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2010年5月31日月曜日

児童虐待の未然防止策で ショートステイの新パターン、保育士などの自宅で一時預かり

 児童虐待を未然に防止するため、滋賀県は親の代わりの者が短期間、子どもの世話をする(ショートステイ)事業の受け入れ対象を、保育士など専門家にも広げ、今秋から受け入れ先を募集する。ショートステイの中でも、保育士などの自宅で子どもを預かる取り組みは全国的にも珍しいという。
 平成21年度の県内の児童虐待に関する相談件数は、前年度比467件増で過去最悪の2802件(彦根は60件)。そのうち、子育てを放棄するネグレクトが約半分を占めた。
 児童虐待を受けた子どもらは、彦根子ども家庭相談センターなど県内2カ所の保護施設や、県内4カ所の児童養護施設で一時保護されてきたが、すべての施設がほぼ満室状態だという。
 県は、子育てに自信がなくなったり、虐待をしそうだと認識をしている親から申請のあった子どもを、保育士や児童委員、里親、保健師の自宅に一時保護することにし、今秋からその受け入れ先を約50件募集。受け入れ先の名簿を作成し関係市町に配付、申請のあった子どもを約1週間保護し、その間に専門家が親の自宅に訪問し子育てについてアドバイスをする。
 県虐待・非行防止対策チームでは「児童虐待を地域の人たちと一緒になって防ぐことができれば」としており、次年度以降も続ける予定だ。

2010年5月28日金曜日

自民党滋賀県連会長の上野賢一郎・元衆院議員が県知事選出馬の意向、無所属で

 自民党滋賀県連会長で元衆院議員の上野賢一郎氏(44)が、今夏の滋賀県知事選に無所属で出馬する意向を示したことが、28日わかった。知事選には現職の嘉田由紀子氏(60)が2月に出馬の意向を表明しており、民主党県連が支持をする方針を示している。
 知事選をめぐっては、嘉田氏の政治運営に反対姿勢を示す自民党県連や県内市町の一部の首長が、今月に入って対抗馬の擁立を本格化。元弁護士でタレントの丸山和也・参院議員や山田亘宏・守山市長に出馬を打診し、いずれも断られたが、その中で県連を中心に上野氏を推す声が高まっていた。
 党関係者によると、上野氏は各選挙区内の党員らに出馬への意欲を示し、27日には後援会長で元参院議員の河本英典氏に資金面で相談。翌28日には県議会の自民党会派「真政会」の会合に出席し、協力を要請したという。
 上野氏は長浜市出身で虎姫高校卒。京都大学卒業後は自治省(現総務省)に入省し、内閣官房構造改革特区推進室参事官補佐などを歴任。平成17年の郵政解散で初当選を果たしたが、昨年の衆院選で落選した。
 知事選にはほかに、共産党などが元県労連議長・丸岡英明氏(61)を擁立する方針を示している。

「山崎山城」―安土城と佐和山城の中継点、歴史手習塾「戦国彦根の城郭講座」第3弾

 歴史手習塾・戦国彦根の城郭講座第3弾「山崎山城―安土・佐和山の中継点」が26日、ひこね市文化プラザで行われ、長浜城歴史博物館館長の中井均さんが講演した。
 山崎山城は在地の土豪・山崎氏の居城であったとされ、昭和61年度の県教委による調査では「土造りの城」と評価された。しかし、平成4~6年度に行われた市教委の調査では石垣が発見。
 この点について中井さんは、発見された石垣が天正4年(1576)に織田信長が築いた安土城の石垣に類似していることを指摘し「信長が直轄的な城郭として(山崎氏の居城以外の)新たな石垣の城を築いたのではないか」と解説。信長の生涯が記された「信長公記」の天正10年4月の欄に「山崎に御茶屋立置き」と記されていることも紹介した。
 山崎山の山下には、信長が敷設した道路「下街道」(通称・朝鮮人街道)が広がっており、山崎山に向かって北上した時に道が直角に曲がっている。このことに関して、中井さんは「山崎山の位置は佐和山城と安土城の中間点に位置していることから、下街道を守備する目的で山崎氏に命じて築城させたのではないか」と説明。
 「信長はその立地に着目し、平時は休息の場(茶屋)として、戦時は街道の守備のために山崎山城を築いたのではないか」と述べた。
 【山崎山城】戦国時代は佐々木六角氏の家来で在士の土豪だった山崎氏の居城があったとされるが、安土城が築城された天正年間初め(1573~79)に信長が石垣の城を築城。天正10年(1582)4月には、甲州攻めを終え凱旋する信長を山崎堅家が山崎山に茶屋を設けてもてなしている。堅家は本能寺の変では信長の安土の屋敷を焼き払い、山崎山の居城に立てこもったが、直後に秀吉に仕えたため所領を守った。その後、摂津国(兵庫県)三田に移され、山崎山城も廃城となったとされる。

