村山家住宅は、江戸時代の足軽組屋敷で最大規模だった善利組の中にあり、天保7年(1836)作成の御城下惣絵図によると、間口5間(約9㍍)、奥行き10間(約18㍍)の敷地に描かれている。座敷、玄関、納戸(なんど)、台所と土間による典型的な足軽組屋敷の構成だった。
岩根家住宅は、天保14年(1843)当時の鳥居本宿の家数293軒(人口1448人)の中で本陣の向かい側、脇本陣の隣に位置し、鳥居本の特産品だった合羽の製造を営んでいた。間口12間(21・8㍍)、奥行き19間(34・5㍍)に、主屋、庭、土蔵が建つ構造。玄関の軒下には現在も合羽屋の看板が掲げられている。
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