2010年5月19日水曜日

「彦根歴史探索ウォーク」肥田城跡を巡る 土塁や堀が現存、鹿島家住宅も

 戦国時代の彦根市内の旧城跡を散策する「彦根歴史探索ウォーク」第1回目が16日に行われ、58人が肥田城跡と、その周辺を巡った。
 一行は、肥田城の菩提寺・崇徳寺を訪れ、城主の墓碑や関連資料を見学。その後、肥田城跡、山王祠(ほこら)、江戸時代の民家・鹿島家住宅(市指定文化財)、土塁跡、堀跡、水門跡を回った。
 土塁と堀の跡は城跡を囲むように良好な形で残っており、土塁は約750㍍にわたっていた。その途中には門の跡も残っており、外敵が入りにくいよう狭くなっていた。
 次回は6月13日午後1時~「山崎山城」をテーマに。100円。問い合わせは市教委文化財課℡0749(26)5833へ。
 【肥田城】隣接する高野瀬城を本拠とする土豪・高野瀬隆重が六角(ろっかく)氏の命により鎌倉時代初期に築いたとされる。永禄2年(1559)には高野瀬秀隆が浅井家と通じるようになったため、六角義賢(よしかた)が肥田城を攻撃。城の周囲に堤を築き、宇曽川と愛知川の水を町に入れる、世に言う「肥田城の水攻め」を行った(洪水で失敗)。翌年にも浅井・高野瀬と六角による野良田表の戦いがあり、浅井勢が勝利。信長時代には蜂屋頼隆、秀吉時代には長谷川秀一が城主に。文禄2年(1593)に秀一が病死した後、肥田城は廃城となり、彦根藩領となった慶安3年(1650)には新田となっている。

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