されていた直弼の名誉回復を図る思惑があった可能性があるとしている。
国宝「松浦屏風」も
直亮画像 雅楽器など
 彦根城博物館は28日から開館30周年記念特別展「コレクター大名 井伊直亮 知られざる大コレクションの全貌」を開く。
 直亮は十一代・直中の三男として生まれ、12歳で世子となり、文化9年(1812)に19歳で家督を継ぎ、38年間藩主を務めた。さまざまな物を収集するコレクターとしても知られており、特に雅楽器は260点以上、関連資料や楽譜を含めると600点以上集めている。ほかにも刀剣、甲冑、更紗(木綿の布)、書画、文房具、時計、計測器、ピストルなど多岐にわたる。また集めた物の寸法や付属品、入手先、金額などを詳細に記した道具張も自ら作成している。
 特別展では彦根屏風や屏風之覚など直亮のコレクションや直亮らコレクター大名の収集品など計172点を展示する。
 主な物は、平戸藩主・松浦(まつら)清が購入した国宝「松浦屏風」、松江藩主で大名茶人として知られる松平治郷(はるさと)が所持していた中国の福建省で作られた最高傑作の茶碗、直亮が抱えた絵師・佐竹永海が描いた清凉寺伝来の井伊直亮画像、白河上皇が熊野詣でで奉納するために奈良の僧・慶俊(けいしゅん)によって作られて天保12年(1841)に直亮が150両で手に入れた雅楽器の笙(しょう)、南北朝時代の武将・楠木正成が所用し弘化4年(1847)12月19日に江戸の藩邸で直亮が入手した陣太鼓、土地の傾斜や広さ、星の観測などに使われる計測器(トランシット)など。
 ギャラリートークが29日午前11時~と午後2時~、講演会「コレクター大名 井伊直亮」が11月5日午後2時~(資料代100円)、シンポジウム「江戸時代のコレクター大名~個性派大名の饗宴」が11月19日午後1時半~(参加費500円)ある。開館時間は11月27日までの午前8時半~午後5時。一部期間のみ展示の品もある。

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