ひこにゃんの商標権使用許諾契約 まずは5社と 有償は16日間で40社・189品目

 ひこにゃんの商標権使用許諾の契約が26日から市役所で始まり、初日は5社との契約が行われた。有償での使用を認めた件数は、受付を開始した今月10日から16日間で県内外から40社・189品目だった。
 契約した5社のうち、市内が4社で、1社は京都市の業者。ストラップやボールペン、ハンカチなどへの商標権の使用について契約。5社合計の予定生産数は約2万3600点で、売上予想総額は約831万7000円。そこから使用料として3%・約25万円を市に支払うことになる。
 全体の申請状況は、40社(彦根市内25)・189品目(同130)で、そのうち新規は8社・28品目と、ほとんどが継続。使用料が無償の公共団体や自治会などからの申請は15団体(同8)・19品目(同12)だった。
 一方で、許諾されなかったのは10件で「ひこにゃんとの関連性が薄かったり、1企業のPRとなる場合がある」として、ひこにゃんと坂本龍馬の絵柄入り商品や、大手メーカーのご当地菓子などへの使用は認めなかった。

口蹄疫の家畜被害農家支援で、平和堂各店に募金箱

 宮崎県内で発生している家畜の口蹄疫で被害を受けた農家を支援するため、平和堂は25日、県内全店を含むグループ126店に募金箱を設置した。
 6月10日まで設置し、集まった義援金は共同募金会を通じて被害救済に役立てられる。募金箱は各店舗のサービスセンターなどに置いている。

2010年5月26日水曜日

「女性のための近江戦国山城マップ」作成「歴女」募る、安土城・佐和山城・小谷城で研修

 戦国イベントやゆかりの城跡には、戦国ファンの女性、いわゆる「歴女(れきじょ)」が多く訪れており、一大ブームとなっていることから、滋賀県教委は「女性のための近江戦国山城マップ」作りを企画。マップ作成に協力できる女性を募集している。
 県教委などによるこれまでの城跡の地図は男性職員が作成しており、歴女からは、一人で登っても安全か、どのような服装・靴で行けば良いのか―などの問い合わせが相次いでおり、中には「佐和山城内で石田三成はどこで寝起きしていたのか」などの質問もあったという。
 そのため県教委は「女性目線」のマップ作りを企画。募集する女性スタッフは25人。6月26日のオリエンテーションを最初に、順次、安土城跡(7月24日)、佐和山城跡(9月25日)、小谷城跡(10月16日)で現地研修会と出土品の見学会に参加。10月3日に佐和山城跡周辺で開かれる歴史体験空間イベントにもスタッフとして加わる。11月20日にマップを作成し、年度内の完成後に県教委のホームページなどからダウンロードできるようにする。
 対象者は18歳以上の女性ですべてのイベントに参加できること。参加費は保険費280円。交通費など自己負担。定員を超えた場合は審査後決定。申し込みは6月10日までに滋賀県教委文化財保護課℡077(528)4674へ。

有村治子・参議院議員 彦根で国政報告会、鳩山首相を批判

 旧愛知川町出身で自民党の有村治子参議院議員(比例全国区)の国政報告会が22日、彦根ビューホテルで開かれ、約250人が出席した。
 有村議員は、政治家としての資質が問われている鳩山首相に対して「母親から『子ども手当て』をもらいながら、平気で知らなかったと国民にうそをつくことがまかり通るという感度に嫌気がさす」と批判。米軍基地の普天間移設問題で、鳩山首相が米軍の抑止力の勉強が足りなかったという発言をしたことにもふれ「米軍の抑止力は1年生議員でもわかること、24年間の議員生活で何を勉強してきたのか。いらだちを隠せない」と述べた。
 日本のエネルギー資源の自給率が約4%である現状については「資源をいかに獲得するかは国勢に関わる根幹の問題。自民党や民主党などというコップの中での戦いではなく、日本人の安心をつくっていくための議会人に与えられた使命」「ヘルメットの似合う議会人になるよう今後も努めたい」と意気込みを語った。
 太陽光発言システムを全国の学校の屋根に取り付ける政策を先頭に立って進めた実績をあげ「これからの日本をつくる子どもたちに、体験しながら学んでもらえるために考えた」「滋賀の有村が発案者だったことを知って頂ければ」とアピールした。

2010年5月25日火曜日

田代陽子監督「空想の森」上映へ 奥田好香さん実行委員会設立「子育て中のお母さんに見てほしい」

 「子育て中のお母さんたちに是非、この映画を見てほしい」。元彦根市職員の奥田好香(よしこ)さん(57)=写真=はこのほど、田舎で子育てに奮闘する母親をえがいたドキュメンタリー映画「空想の森」の彦根上映実行委員会を市民有志らと設立。来月12、13日の上映会に向けて準備を進めている。
 奥田さんは、市健康推進課で保健師として勤めていた際、子育てに悩む多くの母親からの相談にのっていたという。昨年10月に大津市内で上映された「空想の森」を見に行き、会場に来ていた田代陽子監督に「彦根でも上映会をしたい」と打診。今年3月末で市職員を辞め、4月末に有志4人と実行委員会を設立した。
 映画は、北海道新得町の農場が舞台。社会になじめない人や障害者と一緒に作業をする農場「新得共働学舎」で子育てをしながら野菜を作る母親を追った作品と、機械を使わずに作物を育てる夫婦をえがいた2本立て。
 奥田さんは、「映画に出てくる母親のように、子どものしぐさや泣き声に耳を傾け、自然体で接することができれば、子育てはもっと楽しくなるはず」「子育て中のお母さん方に見て欲しい」と話している。
 奥田さんは、子育てに悩む母親たちが集える「休み処『結(ゆい)』」も来春に平田町にオープンする予定。
田代監督との交流会も
6月12・13日に計4回
 映画の上映日時は6月12、13日の両日、午前11時~と午後3時~。河原2丁目の社会福祉法人千歳会「久左のまちや」2階で。両日とも上映会後には田代監督との交流会もある。入場料は前売りが高校生以上1200円、当日300円アップ、中学生以下は無料。チケットは花しょうぶ通り商店街の「戦国丸」と護国神社内のカフェ「朴」(尾末町)で販売。問い合わせは奥田さん℡090(7887)4637へ。

