最近のニュースから見ると、国内では自宅で監禁・暴行した上で複数人を死に追いやった尼崎事件が記憶に新しい。そして海外ではアルジェリアにおいて、複数の日本人がテロリストたちに殺された。ほかにも列挙するとキリがないが、残虐な事件は世界中で毎日のように起こっている。
私たちの身近な日々の生活においても、他人の言動への醜さを感じることは多々あろう。キリスト教の教えにはいわゆる「七つの大罪」と呼ばれる「傲慢」「嫉妬」「憤怒」「怠惰」「強欲」「暴食」「色欲」がある。小生は仏教徒だが、七つの大罪には大いに共感できる。そのうち、傲慢、嫉妬、強欲に対しては、特に醜く感じるのは小生だけではあるまい。
しかし、ふと自戒すれば、それらは己の日々の言動にも言え、いかに己が醜いのかも自覚できるのではないだろうか。「他山の石以て玉を攻むべし」との言葉がある通り、他人の醜さを感じる事で己の醜さにも気づき、改悛することができよう。
一方で、拷問や監禁に負けず自由と民主化を求めて訴える活動家、戦時下の貧しい国の子どもたちのために命を懸けて医療行為にあたる医師など、世界には美しい人間がいるのも事実である。
身近な存在で言えば、震災など被災地で支援活動を続けている人、まちづくりに尽力する人、琵琶湖岸を清掃し続けている人・・・ら、私たち凡愚が見習うべき美しい市民がいることも忘れてはならない。
人間は美しいのか、醜いのか、の問いの小生の答えは「大半は醜い。しかし、美しくもある」と続けることもできよう。
私たちは、醜い言動をいかに慎み、そして日々、自他の醜さに気づきながら、美しく生きるか。美しい人間が私たちの回りに増えることを望むばかりである。【山田貴之】
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