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2015年3月16日月曜日

佐和山城の石垣と瓦破片 彦根城の鐘の丸と太鼓丸に再利用を断定

  彦根市教委文化財課は11日、佐和山城に使われていた石垣と瓦の破片が彦根城内の鐘の丸と太鼓丸の石垣の中から発見されたと発表。佐和山城の部材が彦根城を構築する際に使われていたことは伝承として知られていたが、初めて物的証拠が確認された。
 文化財課は平成24年度と同25年度に石垣の保存修理に伴う発掘調査を実施。同24年7、8月に鐘の丸の虎口(出入り口)の石垣で行った調査では、石垣内に栗石などを入れる裏込めに異物がほとんど混入していないことから、一度も改修されていないことが判明。また鐘の丸の曲輪(くるわ)があった大手門方面の高さ約7㍍・幅約314㍍の石垣のうち、虎口寄りの上部の幅約30㍍の石垣に使われている石材が、湖東流紋岩と青っぽいチャートの2種類で構成されていて、この2種類の石材を使った県内の城跡は佐和山城にしかないことから、佐和山城が廃城した後に彦根城築城のために持ち込まれたことがわかった。彦根城内のチャートは赤っぽいため、佐和山城のとは異なるという。井伊年譜など文献史料には鐘の丸が最初に完成した曲輪だと記されていることから、当時の正面に位置した大手門から見える位置に佐和山城の石垣を使って整備し、居城の移転を石垣で示したと考えられる。
 同25年7、8月には太鼓丸東側の調査が行われ、約40㍍分のうち約3・5㍍の石垣の根石(ねいし)で一度も修理されたことがないことがわかり、裏込めからは彦根城内では確認されていない瓦の破片=写真=が大量に出土。この瓦の破片は▽精製された粘土ではない▽焼きが甘い▽彦根城の瓦と比べて出来が悪い▽中心の飾りが一巻きの唐草文―などから、佐和山城の瓦の破片が彦根城の太鼓丸の石垣を築造する際に栗石として入れられたことがわかった。佐和山城の瓦の文様は、近畿では豊臣秀吉の晩年の居城だった伏見城でも見られるため、石田三成と秀吉との密接な関係もうかがえる。
 城郭史が専門の滋賀県立大学の中井均教授は「佐和山城の瓦などを使ったことは、関ヶ原の合戦後、大坂城を攻めるために一日でも早く彦根城を完成させる意図があったことを示す考古学的にも貴重な発見。鐘の丸から見た大手門方面が京都・大阪に向いていることも注目される」と話していた。
 なお13日~開国記念館で出土した瓦の破片や写真パネルなどが展示されている。
彦根城の石垣探検会
 市教委文化財課は21日に城内の石垣を見学する「彦根城石垣探検隊」を行う。学芸員のガイドで今回、発表された石垣群のほか、江戸時代の石垣構築技術の変遷や修理状況を学ぶ。小学生は保護者同伴で。集合は午後1時に彦根城博物館前。参加費100円。申し込みはメールかファクス、往復ハガキで20日まで。定員100人。問い合わせは同課☎(26)5833。

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