よさこいソーラン日本海 彦根三十五万石大会 風雨の中41団体・2000人が演舞

 YOSAKOIソーラン日本海 彦根三十五万石大会が23日、彦根城大手前公園とベルロードで開かれ、風雨の中、県内と北陸地方の延べ41団体(1団体不出場)・約2000人が華麗な演舞を披露した。
 これまでは「彦根よさこい春の舞」として開催していたが、4回目の今年からはYOSAKOIソーラン日本海滋賀支部などが主催し、北海道で行われる全国大会に向けた初の関西大会となった。
 ベルロード会場では、通行止めされた車道を舞台に各組2回ずつ登場。時より強くなる風雨の中、そろいの衣装を身に着けたメンバーたちが、ずぶ濡れになりながらも、軽快な音楽に合わせて息の合った踊りを披露。
 演舞ごとに、沿道の観客からは大きな声援と拍手が沸き起こっていた。

2010年5月22日土曜日

堀尾貞治さん・古いTシャツにペインティングイベント 鳥居本駅舎で、宮原勇作さん無人駅舎ギャラリー化計画第4弾

 世界各国で活躍する現代美術のアーティスト・堀尾貞治さん(71)=写真、主催者提供=が、古いTシャツにペインティングをするイベントが29日に彦根市の鳥居本駅で催される。また同駅では6月5日まで5人の芸術家による作品展も開かれる。
 鳥居本の若手画家・宮原勇作さん(31)が、無人駅舎・鳥居本駅を盛り上げようと平成19年から開いている無人駅舎ギャラリー化計画の第4弾。堀尾さんは戦後の美術界をリードした具体美術協会の元会員で、全国各地で展示会やイベントを開いているほか、アジアやヨーロッパでも活躍している。
 鳥居本駅では、いらなくなったTシャツに堀尾さんが持ち主を見て直感でペインティングをする。一人2分以内の制作時間で、135人限定。制作後の午後5時ごろ~はTシャツを着ての写真撮影会も。料金は大人1000円、小学生以下500円。申し込みは宮原さん℡090(4272)3079へ。当日持参や来場できない人も受け付け可。
彦根の芸術家作品展も
29日~6月5日
 作品展の出展者は、宮原さん、坂本実十里(みどり)さん(44)=鳥居本、孕(はらみ)石和子さん(50)=彦根、上木淳吉さん(67)=彦根、坂本昌也さん(81)=鳥居本。開館は午前10時~午後6時(最終日は同5時)。入場無料。

近江上布の店「大西新之助商店」 伝統工芸士の二代目・大西新之助さんが織り成す技

 近江上布の伝統工芸士・二代目大西新之助(本名・大西實)さん(62)=彦根市新海町=は、1着を作るのに約1カ月かかるというこだわりの「新之助上布」を織り成している。
 近江上布は、大麻を原料とする高宮上布と違い、苧麻(ちょま=カラムシ)が原料。湖東地方で室町時代から生産され、江戸時代には彦根藩の手厚い保護を受け、近江商人により全国に流通した。しかし大正時代から衰退傾向に入り、昭和に入ると生産量も激減。現在、近江上布の伝統工芸品を生産する店舗は大西新之助商店を含め2店のみ。
 大西さんは、彦根工業高卒業後、アルバイトをしながら夜間大学に通学。印刷インキ製造会社を経て、平成2年に先代の跡を継いで大西新之助商店に改名。同5年に伝統工芸士に認定された。
 魚など絵模様を織り込んだ「型紙捺(なつ)染」という技法を採用。製品の魅力について、大西さんは「どこが優れているのかは着る人の価値判断。私からはおこがましくていえない」「やる(作る)人がいなくなったから珍しいだけ」と謙虚な姿勢を貫き通す。
 繊維を含めた流通業界にもふれ、「今は売る側が巨大になりすぎて、作る側が売る側の言うことを聞かなければならなくなった」「そんな世の中はおかしい。作った人間が勝つようにしなければ、良い作り手も育たない」と指摘した。
 同店はほとんどがオーダーメイドで制作には1カ月前後かかる。ハンカチや名刺入れ、エコバック、ケータイケースなど小物も扱う。問い合わせはホームページ(http://shinno-suke.com/)か同店℡0749(43)4434へ。

