県文化財保護協会は12日、彦根市佐和山町で発掘中の旧佐和山城の城下町跡から、城下町のメインストリートだった「本町筋」の痕跡が発見されたと発表。道の敷設には城郭石垣に用いられる胴木(どうき)工法が採用されていた。城下町の道跡が確認されたのは県内初めてで、専門家によると道での胴木工法の確認は「国内で初めて」だという。
国道8号線の米原バイパスの建設工事に伴って2018年度から佐和山城跡の発掘調査を実施。昨年度は城下ふもとの武家屋敷と本町筋をつなぐ道や橋台などの跡が見つかった。今年度は城下町跡エリアの5534平方㍍で4月から12月まで調査している。江戸時代に作られた「佐和山古絵図」によると、内堀(現在の西法寺川)と外堀(小野川)に挟まれたエリアには、南北方向約400㍍の道の本町筋が通っていた。本町筋は佐和山城本丸から続く大手道と合流し、その両サイドには複数の町屋があったことから、城下町のメインストリートとしての位置づけができる。さらに東側の中山道とつながっていたとも考えられる。これまでの発掘調査で9棟の町屋の掘立柱跡が見つかっている。
今年度の発掘調査によって、本町筋は現在の市道の約60㌢直下に幅60~90㌢で整備されたことがわかった。道路を敷設するため粘土を15~30㌢盛った上に砂利を混ぜた土で固めた硬化面を形成し、側面を幅15~25㌢×高さ5~15㌢×奥行き20~30㌢の石材を積み上げて固める工法で作られていた。江戸時代以降の水田化によって、石材をはじめ道路跡が壊されているが、最も残りの良い西側の部分では2段分の石材が残っており、硬化面の高さからもう1、2段分が積み上げられていたとみられる。
城郭石垣の工法採用
丹羽長秀時代以降
また石積みの崩落を防ぐため、部分的に土台の役割の胴木を設置していることも確認された。丸太材を使い、胴木がずれないよう外側に等間隔で杭を打ち込む胴木工法は天正年間(1573年~92年)の織田氏関連の城郭石垣にも用いられていることから、県文化財保護協会は「織田信長の勢力下にあった段階に道路が敷設された可能性が想定される」としている。早ければ、豊臣家に移行する前の丹羽長秀が佐和山城主だった時に整備された可能性もある。
滋賀県立大学の中井均教授は「本町筋の敷設に胴木を用いた石積で側溝を構えた事例は日本で初めてのもの。城郭石垣と同じ胴木工法を採用していることは城下の道路が城主主導で設計、施工されたことを示しており、極めて注目できる」とコメントしている。新型コロナウイルスの感染防止のため現地説明会は行われない。
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