県教委は23日、佐和山城下の遺跡で、16世紀中ごろの屋敷跡と、石田三成が城主だった時代の武家屋敷跡が見つかったと発表した。佐和山城に関する発掘調査は初めてで、今回の遺跡群の発見は極めて貴重。
発掘地点は、山に囲まれた谷で、江戸後期作成の「佐和山城絵図」では侍屋敷だった。調査は県文化財保護協会が、ほ場の整備予定地約2281平方㍍を対象に今年4月から、715平方㍍の第1調査区と、1566平方㍍の第2調査区に分けて行われた。
そのうち第2調査区では、山裾に沿った形で幅2~3㍍、長さ約20~30㍍と約12㍍の2つの堀跡があったほか、中山道寄りに土塁の跡、屋敷跡として石組の遺構、屋敷を囲う溝跡、門柱跡、橋の遺構が見つかった。屋敷跡は溝で区切られていて、10軒以上の屋敷があったと見られる。
主な遺物としては、化粧道具の箱に付いていた「桐文銅製紐金具」、瓦、信楽焼・備前焼などの土器、下駄、銅銭など。桐文は、皇室の紋として知られ、秀吉は桐文の無断使用を禁止したが、三成にはその使用を許したとされる。また瓦は、大坂の陣以降に作られたものと同じ特徴があり、約10点出土した。
佐和山城に関する初の調査で、三成時代の屋敷跡が見つかったことについて、NPO法人城郭遺産による街づくり協議会理事長の中井均さんは「侍屋敷があることは絵図に書かれていたが、その区画がわかった事は重要。谷に屋敷を作るということは、三成の時代に家臣が増えたことがわかる」と話している。
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