2010年5月21日金曜日

肥田城の水攻めと野良田合戦(野良田表の戦い) 中井均さん「戦国彦根の城郭講座」2回目

 市民講座・歴史手習塾第2弾「戦国彦根の城郭講座」の2回目が19日にひこね市文化プラザで開かれ、長浜城歴史博物館館長の中井均さんが「肥田城の水攻めと野良田合戦」をテーマに講演した。
 肥田城の水攻めは、城主だった高野瀬秀隆が浅井賢政(後の長政)についたことから、裏切りを知った六角義賢(よしかた)が永禄2年(1559)9月19日に、城周辺に堤を築いて宇曽川と愛知川の水をせき入れた戦法をいう。
 水攻めについて中井さんは、豊臣秀吉時代にあった日本三大水攻めをあげ、「肥田城の水攻めはその三大に先行する日本最初の水攻めだった」と紹介。わざわざ水攻めをした理由については「ほかの土豪たちへ見せしめをするためのパフォーマンスだったのではないか」と解説した。
 肥田町内に現存する土塁や堀の跡については、昭和61年度の発掘調査で江戸時代以降の遺構しか発見されなかったと説明。地元での土塁などが肥田城(戦国)時代のものとする見解に対して、「肥田城に関する遺構は一切、見つかっておらず、戦国時代のものではないとみられる」との見方を示した。
 野良田合戦(野良田表の戦い)は、肥田城の水攻めに失敗した六角と、翌年の永禄3年(1560)に総勢2万5000の兵を率いての浅井などとの戦いのことで、勝利した浅井は六角義賢からとっていた名前・賢政から長政に改名。中井さんは、野良田合戦から今年で450年の年にあたるため「再評価するべき節目の年といえるのでは」と述べた。

2010年5月19日水曜日

伊吹高校女子ホッケー部・金藤祥子さんら日本代表でオランダへ 「自分の力試したい」

 彦根市日夏町の金藤(かねふじ)祥子さん(17)=写真左から2人目=ら伊吹高校女子ホッケー部の3選手が、22日からオランダで開かれるユースインターナショナルホッケートーナメントに、高校選抜日本代表として出場する。
 金藤さんは、若葉小の低学年の時に「若葉スポーツ少年団彦根ワイルドキッズ」に入部。彦根南中でもホッケー部で活躍した。伊吹高では1年生からレギュラーとなり、フォワードとしてチームのポイントゲッター的存在。昨年7月のU18アジアカップの日本代表にも選ばれている。
 高校選抜で同校から出場するのは、金藤さんのほか、畑野ひかるさん(3年・米原市)、清水美並さん(2年・同)。代表は全国約80人の中から選抜された18人。金藤さんは「得点力」が評価された。全日本コーチとして参加する同校の樋口修監督(39)は「トップレベルの国々がそろう大会。実力を試す良い機会」と話している。
 金藤さんは「ヨーロッパの選手とやるのは初めてで楽しみ。自分の力がどこまで通じるか試したいし、1点でも多く得点したい」と意気込みを語った。19日に出発し27日に帰国する。

「彦根歴史探索ウォーク」肥田城跡を巡る 土塁や堀が現存、鹿島家住宅も

 戦国時代の彦根市内の旧城跡を散策する「彦根歴史探索ウォーク」第1回目が16日に行われ、58人が肥田城跡と、その周辺を巡った。
 一行は、肥田城の菩提寺・崇徳寺を訪れ、城主の墓碑や関連資料を見学。その後、肥田城跡、山王祠(ほこら)、江戸時代の民家・鹿島家住宅(市指定文化財)、土塁跡、堀跡、水門跡を回った。
 土塁と堀の跡は城跡を囲むように良好な形で残っており、土塁は約750㍍にわたっていた。その途中には門の跡も残っており、外敵が入りにくいよう狭くなっていた。
 次回は6月13日午後1時~「山崎山城」をテーマに。100円。問い合わせは市教委文化財課℡0749(26)5833へ。
 【肥田城】隣接する高野瀬城を本拠とする土豪・高野瀬隆重が六角(ろっかく)氏の命により鎌倉時代初期に築いたとされる。永禄2年(1559)には高野瀬秀隆が浅井家と通じるようになったため、六角義賢(よしかた)が肥田城を攻撃。城の周囲に堤を築き、宇曽川と愛知川の水を町に入れる、世に言う「肥田城の水攻め」を行った(洪水で失敗)。翌年にも浅井・高野瀬と六角による野良田表の戦いがあり、浅井勢が勝利。信長時代には蜂屋頼隆、秀吉時代には長谷川秀一が城主に。文禄2年(1593)に秀一が病死した後、肥田城は廃城となり、彦根藩領となった慶安3年(1650)には新田となっている。

2010年5月18日火曜日

聖泉大生が仮想企業「聖泉HSJ企画」を設立、「地域力循環型キャリア教育」(CLC)プログラムの一環

 社会人としての基礎をNPOや企業で学ばせる「地域力循環型キャリア教育」(CLC)プログラムの導入を始めた聖泉大学(肥田町)で14日、同校2年生によるバーチャルカンパニー「聖泉HSJ(ホップステップジャンプの略)企画」の設立式が開かれた。
 CLCプログラムは、「三方よし」の精神に基づき、学生をNPOや企業で働かせ、社会人として必要とされる対話力や行動力、人柄を向上させて、将来的には彦根や近隣市町で活躍してもらえることを目的としている。
 1年生は非営利のNPOや市民活動団体で活動、2年生はバーチャルカンパニーで60前後の講座の企画と運営、3年生は営利目的の企業で労働―を体験する。
 聖泉HSJ企画の設立式には2年生65人、NPO・企業関係者らが出席。井深信男学長は「自分で考えて行動できるようになってほしい」とあいさつ。
 同社社長の木村晃之さん(20)は「みんなで一つずつ企画をつくっていきたい。来年以降の土台になれるよう頑張りたい」と述べた。

