2012年1月9日月曜日

今年のNHK大河ドラマ・平清盛の生涯 時代考証役の本郷和人・東京大学史料編さん室准教授が解説

 今年のNHK大河ドラマの主人公・平清盛をテーマにした3回シリーズのセミナーが昨年末、文化プラザで開講された。
 講師には大河ドラマの時代考証を務める東京大学史料編さん室准教授・本郷和人氏が招かれ、セミナー1では「清盛政権はなぜ生まれたのか」、セミナー2では「清盛はどんな国を目指したのか」、セミナー3では「平家はなぜ滅びたか」をテーマに講義し、清盛の一生を振り返った。
 保元元年(1156)7月2日、当時の絶対的な権力者・鳥羽上皇が死去すると、跡目争いが活発化する。
 同年7月9日、鳥羽上皇の息子・崇徳(すとく)上皇は白河北殿(邸宅)に入り、自らが院政を行うことを宣言。藤原頼長、源為義のほか、平清盛の叔父にあたる忠正らも白河北殿に集まった。
 一方で、敵対する崇徳上皇の弟・後白河天皇の陣営にも、清盛、源義朝、源義康、源頼政ら武士のほか、関白の藤原忠通と藤原信西(しんぜい)らが加勢した。
 7月11日未明、清盛率いる300騎や義朝の200騎が白河北殿に夜襲。朝の8時には勝敗は決し、上皇側は総崩れとなり、上皇は讃岐に流された。この戦いを保元の乱と呼ぶ。
 本郷氏は、平安時代後半から鎌倉時代初めのころの人口が約800人で、それから約400年後の関ヶ原の合戦時でも約1000万人だったことを紹介。人口が少なかった原因について、疫病や饑餓、戦争をあげた。
 一方で平安時代は文化水準が低く、治安は良くなかったとした上で、保元の乱により、「政治の実権は武力で決まるようになり、武士の世になった」と解説した。(続きは本紙元日号で)

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