今年6月に発刊された「彦根・犬上・愛知の昭和」(いき出版)などによると、恵比須山(河原町)、銀座山(銀座町)、金亀山(橋本町)、繁栄山(登り町)、大老山(中央町)の5台の曳山があったとされている。昭和25年に彦根商工会議所主催で行われた商工祭には、ほかの2基を加えた7基の曳山がまちに繰り出し、子ども歌舞伎や踊りが披露されたとされる。
日夏山については詳しい文献がなく、市史編さん室によると、橋本町や登り町の曳山の物だと伝えられているという。商工祭での曳山の利用は昭和30年ごろに終わり、そのうちの1基が日夏町に移って日夏山として地元の祭りで使用。その後はお囃子(はやし)部分の上層部だけ(横約4・4㍍×高さ約2・9㍍)が地元の民家の門として使われていた。
老朽化で解体される可能性があったため、県立大学環境建築デザイン学科の迫田正美・講師と学生たちが保存に向けた調査を行い、今年7月7日には地元住民や県大生らによって日夏里館に移された。21・22日には学生数人と地元住民一人がトタン屋根のさび落としと色塗りなどの修理をした。
フェスタでは日夏山の公開のほか、旧日夏村役場の見学会、「朝鮮人街道と朝鮮通信使」をテーマにした講演会、地元の活動展示、舞台発表なども。午前10時~午後3時。
なお彦根市内には日夏山のほか、高宮町の蓬菜山、稲里町の曳山(名称不明、文化財課保管)の計3基が残っている。
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