彦根市立病院で「ふれあいまつり」、外科体験など「貴重な体験、将来は医者に」

 彦根市立病院で15日、病院を開放し健康講座や健診などを体験してもらう「ふれあいまつり」が開かれ、約1500人が訪れた。

 市立病院のことをよりよく知ってもらおうと市立病院と市民有志の団体・彦根市民健康サポーターズ倶楽部が開催。会場では健康講座や骨密度測定、バランス測定、ミニコンサート、寸劇などさまざまなイベントが行われた。
 大学生以下を対象にした外科体験ツアーでは縫合と腹腔鏡手術の体験が行われ、参加者は鶏肉を相手に専用の道具を使って縫合を体験したりしていた。
 祖母が入院した時に担当していた女医に憧れて参加したという膳所高1年生の中山萌黄さん(15)は「貴重な体験をさせて頂きとても良かった。将来は医者になりたい」と話していた。

2010年5月15日土曜日

彦根市立病院に「院内市長室」設置、獅山向洋市長「人と現場を把握したい」

 彦根市の獅山向洋市長が、彦根市立病院(八坂町)内に「院内市長室」を設置していたことがわかった。市長は滋賀彦根新聞の取材に、「院内市長室という名前は病院事務局が付けたことで知らない。病院設置者として行っているだけだ」と話している。

 彦根市立病院を含め全国の地方病院は経営難や医師不足などの問題が山積み。彦根市は昨年度だけで病院会計へ約12億円を繰り入れており、今年度も約9億円を予算化している。
 院内市長室は病院内の「応接室」と併用しており、市長が訪れる場合は名札を「院内市長室」に替えている=写真
 院内市長室を設置した理由について、市長は「病院事務局の職員はみんな苦労している。市立病院は『離れ小島』のような存在で、事務方のトップとしてその現実を肌で感じたい」と話している。
 病院内での主な業務としては、これまで病院事務局から庁舎に持ってこられていた決裁書などを確認し、不明な点があれば医師や看護師など病院職員を部屋に招き、たずねている。
 市立病院では3月いっぱいで副院長と看護部長ら幹部が退職。看護部長の後任は5月1日からで1カ月間の空白があった。このことに対して、市長は「人事権は市長にあり、人を知っておきたい思いがあった。直接会って知ったうえで決めたかった」と話している。副院長については「副院長はもう一人おり、なぜ2人いるのか説明を求めているところ」と述べた。院内市長室の設置期間は「仕事に余裕があれば行く。期間はない」としている。
赤松信院長「申し上げることない」
 院内市長室の設置に対して、市立病院の赤松信院長は「市長が来られているのは知っているが、その事に関して申し上げることは何もない」と話している。

日系ブラジル人の再就職支援で職業訓練の彦根教室開講、アバンセコーポレーション

 人材派遣会社・アバンセコーポレーション(本社・愛知県一宮市)は17日から、日系ブラジル人らの再就職のために、県下で初めて彦根教室(東沼波町)で職業訓練を始める。
 経済不況が続く中、国は派遣切りやリストラで職を無くした日系ブラジル人らを対象に帰国支援事業を今年3月までしてきたが、この事業を使って帰国した日系ブラジル人は10%未満だという。帰国しても仕事がないことや日本で生まれた子どもがいるため、日本での定住を決めた外国人が多いという。
 同社は日系ブラジル人らの再就職を支援するため、厚労省の「緊急人材育成・就職支援基金」を活用し、失業給付の受給が終了・または受給できない日系ブラジル人と日系ペルー人を対象に職業訓練を実施。彦根ではまず2カ月間、日本語や習慣などを学んだ後、4カ月間、服飾・飾り物商品加工業の「イグチ」(東沼波町)の協力を得て実習を行う。
 受講する日系外国人は30人で、訓練期間中は月10万円がハローワークを通じて支給される。同社では「これまで日系人が就業できなかった業種に就けるようになれれば」としている。

豊郷小学校旧校舎群でツツジ見ごろ

 豊郷小学校旧校舎群沿いのツツジが満開となっており=写真、中山道を通る人や来場者を和ませている。
 ツツジは昭和59年1月1日に豊郷町の花に制定。地元住民によると、同校が創設された昭和12年のころは無かったらしいが、同30年代に後援会によって植えられたという。
 毎年この時期に白やピンク、赤紫の花を咲かせており、中山道沿いのほか、校内の庭にも咲いている。なお旧豊小は一般開放されている。開館は平日午前8時半~午後5時、土日・祝日午前9時~午後5時半。

