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2018年4月4日水曜日

歴史研究家の小和田泰経さん講座 井伊直政と時代を駆け抜けた武将たち

 昨年のNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」で、資料提供役を務めた歴史研究家の小和田泰経さんを講師に迎えたひこね市民大学講座「井伊直政と時代を駆け抜けた武将たち」が21日、文化プラザで開かれた。
 小和田さんは、直政誕生時の井伊家や徳川家康に仕えた頃の世の中の状況を解説した後、彦根城博物館学芸史料課の渡辺恒一課長と対談。
 家康が重臣の中で直政を重用した理由について、渡辺さんは「井伊家という伝統的なブランド力」をあげ、小和田さんも「家康は権威を大切にしており、自分のステータス(社会的地位)を考えて直政を重用したのだろう」と分析した。
 関ヶ原の合戦で直政が先頭になって戦い、その際の鉄砲傷で亡くなったことから、小和田さんは「なぜ直政は率先して戦いに行ったのか」と疑問を投げかけた。これに対し渡辺さんは「徳川家の家臣の中で直政はよそ者であったため、そのよそ者たちのリーダーとしてまとめ役を務めようとしたのでは」と説明。
 家康が直政を佐和山城に置いた理由について、小和田さんは「時代が変わったことを見せようとしたのだろう。大坂の勢力が関東に侵入するのを防ぐ役割もあった」と解説。渡辺さんも「近江(膳所)が東軍の最前線であり、狭いエリアの彦根に信用している直政を置いたのだろう」と述べた。
 直政の死後、家康が直孝を井伊家二代に指名した背景について、小和田さんは「井伊家の家臣は旧武田家の家臣が多く、まとめるのは並大抵ではできない」と語り、渡辺さんは「直政の死後、家臣は勢力争いをして、家康も心配していた。当時は空中分解する恐れがあったが、直孝はそれをまとめる力を持っていた」と話した。

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