埋木舎は直弼が17歳から32歳まで過ごした場所で、直弼死後は側役の小膳が拝領し、以降、大久保家が管理してきた。小膳は明治19年(1886)から亡くなる前年の同35年まで、直弼の誕生日にあたる毎年10月29日に、松原にある井伊家の下屋敷・お浜御殿で神式の誕辰祭を自費で行った。
誕辰祭では、献茶、献花の儀、能楽の奉納があり、余興や福引きもあった。また松原村立小学校の全児童も誕辰祭に参列し、自作の歌を合唱したという。その歌詞は直弼自身が亡くなる前に詠んだ歌が使われている。
大久保さんが今年9月初めに都内の自宅の書庫を整理していたところ、表紙に「故井伊直弼公誕辰祭祝賀會ニ関スル書類入」と書かれた箱を見つけ、中を確認したところ、誕辰祭の出席簿や寄付者の名簿、松原小の児童が歌った際の楽譜など約100点が入っていた。
彦根城内では井伊直弼公生誕200年祭が開かれているため、大久保さんは「200年祭に合わせて見つかったのも何かの縁ではないか」と話していた。史料が入った箱は彦根城博物館に預けられており、同館は各史料を確認した上で目録を作成する。
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