2010年5月14日金曜日

歴史手習塾第2弾 「彦根の基礎は佐和山にあり」 中井均さん・戦国彦根の城郭講座

 歴史手習塾・第2弾「戦国彦根の城郭講座」が12日からひこね市文化プラザで始まり、長浜城歴史博物館館長の中井均さんが「佐和山城をめぐる攻防戦」をテーマに講演=写真。「現代の彦根の基礎を築いたのは彦根城ではなく、佐和山城だった」と話した。
 中井さんはまず、元亀元年(1570)の織田信長による佐和山城攻めを取り上げ、信長が城の周囲を鹿垣(ししがき)=柵=で囲み、取手(とりで)を構える戦法を採用したと紹介。「これは後々の信長軍の城攻めの常とう手段で、佐和山城攻めは先駆的な事例として注目できる」と解説した。
 天正10年(1582)の本能寺の変後の佐和山城については、豊臣秀吉の家臣・堀秀政が城主となり、翌年には堀尾吉晴が入り、「近世の城としての佐和山城が築かれたのはこの時期だった」と説明。石田三成が入ったのは天正19年が有力視されているが、「すでに完成していた佐和山城に入っただけで、三成のつくった城ではなかった」と述べた。
 大手(城郭の前面)の変遷に関しては、佐和山城では東側(中山道寄り)だけでなく、西側(琵琶湖方面)にも古図に石田屋敷や町屋、馬屋、侍屋敷が描かれているとし、「三成が文禄4年(1595)に19万石に加増されており、それにふさわしい改修をしたと考えられる」「大手の位置は時代によって東側から西側へ変化したのだろう」と語った。
 関ヶ原の合戦により三成が亡くなった後、佐和山城には彦根藩初代藩主・井伊直政が入封したことについては、「井伊家は一度も城を変えていないというが、井伊家にとって最初の城は佐和山だった」と展開。江戸初期の古絵図に後の彦根城が佐和山城と記されていることをあげ、「いつのまにか近代になって佐和山は彦根市民にとって嫌われる存在になった」「現代の彦根の基礎を築いたのは佐和山とその城下である」と述べ、市民に正しい認識を求めた。

外来種のカミツキガメ捕獲 彦根以北では初めて、「絶対に捨てないで」

 滋賀県は12日、彦根市須越町の水田で、外来種のカミツキガメ=写真=が捕獲されたと発表した。
 カミツキガメは北アメリカから中央アメリカに生息。流れの緩やかな河川や沼地に住む。特定外来生物に指定されており、野外に放つなどの違反者は処罰の対象となる。県内では平成3年に大津市内の琵琶湖で発見され、今月6日にも大津市内で捕獲されている。
 彦根市以北では初めて。10日午後5時50分ごろに、地元の男性が散歩していたところ、田んぼの中で見つけて捕獲した。甲羅の長さ20㌢、全長30㌢、体重1・9㌔。
 県自然環境保全課では「琵琶湖や周辺水域の生態系保全のためにも絶対に捨てないでください」としている。

2010年5月12日水曜日

聖泉大学女子サッカー部、関西学生リーグに初参戦 「1部昇格目指す」

 滋賀県内の大学で唯一、女子サッカーチームがある聖泉大学の女子サッカー部が、15日からの関西学生リーグに初めて出場する。
 同部は平成20年に1年生4人で結成。その後、2年かけて部員を集めて、今年4月までに11人となった。メンバーは、15歳以下の全日本代表経験者2人を含め、地方選抜や全国大会出場者などトップレベルの選手をそろえている。
 関西学生女子サッカーリーグは春と秋の2シーズンあり、1部7チーム、2部9チーム。聖泉大は2部のBブロック(5チーム)に所属。ブロックで最終的に2位までに入ると、上位2チームによる決勝トーナメントが行われ、そこで1位になると1部リーグの入れ替え戦に臨める。
 森雄二郎監督(32)は「新規参入チームらしいフレッシュさと勢いのある攻撃的サッカーをしたい」と抱負を語った。キャプテンの森有祐美さん(21)は「トーナメントを勝ち抜き、入れ替え戦にも勝利し、(来年の)春リーグで1部に昇格したい」と意気込んでいる。

2010年5月11日火曜日

全盲のテノール歌手・新垣勉さんコンサート 沖縄出身、返還記念の15日ひこね市文化プラザで

 沖縄出身で全盲のテノール歌手・新垣勉さんのコンサートが、沖縄返還の記念日にあたる15日午後2時半~ひこね市文化プラザグランドホールで開かれる。
 新垣さんは、戦後の沖縄で米兵の父と日本人の母の間に生まれたが、生後すぐに不慮の事故で失明。両親の離別、父の帰国後は祖母のもとで暮らすも、14歳の時には祖母も亡くなった。そのような逆境の中で賛美歌に出会い、西南学院大学神学部卒業後は副牧師となり、34歳の時には武蔵野音楽大学に進学。同大学院修了後は音楽伝道者として全国で音楽活動をしている。
 平成15年7月に東京・サントリーホールで行われたコンサートには皇后陛下がご臨席。同19年12月にはフジテレビ系列で半生がドラマ化され大反響を呼んだ。その後も、戦後沖縄で生まれたアーティストとして活躍している。
 曲目は「アメイジング・グレイス」、「神よ あなたが私と共におられれば」など。入場料は大人1500円・小学生~大学生1000円、当日は500円アップ。チケット販売は文化プラザ℡0749(26)8601へ。

