玄宮楽々園のうち江戸時代の玄宮園(※)の様子を描いた「玄宮園図」や「玄宮園三分一間 割絵図」には、現在の桜場駐車場の位置に、園内の魚躍沼へ水を注いでいた杜若沼(かきつばたぬま)があったことがわかっており、市教委文化財課が平成20年度から同21年度に行った試掘調査では杜若沼や導水機能を備えた桶が良好な形で残っていた。
文化財課は園内の魚躍沼の護岸整備とさく井(せい)工事による地下水での給水を可能にするほか、桜場駐車場に杜若沼や元々あった「梅林」「馬繋ぎ」を整備する予定だが、完成時期は未定。ただ拡張整備をする場合、現在の桜場駐車場を閉鎖し、金亀児童公園の一部を改修させる必要があるため、今後2、3年以内に整備計画を立て、発掘調査を経た後になる。
拡張整備と合わせて、玄宮園が旧松原内湖に接していて、藩主がもう一つの下屋敷・お浜御殿(松原町)や菩提寺の清凉寺(古沢町)などに舟に乗って出向いていたことから、桜場駐車場と共に、現存する旧松原内湖の一部と中堀の一角のエリアも名勝に指定される。追加指定分の面積約1万9626平方㍍とすでに指定されているエリアを含め総面積は約5万6926平方㍍になる。
桜場駐車場や中堀の一角は玄宮園と共に特別史跡の範囲だが、名勝ではなかったため、文化財課では旧松原内湖の一部と含めて名勝への追加指定を得るため今年1月に文化庁に申請していた。将来的には玄宮楽々園の「特別名勝」への変更も要請する予定。
※【玄宮園】隣接する楽々園(江戸時代には「槻(けやき)御殿」と呼ばれた)の彦根藩下屋敷の庭園部分。彦根藩四代目藩主・井伊直興の時代の延宝5年(1677)に造営が始まり、同7年ごろに完成した。油掛口御門(現在の城東小の裏)付近の外堀の湧き水を利用し、枡や桶を活用しながら玄宮園内に導水。園内は広大な池にあった島や入江に9つの橋が架かる形式になっていた。松原内湖に面した北側には水門もあり、清凉寺や龍潭寺、大洞弁財天のほか、松原下屋敷(お浜御殿)にも御座船(ござぶね)で出向いていた。昭和26年に国の名勝に指定。
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