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2009年3月31日火曜日

安政の大獄の背景と直弼死後の彦根を解説、名古屋大学の羽賀祥二教授

 新修彦根市史発刊を記念した歴史フォーラム「幕末維新を生き抜いた彦根藩」が3月28日、彦根城博物館で開かれ、市史の執筆、編集に携わった大学教授らが講演した。
 フォーラムではまず、名古屋大学の羽賀祥二教授が幕府の重鎮だった松平慶永や水戸斉昭の家臣らが記した史料と、将軍・家定の側近・薬師寺元真が彦根藩を訪れ、その翌日(安政5(1858)年4月23日)に直弼の大老就任が決定した歴史を紹介。
 安政の大獄の背景については、直弼は公武合体(朝廷と幕府の連携政治)派だったとした上で、直弼らが勅許を得ずに日米修好通商条約を締結したことに攘夷派の孝明天皇らが激怒。朝廷内が分裂したことが安政の大獄の始まりとなり、公武合体思考の障害となった政治グループを排除するために進められたと説明した。
 講演後のパネルディスカッションでは、彦根市史編さん室室長の小林隆氏が桜田門外の変後、彦根藩が京都守護を解任、領地を削減され、その後は幕府のために働くものの、大政奉還後には新政府軍についた歴史を紹介した上で「なぜ彦根藩は徳川家を見捨ててしまったのか」と質問。京都薬科大学の鈴木栄樹准教授は「彦根藩では直弼暗殺後、復讐の声が高まったが、結局は我慢することになった。しかし領地が削減され、幕府のために働くものの返されることはなかったため、幕府への反感があったのではないか」と分析した。

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