長寿院・大洞弁財天で「火渡り」 150人が祈り込め挑戦

 無病息災や災難除けを祈りながら燃える丸太の上を素足で歩く「火渡り」が9日、長寿院・大洞弁財天(岡田建三住職)=古沢町=の春の大祭で営まれ、約150人の市民らが参加した。
 火渡りは、護摩供養の後の清浄な火の上を素足で歩いて無病息災や災難除けを祈る伝統の儀式。境内では山岳修業の行者のほら貝と祈祷が響きわたり、燃えくすぶる長さ1・5㍍の丸太が本堂前に約5㍍並べられた後、その上を参拝者らが行者に続いて、無病息災への祈りを込めて次々に渡った=写真

ひこにゃん使用料3%に 7月~、自治体や市民団体は無料

 ひこにゃんの商標権をもつ彦根市は7日、7月1日以降にひこにゃんの3パターンのイラストをグッズや商品に使う場合、販売総額の原則3%の使用料を徴収すると発表。10日から申請が始まった。
 築城400年祭と井伊直弼と開国150年祭の期間中は無償だったが、今後は彦根城関連の祭りが行われる予定がないため、「市の財産」のひこにゃんのグッズなどへの使用を有償する方針を示していた。
 グッズなどへの使用料は販売価格×予定生産数×3%で、商品1つずつに証紙(1枚1円)を貼り付ける。申請書は市のホームページなどから。自治体や自治会、NPOなどが使用する場合は申請後、無償で使用できる。
 市によると、昨年1月~今年3月の使用申請は約280の企業・団体から計約1040件。滋賀大学の調査では、ひこにゃんグッズの推計売り上げは平成20年で約10億円、同21年で約8億円。商標使用の有償化により、年間で2000万~3000万円の収入を見込んでいる。

人生訓、教育・子育て論のエッセー発刊、元校長ら4人グループ「寺子屋まなざし童心塾」

 愛知中学校教諭・田中幹雄さん(45)=彦根市野良田町=ら教育関係者4人グループの「寺子屋まなざし童心塾」が、エッセー集「笑顔は善の波動だ」を発刊した。
 同塾は仏教の世界観に基づく人生訓や教育・子育て論を、25年間にわたって発信し続けている。メンバーは田中さんのほか▽元北大路中学校長・廣瀬法麿さん(66)=長浜市▽元双葉中学校長・細井俊司さん(63)=米原市▽浅井中学校教諭・須戸由廣さん(51)=同。
 双葉中に勤務していた廣瀬さん、細井さん、須戸さんが教育をテーマにした勉強会を開いたのをきっかけに、昭和60年からメンバーのエッセーを掲載した冊子「まなざし」を創刊。後に田中さんも加わった。平成10年に塾を立ち上げ、現在は会員約500人に向け、毎月1回発行している。
 創刊25年、300号を迎えたのを記念し、4人がこれまでに執筆したエッセーから、それぞれ約20本を選び掲載した。廣瀬さんは「人生には辛いこと、苦しいことがあるが、明るく楽しく前向きに生きようというメッセージを込めた」と話している。
 A5判211ページ。1000部を発行し、希望者には1000円で販売。問い合わせは廣瀬さん℡0749(64)3525へ。

2010年5月8日土曜日

世界の戦場、飢餓の写真展「世界187の顔」滋賀大学で、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)

 日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)のメンバーが世界中の戦場や飢餓、被災地などを訪れ撮影した写真展「世界187の顔」が、8日から彦根市馬場1丁目の滋賀大学講堂で開かれる。9日午後1時半~はJVJA会員で滋賀拠点のフォトジャーナリスト・國森康弘さんの講演会もある。
 アフガニスタンとパキスタンの国境で地雷により両腕を無くした少年、イラクで収容所から釈放された息子と抱き合う母親、竹馬に乗って遊ぶカンボジアの子どもたち―など、JVJAのメンバー11人が撮影した世界の人々の喜怒哀楽を収めた写真約130点(登場人物は約187人)を展示する。
 國森さんは元・神戸新聞記者。イラクやソマリア、スーダン、カンボジアなどを訪れたほか、国内では介護や看取りの現場、野宿労働者、元兵士などを取材している。講演テーマは「命のバトン~看取りの家で教わったこと」。
 写真展の開館は午前10時半~午後4時半、14日まで。入場無料。(写真は豊田直巳さん撮影)

2010年5月7日金曜日

子どもといかに接するか 「21世紀を担う子どもたちのために~公開カウンセリング~彦根市大会」

 子どもとの接し方を学ぶ「21世紀を担う子どもたちのために~講演・公開カウンセリング~彦根市大会」が、9日午後1時~ひこね市文化プラザエコーホールで開かれる。市民有志ら約20人が実行委員会を組織し、子どもと接する親や先生、保育士、民生委員児童委員などを対象に、子育て・教育について自信を持ってもらおうと企画。
 「園児、保護者、そして我が子との関わり」をテーマに保育士から、「地域の人と共に歩む。家族が教えてくれたこと」をテーマに民生委員から事例発表の後、教育カウンセラー・柏原清保さんが「今、関わる側の資質向上を目指して」を題に講演する。定員350人。参加費500円。託児あり。申し込みはマザーカウンセリング協会℡0749(27)0313へ。

