東日本大震災後、岩手県大船渡市から避難してきた山澤次子さん(59)=彦根市日夏町=に、震災時の生活の様子や避難後の苦労話などを聞いた。
山澤さんは昭和43年に彦根に移住し、結婚後は日夏町で夫の喜代治さん(58)と子どもたちと生活をしていた。しかし実家がある大船渡で一人暮らしをしていた実母・上野マサノさん(97)の認知症がひどくなったため、一昨年8月に家族を残して大船渡に単身、移った。
大船渡ではマサノさんの世話をしながら、日中は同市内のデイサービスセンターで勤務をし、その間は別の老人ホームからのヘルパーがマサノさんの世話をするという日々だった。
3月11日の震災時は、同センターで高齢者たちによるカーリングのゲームの応援をしていた。阪神淡路大震災の時よりも激しく長い揺れで、「長く大きく揺れる地震は津波が来るから高台へ避難せよ」と書かれた沿岸の石碑を思い出し、現場にいた人たちと避難を開始。
当日は降雪で風も吹いていたため、寒さに震える高齢者に毛布をかぶせるなどして懸命に暖め、30人いた高齢者をバスに乗せ寒さをしのいだ。
山澤さん自身は、沿岸に近くマサノさんと一緒に住む自宅に車で向かい、普段は20分ほどしかかからないものの、道路の閉鎖や渋滞で約2時間かかって到着。マサノさんの無事を確認した。自宅は沿岸から近かったが、高台にあったため、津波被害はまぬがれたが、下の集落は壊滅状態だった。津波がひく様子も目にし、「あらゆる物がぐちゃぐちゃになって流され、残された学校などの建物に材木がひっかかっていた」という。
自宅は風呂場の屋根が崩れ、石垣も壊れる半壊状態だった。震災直後はまず、水道管にたまっていた水を出し、谷の湧き水にホースをつなぐなどして水の確保に努めた。寒さ対策にはごみ袋をかぶった上に服を着たり、湯たんぽや火鉢を活用。食事は冷蔵庫にあった肉をみそやしょう油漬けにした。
「あの手、この手を使い、『ない』頭をフル回転させていた」と当時を振り返っていた。(続きは本紙元日号で)
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