七曲り通りは、彦根城が整備された後の江戸時代初めに、高宮宿から城下町までに築かれた道で、前方を見通せないように通りを何度も屈曲させたことから、七曲りと呼ばれるようになった。一般的に、道が幾つも曲がっていることを言うのだが、彦根の場合は偶然、7カ所の「曲がり」がある。
正保元年(1644)に町割りが行われ、芹中、大橋、岡の各町が出き、その翌年に沼波町が誕生。通りには古鉄屋、塩屋、道具屋、桶屋などさまざまな店があった。江戸後期ごろからは、武具製造に携わっていた塗り師、指物師、錺金具師などの職人が集まり始め、現在の「仏壇街」になっている。
県立大学の浜崎一志教授研究室の調査によると、七曲り通りで町屋形式の建物は74軒残っているという。そのうち江戸期の建物とされる旧村岸家は、高宮方面から通りに入った最初の曲がり角にあり、防火用に用いられる土戸が唯一、残っている。
ほかに、文化財的に価値のある建物が多くあり、彦根市は今後、「歴史まちづくり法」を活用した街づくりを進める。数年以内に建物の調査をし、地元の住民と協議をした上で、歴史的景観が残る街づくりの整備を行うとしている。
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