佐和山城天守のみこし 地元・古沢町の春祭りで登場

 彦根市古沢町で5日に行われた春祭りに、地元住民が作った佐和山城天守のみこし(高さ約1・3㍍・石垣の幅約1㍍)が登場し、大人たちがみこしを担いで町内を練り歩いた。
 古沢町の東山自治会では毎年、みこしを作っており、これまでにも彦根城天守やひこにゃん(四番町スクエアに展示中)などを製作。29基目となる今年は地元住民10人が4月初めから約1カ月をかけ、ベニヤ板などで佐和山城天守を作った。
 当日の祭りには子どもから大人まで約80人が参加し、大人が佐和山城天守みこしを担ぎ、子どもがみこしをひいて、町内を回った。途中には隣の松縄手自治会の太鼓みこしとも合流し、佐和山をバックに記念撮影も行われた。
 なお、佐和山城天守みこしは、近くの佐和山会館に展示されている。 (写真=バックは佐和山)

2010年5月3日月曜日

滋賀県立大学「カモ部」 学内環濠で7羽を世話

 滋賀県立大学(彦根市八坂町)には、学内の環濠に住み着いたカモを育てているサークル「カモ部」(約40人)がある。
 県大が創設された平成7年に入学した沼口穣さんが、環濠でカモなどの生き物を育てようとカモ部を設立したのが始まり。始めのころは、カモのひなが野犬やキツネに食べられてしまっていたが、陸地から離れた水面に小屋を建てたり、ふ卵器でふ化させたりして、最盛期には20羽のカモが生息していたという。
 しかし7年ほど前からカモ部の活動が少なくなり、それに合わせてカモの数も減少。そこで現在の部長の東山沙織さん(23)らが平成20年からカモ部の再興に乗り出し、小屋を新設したり、ふ化させたりして、親子のカモ7羽を育てている。
 5月中にはカモのほか、アヒルのひなも購入する予定で、東山さんは「最盛期に近い数に戻したい」と意気込んでおり、「いつでもカモを見に県大へ来てください」と話している。
新コーナー「おじゃましま~す」
活動団体、サークル・部活動
 滋賀彦根新聞では新コーナー「おじゃましま~す」を始めます。
 ユニークな取り組みをしている、学校・大学のサークル・部活動、地域の活動団体などに記者がお邪魔します。自薦他薦での情報提供もお待ちしています。

彦根城西の丸三重櫓 2階と3階を初公開、初日ひこにゃんテープカット

 彦根城の西の丸三重櫓の2階と3階の公開が29日から始まり、初日は、最初の入場者とひこにゃんがテープカットを行った。
 西の丸三重櫓は、本丸西側の西の丸の隅に位置し、からめ手(裏手)からの敵の侵入に備えた櫓。築城当時は筆頭家老・木俣土佐がこの櫓に出務していた。建物は東側と北側にそれぞれ1階の続(つづき)櫓がくの字にあり、中間地点は3階建てに。一時は、浅井長政の居城・小谷城の天守が移築されたといわれていたが、昭和30年代の解体修理ではその痕跡は見つからなかった。市では一般開放のため、今年2月から仮設階段の整備をしていた。
 テープカットは、ひこにゃんと、三重櫓に最初に訪れた東大阪市の高橋利彦さん(53)一家が行った。

調馬・厩馬図屏風を公開 奥書院の庭園と襖絵も、多賀大社

 多賀大社は2日から重要文化財「調馬・厩馬(ちょうま・きゅうま)図屏風」を公開する。平成19年から整備中だった奥書院の庭園とふすま絵も同時公開。
 同屏風は、調馬図=写真=と厩馬図で構成されており、各図の大きさは縦154㌢×横355㌢。制作時期は安土桃山時代の慶長期(1600年前後)とされ、それぞれ金地の上に彩られている。作者不明だが、作風から狩野派の絵師が考えられている。
 そのうち調馬図は、庭先で肩衣・はかま姿の3人の武士が馬を調教。座敷では庭を眺める主人と2人の小姓がおり、隣室では茶を点てる宗匠や茶を運ぶ小姓が描かれている。
 奥書院は多賀大社に残る最古の建物で、江戸時代中期に建てられた不動院書院の跡。庭園は、豊臣秀吉が母・大政所の病の平癒を祈願し、奉納した米・1万石をもとに築造されたと伝えられる。昭和10年に国の名勝に指定。ふすま絵は狩野派の絵師による作品で町指定文化財に。午前9時~午後4時。拝観料は奥書院の拝観を含め500円。6日まで。

EU大統領・ヘルマン・ファン・ロンパイ氏が彦根へ、森川許六の作品や玄宮園を見学

 EU(欧州連合)のヘルマン・ファン・ロンパイ大統領が27日、彦根を訪れた。
 大統領は夫人や随行員ら約10人と共に、28日に東京で開かれた日本EU定期首脳会議に出席するため、26日に来日。27日は午前中、京都で過ごした後、午後に彦根入り。彦根城博物館ではひこにゃんや赤備えの甲冑隊の出迎えを受けた。
 俳句の愛好家としても知られており、同館では彦根藩士で松尾芭蕉の弟子でもあった森川許六ゆかりの作品を観覧した。
 玄宮園では茶席のある鳳翔台で休憩し、「日本では太陽が昇っているが、ヨーロッパでは眠っている。しかし同じ太陽である」という俳句を英語で披露した。
 大統領は「日本の文化を勉強させていただいた。お庭も素晴らしく、自然の豊かさに感銘を受けた」と話した。